「『スター』が鈍行の普通列車に乗るとは」『深夜特急』沢木耕太郎が驚愕した吉永小百合の“意外なポリシー”とは

「『スター』が鈍行の普通列車に乗るとは」『深夜特急』沢木耕太郎が驚愕した吉永小百合の“意外なポリシー”とは

著者の沢木耕太郎さんと吉永小百合さん ©文藝春秋

「旅のバイブル」として根強い人気がある、ベストセラー『深夜特急』(新潮文庫)。その著者である沢木耕太郎が日本を北へ南へ、気の向くままに歩き続けた国内旅エッセイ集『 飛び立つ季節 旅のつばくろ 』(新潮社刊)の中から、かつて修善寺で対話した吉永小百合との思い出をつづったエッセイをお届けします。

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■竹林を歩きながら

 東京に生まれ育った私にとって、最も身近な観光地ということになると、やはり伊豆になるのかもしれない。

 10代の頃、近所の子たちを引き連れて初めて夏のキャンプをしたのも伊豆の海岸だったし、老いた父母と最後に一緒の旅をしたのも伊豆の温泉だった。

 それ以外にも、仕事に関係した多くの局面で、伊豆のどこかの観光地を訪れるということがあった。

 先日、久しぶりに列車に乗っての旅をしてみようと思い立った私が選んだのは、修善寺行きの「踊り子号」だった。

 長い間、名前だけは耳にしていながら一度も乗ったことがなかった。いつか乗ってみたいと思っていたが、なんとなく、いまがちょうどいい潮時のような気がしたのだ。

 朝9時、東京駅から「踊り子号」に乗り込んだ。熱海で下田行きの車両と切り離され、三島でJRから伊豆箱根鉄道の線路に斜めに入っていく。その斜行感がいかにもこれから半島に向かうのだということを示してくれているようで嬉しくなった。

 そのとき、ふと、かなり以前のことが思い出されてきた。

 あれは、東海道新幹線で三島まで出て、伊豆箱根鉄道に乗り換えて修善寺に向かうときのことだった。

 三島始発の列車の2両目に乗り、座っていると、しばらくして1両目に乗り込んで、こちらに歩いてくる女性が眼に入った。

 私は驚いて立ち上がり、女性が近づいてくるのを待って、挨拶をした。

 女性は吉永小百合だった。

 実はその日、私は修善寺の旅館で吉永さんと会うことになっていたのだ。

 当時、私はFMラジオで、自分が会いたいと望む人と会って話すという番組を担当していた。しかも、話す場所はスタジオではなく、相手の人が行きたいと望むどこにでも赴くという贅沢な番組だった。そこで、高倉健とは北海道の牧場で馬を見ながら、とか、美空ひばりとは赤坂の彼女の行きつけの料亭で酒を飲みながら、とかいうことになった。

 吉永さんとは、『天国の駅』という映画を撮影中だったこともあり、現場に近い修善寺の旅館で、ということになったのだ。

 だから、三島の駅で出くわすということもありえないことではなかったのだが、吉永さんほどの「スター」が自分と同じように鈍行の普通列車に乗るとは思っていなかったため、意表を衝かれたのだ。

 それだけではなかった。そのとき、吉永さんはひとりの女性と一緒だった。たぶん、主演女優として映画の撮影をするためには、身近にさまざまな雑事をこなしてくれる人が必要なのだろうが、しかし、その女性はマネージャーや付き人などというのとは異なり、仲のよい年下の友人といった印象の人だった。そして、その二人は、ごく普通の旅行客というようなさりげない格好をしていた。

 そう、吉永さんは、あらゆる意味において「普通」だった。スターである吉永さんは、ある時期から「普通」でありたいと願い、そのように生きることを意志している方だったのだ。たとえば、マネージメントひとつとっても人任せにせず、仕事の依頼を受けると自分で判断し、自分で返事をするようにされていた。

 実際、修善寺の旅館でのその夜の対話は、吉永さんがいかに細心に、いかに全力で「普通であること」を貫いてきたかに驚かされつづけることになるものだった……。

 昼前、「踊り子号」で修善寺駅に着いた私はバスで温泉街に向かった。吉永さんとお会いしたときは、翌日、すぐに東京へ帰ってしまったため、どこにも寄らなかった。

 私は、町の名前の由来となった修禅寺を参拝し、「竹林の小径」などというところを歩きながら、しかし、ぼんやりと考えていた。

 観光客は少しずつ増えているらしいが、やはりまだ普通の状態には戻っていない。

 この新しい型のウイルスの流行によって、多くの人が普通の日々を奪われて久しい。

 だが、私はできるだけ普通でありたいと思い、努めてそのように暮らしてきた。このウイルスとの長くなるだろう戦いには、可能な限り普通に暮らすことが必要ではないかという気がしていたからだ。

 細心の注意を払いつつ、全力で普通でありつづける。細心も、全力も、普通ということとは相反する言葉であるかもしれない。

 しかし、スターという特殊な立場にあった吉永さんが、普通であるために細心にして全力を尽くさなくてはならなかったように、ウイルスの流行というこの特別な状況においては、やはり「細心」と「全力」が「普通」であるために必須のものであるに違いないのだ。日常という名の、普通の生活が訪れるまでは。

(沢木 耕太郎)

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