「外に危険があるとき、自分を救ってくれるのは家族しかいない」国境を超えたウクライナ人女性が痛感した“現実”

「外に危険があるとき、自分を救ってくれるのは家族しかいない」国境を超えたウクライナ人女性が痛感した“現実”

©iStock.com

 今年2月、ロシアの侵攻直前に『国境を超えたウクライナ人』(群像社)を出版したオリガ・ホメンコさんが、ウクライナで起きている国外避難の実態を綴る。

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 ロシアの侵攻が始まってから3カ月近くたった。ほぼ毎晩空爆されているので、ウクライナには安全な街がひとつもない。このごろになって事情をわかってないメディアの人から「どうして戻らないのですか」と聞かれるが、答えるのも疲れたので黙っていることにしている。

 友達のイルピンの家は焼け野原になったが、幸いにも彼女は母親と子供を連れて国外に出られた。

 別の友人の母親は占領されたチェルニヒウ州の村で1カ月間も生活していた。ロシア軍が撤退する日に家の外のベンチに座っていると、通りかかった車から軍人が降りてきて彼女の靴を引き抜いて去っていった。おそらく80歳の老婦人を脅かすためにやったのだろう。西洋では他人に靴を脱がされた人間はある意味で裸にされたのと一緒なのだ。

 友人の母親はその1カ月後に亡くなった。ショックが大きかったのだろう。最近医者に言われているのは、トラウマの経験が落ち着いたところでいろんな病気が出てきて、そのせいで亡くなる老人もいるということだ。

■「救ってくれるのは家族しかない」という現実

 ウクライナは今までいろんな歴史的なトラウマを乗り越えて生き延びた国である。ロシア帝国やソ連政権からいろんな圧力をかけられてきたウクライナ人は、今回のロシア侵攻を経験して再びウクライナが生き残る方法は家族主義だと思った。

 1933年に人工的な飢饉が起こされた時も自分の家族を食べさせて守るのに必死になり、またチョルノビリの原発事故の時には自分の子供たちを避難させるのに必死で、今回の2月24日のロシアの侵攻でも空爆による死から同じように家族を守るのに皆必死だった。

 結局、外に危険があっても自分を救ってくれるのは家族しかない。その時に必ずしも一番年上の人がリードするわけでもない。逆に、今回は勉強などで外国暮らしの長い若者の出番だった。

 多くの場合、その役割を女性が果たした。戦時下の徴兵制の導入で18歳から60歳までの男性は国外に出られないからだ。

■避難中に、友人と連絡を取り合わない理由

 とりあえず、自分の家族を国の外に出すことに皆必死だった。そして今までの経験から他人には言わないようにしていた。世間の目を気にしてというより、避難している途中に危ない目にあうのが嫌で皆黙っていた。そして少し落ち着いてから同僚や友達にも連絡し始めた。

 そして最初の連絡ではかなり心細い感じで「元気?」、「どうしている?」という一言。相手からも一言の返事が返ってくることが多かった。その一言の返事をもらった時のほっとする感じは言葉で表せない。また連絡する時も、相手に迷惑にならないように、「今日は何をしているの?」程度にする。そうすれば相手も答えやすいだろう。

 今回のこの持ち込まれた戦争は非常にトラウマとなる経験である。それがいつになったら回復できるかわからない。体がいつまで覚えているか。

 ドネツク出身の友達は、2014年5月にドネツクから出た時に子供たちが泣いていたと言っていた。その子供たちが8年成長して、その間にもう1人生まれた。そして24日の朝5時前に空爆が始まると、皆冷静に荷造りして朝8時にもう街を出た。誰一人一言も反対とは言わなかった。

 また知り合いの娘の4歳の女の子はキーウ郊外からドイツに移る間に笑えなくなった。笑おうとしているのに、しかめっ面しかできない。その子の兄の友達が避難する車も撃たれて皆怪我をしたことも知っている。だが今でも自分の家から追い出された理由がわからないらしい。

※続きは発売中の『 週刊文春WOMAN vol.14(2022年 夏号) 』にて掲載。

キーウ生まれ。キーウ国立大学文学部卒業、東京大学大学院地域文化研究科で博士号取得。元ハーバード大学ウクライナ研究所客員研究員。現在はキーウ・モヒラ・ビジネススクール助教授、ジャパンプログラムディレクター。著書に『ウクライナから愛をこめて』、共訳書『現代ウクライナ短編集』(いずれも群像社)など。

(オリガ ホメンコ/週刊文春WOMAN 2022夏号)

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