「おまえ、英語も話せないの? バカなの?」6年間も英語を学んだ日本の女子高生が、アメリカ留学中に突きつけられた“苦しい現実”

「おまえ、英語も話せないの? バカなの?」6年間も英語を学んだ日本の女子高生が、アメリカ留学中に突きつけられた“苦しい現実”

写真はイメージです ©iStock.com

 ニューヨークで出会った人々との日々を描いた、『 ニューヨークのとけない魔法 』をはじめとする「ニューヨークの魔法」シリーズ(文春文庫)で知られる作家・エッセイストの岡田光世さん。

 彼女は青山学院高等部在学中に1年間、米ウィスコンシン州の小さな町に留学していた。さらに青山学院大学在学中に1年間、協定校・米オハイオ州の私立大学に留学し、その後、ニューヨークの私立 New York University 大学院で修士号取得。今や“英語の達人”とも呼ばれている。

 ここでは、岡田さんがどのように英語を学び、留学中の挫折を乗り越えたのかを綴った『 ニューヨークが教えてくれた “私だけ”の英語 “あなたの英語”だから、価値がある 』から一部を抜粋。彼女が言葉の壁にぶつかり苦しんだ、留学当初の日々を紹介する。(全2回の1回目/ 2回目に続く )

◆◆◆

■ウィスコンシン州で10か月間の高校留学生活がスタート

 How do you do?(はじめまして)

 飛行機の中で私は、何度も繰り返し、練習する。ウィスコンシン州の空港に迎えに来てくれるホストファミリーと初めて会ったら、そう挨拶するように教わった。これからの10か月間の高校留学生活でお世話になるのだから、失礼があってはいけない。

 母が仕立ててくれた淡いピンクのツーピースのドレス姿で、真夜中の0時半に小さな空港に降り立つ。Tシャツにジーンズ姿の男女が満面の笑みで近づいてきたかと思うと、いきなり交互に抱きついてきた。私は圧倒されて、棒立ちになっている。

 あれだけ練習した How do you do? は、どこかにすっ飛んだ。その後のアメリカの生活で、1度も聞かなかったかもしれない。この時もホストファミリーは、こんなふうに迎えてくれた気がする。

 It?s so nice to meet you. You must be so tired.? Poor little girl.
 会えてとってもうれしいわ。疲れたでしょう。かわいそうに。

 もっとかしこまると、Pleased to meet you. / It?s a pleasure to meet you.

 初対面では、(It?s)(so)nice to meet you.

 別れ際には、(It was)(so)nice meeting you. / It was(so)nice to meet you.

 meet は初めての時、2度目以降は see になる。

 こんなことも、その時は知らなかった。

 ホームステイ先の娘のディーディーの運転する車で、暗闇のなか、一家が住む小さな町へと向かった。彼女はいろいろ話しかけてくるけれど、話すスピードが速すぎて、半分もわからない。不安な思いで、草原らしきなかをひたすら続く道路を見つめていた。その道の、なんと真っ直ぐなこと。

■「ストレート」と英語で伝えても通じない

 思わず道路を指さし、「ストレート!」とつぶやくと、彼女は What? と首をかしげている。

 What did you say?? ?I don?t understand what you?re saying.
 なんて言ったの?何、言ってるんだか、わかんないわ。

「ストレート」は英語でも、もちろん「ストレート」のはずなのに。?

 何度、言い直しても通じない。

 その時、カーステレオから、ハリー・ニルソンの名曲「ウィズアウト・ユー」(Without You)が流れてきた。当時、日本でつき合っていたボーイフレンド(今は夫)と、よく聴いた歌だ。

〈I can?t live if living is without you. / I can?t live, I can?t give any more.生きられない あなたのいない人生なんて もう耐えられない 耐えられないの〉

 私はここに、これから1年近くもいるのか。飛行機を2度も乗り換え、こんな遠くへ飛んできてしまった。

 ホストファミリーの家に着くと、ホストマザー(以下、マム)が言った。

「日本のお母さんに電話して、無事に着いたと伝えてあげて」

 受話器の向こうの母の声は、まるで隣の部屋にいるようにはっきり聞こえた。

「心配してたけれど、無事に着いたのね」

「うん」と答える私の声は、涙で震えている。

 反対を押し切って英語の世界に飛び込んでしまったことを、すでに後悔していた。

■「英語わかんないよ。日本に帰りたいよ」

 ウィスコンシン州の小さな町で耳にする英語は、私が中学・高校で6年間、習ってきた英語とはまったく別物のように聞こえる。話すスピードが、ものすごく速い。しかも、1つひとつの単語を、私が学校で習ったように丁寧にはっきりと発音しない。

 単語と単語を続けて、しかもやけに鼻にかけたような音を出したり、母音を聞き慣れない音で発音したりする。

 Could you please speak more slowly?
 もっとゆっくり話して。

 そう頼むと、単語と単語は続けたまま妙にゆっくり話すので、もっとわかりにくい。

 私は日本の公立中学校で、文法と読み書き中心の授業を受けた。そして「英語の青山」といわれた青山学院の高等部に進学。ネイティブ・スピーカー(以下、ネイティブ)のアメリカ人教師が英会話を教え、さらに私は選択科目でも英会話を取っている。?

 英語が大好きで、得意だった。学校帰りに週2度、英会話学校にも通っていた。

 それなのに。

 ひとりぼうっとしていると、隣に住んでいた同学年のメアリージョーが私に声をかけ、彼女が自分で答える。

 Mitz, are you bored?? I think so.
 ミッツ、つまんないの? そうなんだよね。

 先生や友だちはミツヨという私の名前が覚えられず、ミッツやミッツィと呼んだ。

 つまんないよ。英語わかんないよ。日本に帰りたいよ。

 心のなかでそう叫んでいた。でも首を横にふり、作り笑いするしかない。

■年下の男子生徒から「英語も話せないの?」と言われ……

「ミッツィの英語は、私の日本語よりずっと上手よ」なんて言われても、何のなぐさめにもならない。私が今、「コンニチハ」と「コンバンハ」を教えた相手と違って、私は6年近くも真剣に英語を勉強してきたのだ。

 高校の「スタディホール」(study hall)という、何を勉強してもいい自習時間には、日本が恋しくて、日本の友だちに泣きながら手紙を書いていた。

 あれだけ英会話テープを何度も聞き、繰り返し練習したのに、言いたいことが言えない。友だちに、「日本でテニス部に入っていて、夏の強化合宿では暑さで倒れそうになる」と説明したいのに、英語が出てこない。強化? 合宿? 倒れる?

 合わせた両手を枕のように片耳に当てて寝るまねをし、自分が倒れるジェスチャー をしても、友だちは首をかしげている。

 身の回りの物も、聞いたことがない単語で呼ばれている。ソファーは couch(カウチ)、冷蔵庫は fridge(フリッジ=refrigerator の短縮形)。

 習慣にも戸惑った。名前を知らない誰かの話を私がホストファミリーにすると、「その子の髪の色は?」「目の色は緑だった?」などと聞かれるけれど、答えられない。

 今でこそカラーコンタクトやヘアダイを使う人もいるが、日本人の目や髪の色は同じことが多いから、そんなことを気にも留めない。

 年下の男子生徒は、「おまえ、英語も話せないの? バカなの?」とまじめな顔で聞く。その子は、英語以外の言葉が存在することを、知らなかったのかもしれない。

 でも、私も同じことを、自分の日記に何度もつづっていた。「私はバカなの?」

 Mitz, Smile! Cheer up! ミッツ、笑って! 元気を出して!

 そう言って、自分を元気づけていた。

■誰も話しかけてくれない

 学校の廊下を歩く私を、まるで宇宙人が舞い降りてきたかのように、アメリカ人の高校生たちはじろじろ眺めた。向こうから話しかけてくれる人は、いなかった。

 初めて高校に足を踏み入れた時のことだった。その学期の履修科目をガイダンス・カウンセラーと決めるために、ディーディーに連れられていった。

 私を見つめていたのは、白人ばかり。人口2000人くらいのその町は、今も住民の97%が白人。当時、アフリカ系アメリカ人もヒスパニック系も、見かけたことがない。アジア人は私のほかに、養子として迎えられた韓国系の女の子がいただけだった。

 私から話しかけなければ、友だちになれない。そう思った私は勇気をふりしぼって、Hi! と声をかけてみた。が、言葉を返してくれる人はいなかった。

 ああ、無視された、と思った。人種差別? 日本人だから? 見た目が違うから?

 家に帰ってマムにその話をすると、「声が小さくて、聞こえなかっただけよ。あなたは声が小さいから、私も聞こえないことがある」と言われた。

 アメリカ人は比較的、大きい声で堂々と話す。大きすぎるくらいの声で話してみると、それまで通じなかったことも相手に伝わるようになった。

 声が小さいために相手が聞き取れず、Huh? What? と返されると、ああ、英語が通じなかったんだ、と思い込む。そこで自信をなくし、声はさらに小さく、早口になる。あるいは話しかけなくなってしまう。

 これは私だけでなく、日本人が自分の英語に自信をなくすパターンのひとつだ。ただ単に声が小さいということで、ずいぶん損をしている。

 私から積極的に大きな声で話しかけなければ、友だちができない。

 そう思った私は、それからは学校でも町中でも、知らない人でも、人とすれ違ったら必ず、自分から Hi! となるべく大きな声で話しかけることにした。こちらから声をかければ、たいていの人は笑顔で Hi! と返してくれる。

■思い切って話しかけた言葉とは?

 最初は心臓が飛び出しそうだったし、顔もひきつっていたけれど、だんだん自然に、抵抗なくできるようになっていった。

 あとで親しくなった下級生が、「ミッツィを最初に見かけた時、話しかけたかったけれど、なんて声をかけていいか、わからなかったの」と言った。アメリカ人もそんなふうに思うのか、と意外だった。

 高校でフットボールの試合が行われた時、相手校の応援に長い黒髪の少女がいた。一緒にいたディーディーが、「あの子、きっとアジア系よ。話しかけてみな」と言う。

 他校の生徒に? アジア系だからって、赤の他人に何て言えばいいの?

 Go for it!
 やるっきゃないよ!

 そうディーディーに背中を押されて、思い切って話しかけた。

 Hi. Where are you from?
 どこから来たの?

 その人は笑顔で言った。「両親がフィリピン人で、私はアメリカで生まれたのよ」

 その日の日記に、英語でこう書いている。

「いろいろな人を知らなければ。フィリピンの人と生まれて初めて関わりを持てた。あれこれ考えずに思い立ったら、Just do it! (やってみな!)。話しかけてみなきゃ。自分から口を開かなきゃ。相手はすばらしいものを、持っているかもしれない」

■「便秘」に青でアンダーライン

「これから私たちを、マムとダッドと呼んでちょうだい。あなたのアメリカのお母さんとお父さん。私たちの子どもとして、ここで暮らすことになるのだから」

 最初の夜、マムは私を抱きしめ、そう言った。

 翌日、マムとキッチンで話した。10か月間、預かることになる私のことを、いろいろ知っておかなければいけないと思ったのだろう。

 健康上、何か心配なことはある?

 そう聞かれたので、「とくにないけれど、環境が変わると便秘がちになる」と伝えたかった。でも、便秘? 便秘って、英語で何?

「食べた物がおなかに入って、それが出てこないんです」

 苦しそうにおなかを押さえ、ジェスチャーを交えて説明したけれど、マムは眉をひそめている。

 マムは、私が手に持っていた、てのひらサイズの辞書を指さしながら、言った。

 Honey, why don?t you look it up?
 ハニー、調べてごらん。

 この辞書は革の表紙で、私には高価なもの。和英と英和がひとつになっている。気に入っていたので、書き込んだり、アンダーラインを引いたりせず、汚さないようにきれいに使っていた。私を英語の世界へ連れていってくれる、大切な宝物だった。

 和英で「便秘」を引くと、constipation という単語だった。マムは私の辞書に手を伸ばすと、青のボールペンで、太くくっきりとアンダーラインを引いた。さらに目立つように、単語の前に「X」と書き込む。

 宝物に、なんてことを! しかも花のセブンティーンの私の辞書に、よりによって「便秘」の文字をこんなにしっかり、目立たせなくても。

 マムは満足気に、ほほ笑んでいる。

 「さあ、これで覚えたわね」

 おかげで、忘れたくても、忘れられなくなった。

 状況とともに、そしてこの場合はショックも加わって、心に強く刻みつけられた言葉は残りやすい。

 食卓の私の席の脇にはいつも、英和と和英のもっと大きな辞書が置かれていた。ホストファミリーと会話していてわからない単語が出てくると、ダッドが必ず辞書を指さし、言った。

 Look it up.
 調べてごらん。

 面倒だったけれど、食事を中断して辞書を引いた。彼らにとっても面倒だったはずなのに、私が調べて納得するまで、じっと待っていてくれた。

 わからない単語が出てきたら放置せず、その場でチェックするようにした。そして、それを書き留めておき、何度も自分で使うことで、初めてその言葉が自分のものとなっていった。

 新しい単語を1つひとつ辞書で調べ、ボキャブラリーを増やしていく私を見て、ダッドがうなずきながら、よくこう言っていた。

 Keep up the good work!
 その調子でがんばれ!

アメリカ生活を経験した作家・岡田光世が教える、外国人に通じる“ジャパニーズ・イングリッシュ”とは「ネイティブも真似できない」 へ続く

(岡田 光世)

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