鳥と人の関係をひも解くと…「鳥類の研究は今後も続けていきたい」それでも紀宮さまの退職のご決心が固かった理由

鳥と人の関係をひも解くと…「鳥類の研究は今後も続けていきたい」それでも紀宮さまの退職のご決心が固かった理由

2005年3月、山階鳥類研究所に入られる紀宮さま(当時) ©時事通信社

 秋篠宮さまが総裁を務め、ご結婚前には紀宮さま(現・黒田清子さん)の勤務先でもあった、山階鳥類研究所の元所長・山岸哲さん(83)が『 日本書紀の鳥 』(京都大学学術出版会)を出版した。神代から持統天皇の時代までを扱った『日本書紀』には、実は多くの鳥が登場し、さらに現在の皇室には鳥類の研究に取り組まれる方が少なくない。その両者をつなぐようにして「現代の『日本書紀』を目指した」という山岸さんに、話を伺った。

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■「現代の『日本書紀』を目指してみたい」

――『日本書紀の鳥』では、山岸さんならではの鳥類学の立場から『日本書紀』における鳥類の描かれ方や、種にまつわる様々なエピソードが紹介されています。そもそも、なぜ今『日本書紀』なのでしょうか。

山岸哲さん(以下、山岸) 私自身のきっかけとしては、県立長野北高校(現・長野高校)というのが母校でして。現在は長野県長野市の「桜泉苑」と名付けた自宅で隠遁暮らしをしています。高校が同窓の宮澤豊穂さんが手がけた『日本書紀全訳』(ほおずき書籍)を知人からもらって、ぱらぱらと読んでいったところ、たくさんの鳥が出てくるんですよ。そこで「『日本書紀』の鳥だけを取り上げて1冊本ができないかな」と。

 宮澤さんにリストアップしてもらったところ、全部で34種あったんです。八咫烏(カラス)、白鳥(ハクチョウ/コウノトリ)、桃鳥(トキ)、鴨(カモ)、百舌鳥(モズ)、巫鳥(ホオジロ)……自分が研究や保全で関わった鳥が『日本書紀』には数多く登場していました。「借り物の話ではなく、自分の言葉で書けそうだ」というちょっと変な自信が出てきました(笑)。さらにご縁だなと思ったのが金鵄(トビ)。今回の本の共著者である宮澤さんと私ふたりの母校の校章にあしらわれているのです。

■山階鳥類研究所と皇室のゆかり

――「謝辞」には「執筆にあたり、以下の方々に原稿を読んでいただき、貴重なご意見を賜り、また資料をご提供いただいた。記してお礼を申し上げる」として、多くの研究者の方々の中に秋篠宮さまや黒田清子さん、常陸宮さま、高円宮妃久子さまのお名前が記されています。

山岸 そうなのです。『日本書紀』には、皇族方が研究されてきた鳥の記述が多いと気がついたことも、執筆の大きな後押しとなりました。山階鳥類研究所の総裁を務めておられる皇嗣の秋篠宮殿下は鶏の系譜の研究で博士号を取得され、妹の黒田清子さんは、山階鳥類研究所の研究員をしていた時に、翡翠(カワセミ)の繁殖・生態を研究されました。

 常陸宮殿下は兄の上皇陛下と同じく動物学者で、日本鳥類保護連盟の総裁をされていますし、高円宮妃久子殿下も大変な鳥好きで、鳥類保護の世界組織「Bird Life International」の名誉総裁をされています。妃殿下が撮影された鳥の写真は躍動感にあふれ、その腕前は相当のものです。

 奈良時代に編纂された『日本書紀』は、当時の天皇によって作成を命じられた国家の大事業であり、皇室や各氏族の歴史上での位置づけを試みるものでもありました。そうであるならば、皇族方の鳥類研究について紹介することで「現代の『日本書紀』を目指してみたい」と思って、この本をコロナ禍の足掛け2年で書き上げました。

――皇室と鳥の関わりというと、山岸さんが2002年から2010年まで所長を務められた山階鳥類研究所は、1986年に秋篠宮さまを総裁に、2004年には島津久永氏を理事長(現顧問)に迎え、1992年から2005年までは紀宮さまが勤務されました(学習院大学卒業後の92年4月から非常勤研究助手、98年4月からは非常勤研究員)。なぜこれほど皇室と研究所のゆかりは深いのでしょうか。

■“一般庶民”がはじめて所長に

山岸 山階鳥類研究所は国内唯一の鳥類専門の民間学術研究所で、その前身は1932年に山階芳麿侯爵が渋谷区の私邸内に建てた鳥類標本館です。山階さんというのは、お母さまを通じた昭和天皇のいとこであられて、昭和天皇とは子どもの頃に相撲をとったりした、そういう間柄だったそうです。ですから、当初は山階さんの私的な研究所のような立ち位置から始まって、研究所内には皇室やお殿さまに関わりのある方がずいぶん多かったように思います。かつての学習院のような雰囲気があったのかもしれないですね。

 だから私のような一般庶民が所長になったのは、はじめて(笑)。私が3代目で、4代目が国立科学博物館の前館長の林良博さん、そして現在は情報人類学・人間動物関係学が専門の奥野卓司所長です。これからはそのような研究者たちがバトンをつないでいくのだと思いますが、私は意識的に、山階鳥類研究所を外に対して開いていく「窓」のような仕事に力を入れていました。

■紀宮さまの婚約内定発表で取材が…

――2004年12月、ちょうど紀宮さまと黒田慶樹さんの婚約内定発表の頃に、研究所や所長である山岸さんのところへ取材が殺到したそうですね。

山岸 それまでは皆さん、紀宮さまが週に2日通われる研究所で何をなさっているのか、秋篠宮殿下が総裁としてどのように尽力されてきたのか知らなかったでしょう。雑誌への寄稿やインタビューを通して、「山階鳥類研究所が日頃どのようなことをしていて、その中で紀宮さまのお仕事はどのような役割を果たしているのか」を一般の方に知っていただくことは、先ほどお話ししたような意味も込めて重要な側面であると思っていました。

――研究所にいらした頃の紀宮さまは、主に皇居でのカワセミのご研究と19世紀を代表する鳥類画家、ジョン・グールドの『鳥類図譜』のご研究に取り組まれていたそうですね。

山岸 紀宮さまは2005年11月のご結婚を機に退職されましたが、その2つのご研究については、『ジョン・グールド鳥類図譜総覧』(玉川大学出版部)のご出版、論文「皇居と赤坂御用地におけるカワセミの繁殖状況」(「山階鳥類研究所研究報告」創刊50周年記念号)にまとめられています。

 特にカワセミのご研究については、12年にわたって個体識別のリングをつけて継続観察された結果に、重いものがあると思います。紀宮さまはとても素直な方で、かつ、きちんとした自己主張をお持ちです。感銘を受けたのは、皇居のカワセミが最も遠いところでは24キロも離れた清瀬市の金山緑地公園に現れ、大都会の中心にある皇居が決して孤立した環境ではなく、周りと見事につながっているのを証明されたということ。

 私はある年の紀宮さまのお誕生日の茶会に際した祝辞で、こう述べたことがあります。

「論文作成の過程で、失礼ながら図表の書き直しを含め、たくさんの問題点や修正点をご指摘させていただきましたが、それらのすべてに、すばやく反応され、ご自分の納得できる点は修正され、ご自分が納得できない点は『これこれこうだから、所長のおっしゃることは違うのではないでしょうか』ときっぱりと反論されたことが私の印象に強く残っております。素直さと同時に、芯のお強い面がうかがわれ、科学者としてもっとも大切な資質をお持ちのようにお見受けいたしました」

――祝辞をお聞きになった上皇さまや美智子さまから、何かお言葉はありましたか。

山岸 両陛下が私にお近づきになられて、お礼の言葉を賜りました。上皇后陛下からは、紀宮さまのカワセミの論文作成指導に対するお礼のお言葉があって、「紀宮は毎週、山階へお伺いしているのですが、私は、ほとんど何をしているのか詳しくは知りませんでした。本日はじめて、具体的にお聞きでき、研究所でどのような生活をしているのかがわかり、大変ありがたく思います」とのお言葉をいただきました。

■紀宮さまの退職のご決心は固かった

山岸 2005年6月、研究所の講堂で紀宮さまのお別れの会が開かれたとき、「長い間、お世話になりました。できる範囲で鳥類の研究は今後も続けていきたい」という内容のごあいさつをされました。今もグールドの研究は続けておられるようです。紀宮さまは、前述の書籍の出版によって10年以上にわたって続けられたグールドの研究に一応のめどがついたので、研究所をお辞めになるタイミングだと考えられたようでした。

――それほど、紀宮さまの退職のお気持ちは固かったのでしょうか。

山岸 婚約内定の報道の後、研究所に残っていただくように遠まわしにお伝えはしたのですがそのご決心は固いようでした。紀宮さまは、ご結婚後に皇族のお立場を離れて民間に入られることの重みを真摯に受け止められて、そうした慰留の願い出を固辞されたのではないでしょうか。“下がらせていただいた身”という紀宮さまの元皇族としてのご自覚といいましょうか。

 研究所には長く勤務されたので、もちろん寂しさはおありだったと思います。研究所のあり方や所員であることの意味についてもじっくりお考えになり、ご結婚後もこれまでのように研究論文をしっかりと出せるのかどうかという点も自問自答されたのかもしれません。

 周囲に迷惑がかからないよう、細やかにお気遣いなさる方でした。例えば研究所で紀宮さまは外部からの電話の対応もされていたのですが、そのことについて私が雑誌の寄稿で言及しようとすると、「研究所にご迷惑がかかるといけませんから」と。読者からの電話が殺到するようなことを心配されたのだと思います。

――紀宮さまがお別れの会のあいさつでおっしゃった「研究はできる範囲で続けていきたい」というのは、どのような形で実現しているのでしょうか。

山岸 例えば2017年には、「2013年7月から2017年5月までの皇居の鳥類相」という研究報告が黒田清子さんが第1著者で「山階鳥類学雑誌」に掲載されています。皇居というのは115ヘクタールもある都心の緑地で、そうした環境にどのような鳥がいるかを調べることは非常に重要ですよね。そしてこれは誰にでもできる仕事ではないし、“研究を続ける”という姿勢を貫いているところが黒田さんらしいと思います。また、現在はグールド図譜解説文の翻訳をされているようです。

――天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは昨年12月に成年を迎えられ、黒田清子さんから借りられたティアラをお召しになったことが話題になりました。

 学習院大学文学部日本語日本文学科の3年生である愛子さまが、卒業後にどのような道へ進まれるかはわかりませんが、今後はご公務や国際親善とともに、私的な活動としてご研究を進められたり、どちらかへ勤務されることがあるかもしれません。山岸さんは、内親王が仕事をもつということをどのように捉えていますか。

■紀宮さまの研究所での日々

山岸 やはり愛子さまも同じように、ご自身の興味関心をのばしてライフワークにつながるようなご活動をしていただきたいと思いますね。千葉県我孫子市にある山階のように、少し世の中から離れたような環境でお仕事ができるところは少ないかもしれませんが、探せばないわけではないでしょうから。

 紀宮さまは研究所でごく普通に過ごされていて、所員と同じようにお茶の用意をしたり、会議の机や椅子を並べたり、歓迎会や送別会、たまに行っていた暑気払いなどのコンパにも準備から参加されていました。お酒はかなりお強いと所員からは聞いたこともあるのですが、私は、そんなにお飲みになるところを見たことはありませんでした。しかし、畏れ多いことに、一升瓶でお酒をついでいただいたことはありますよ。

――美智子さまが紀宮さまについて、何か失敗などをされた時に、「『ドンマーイン』とのどかに言ってくれる子どもでした」と述べられたことがありますが、山岸さんや所員の方に対して、フォローの言葉やちょっとした冗談をおっしゃるようなことは……?

山岸 紀宮さまが? うーん、私とは冗談を言い合ったことってないですよね。お話をするのは、真面目な話とか論文作成のご相談とかそういう時ですから、「ドンマーイン」とはおっしゃらなかった(笑)。

 ただ、示唆に富んだ助言をいただくことは今でもありますよ。今回の本につながる話でもあります。学習院女子高等科では、[「万葉集」におけるホトトギス考]というテーマで卒業レポートを書いたそうなのですが、その際に参考にしたという、動物生態学者の東光治氏が1935年に著した『萬葉動物考』という書籍があると教えていただきました。そこから、最終章で書いた『日本書紀』と「万葉集」の比較へと論を展開することができたのです。

 今では、スマートフォンに向かって、鳥の名前を言えば、画像はすぐに見られるし、鳴き声すら簡単に聞くことができますよね。けれども、その姿や生態は学べても、歴史の中での鳥と人の関係や、鳥に込められた社会的意味などはあまり知られていない。なぜ古代の日本人がこれほど鳥を史書の中に登場させたのか。……あ、庭にシジュウカラが来た。とくに朝、鳥がよく来るんですよ。

――あっ、お庭の池のあたりにとまっていますね。

山岸 きっと水浴びに来たんですよ。かわいらしいですね。シジュウカラみたいに、現代でも私たちにとって身近でよく知られた鶯(ウグイス)や杜鵑(ホトトギス)が、「万葉集」では頻繁に歌われるのに『日本書紀』には出てこないんです。このことは最初に気がついていたんですけれども、どうしてかはまったくわかりませんでした。この“謎解き”については、最終章「古代の政治と鳥」で、私なりの考察をまとめることができました。

 文系向きの読者の方に鳥類の生態や社会を知っていただいたり、あるいは理系の専門家の方々が鳥を入り口に『日本書紀』や古代の人たちの暮らしや自然認識に興味を持っていただけたら、とてもうれしく思います。

(山岸 哲/文藝春秋)

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