小保方晴子やベッキーも…秘書・瀬尾まなほが語る、瀬戸内寂聴が“世間から叩かれている人に手を差し伸べた理由”とは

小保方晴子やベッキーも…秘書・瀬尾まなほが語る、瀬戸内寂聴が“世間から叩かれている人に手を差し伸べた理由”とは

瀬尾さん提供

 2021年11月、99歳でこの世を去った瀬戸内寂聴さん。作家として、僧侶として国民的に愛された寂聴さんを10年間そばで支えてきたのが、66歳年下の秘書・瀬尾まなほさんだ。

 出産したばかりの第二子を抱え、お母さんとともに上京していた瀬尾さんに、瀬戸内さんとの“なれそめ”から聞いた。

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■「不安のあまりお風呂場で一人泣きました」

――大学卒業後の2011年から寂聴さんのもとで働かれているそうですが、秘書になった経緯を教えて下さい。

瀬尾まなほさん(以降、瀬尾) お茶屋でアルバイトをしていた友人の紹介で面接に行ったのがきっかけでした。

 といっても面接らしい面接は何もなく、ただ1時間楽しくおしゃべりして終わり。私自身、「セトウチジャクチョウ……? あのお坊さん?」くらいの認識だったので、ある意味、なんの恐れもなかったからよかったのかもしれません(笑)。

――寂聴さんによる面接に合格して、新卒で「有限会社・寂」の社員となったわけですね。会社には課長とか部長といった役職はあるんですか。

瀬尾 ないです。社員も今は2名だけですし。私は必ずコピー用紙は裏紙を使うのですが、それをはじめて見た瀬戸内は「つつましくて関心だ」と褒めてくれました(笑)

 以前はもう少しスタッフがいたのですが、売上のすべてが瀬戸内の腕一本にかかっていることや、働いていた方も高齢だったこともあり、2013年に4人の職員が退職したんです。

――瀬尾さんはまだ寂聴さんのもとで働きはじめたばかりですよね。ベテランスタッフがいなくなる不安も大きかったのではないでしょうか。

瀬尾 当時私は25歳、瀬戸内のもとで働きだして3年目でした。瀬戸内という偉大な作家を私一人で支えられるのか、不安のあまりお風呂場で一人泣きました。

 ただ、これまでスタッフの方にやってもらっていた食事の支度や旅行の準備など、すべてを2人でこなすことで絆が深まり、「二人三脚でやっていこう」と肚をくくれたんです。瀬戸内はこの騒動を寂庵の「春の革命」と名付けていました。

■「寂庵に来ればいいのに」と言っていた

――加えて、寂聴さんがお付き合いする方は著名人といってもスーパースタークラスが少なくないですよね。秘書として対応するのも大変だったのではないでしょうか。

瀬尾 瀬戸内がいつもよりかしこまる方には、やっぱり私も緊張しました。例えば、政治家の野中広務さんや細川護熙さん、あとは僧侶でも偉い方とかになると、瀬戸内が「あっ」とかしこまるので、私もリンクして緊張してしまうという感じで(笑)。

 他にも、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成といった教科書に載っているような方々と実際に交流をしてきた瀬戸内なので、“生きる化石”ですよね。

――寂聴さんは、世間からバッシングを受けている人も寂庵に招かれていました。大麻所持で有罪判決を受けた萩原健一さんや、議員辞職直後の辻元清美さんらが身を寄せていたそうですね。

瀬尾 そのようです。「STAP細胞」の小保方晴子さんや、タレントのベッキーさんが世間から激しく糾弾されているときも心配していました。

 小保方さんとは雑誌の対談でご一緒し、電話などでもお話をして。「バッシングされたって気にすることないわよ」といつも勇気づけていました。あと、瀬戸内が一緒にメディアに出ることで世間の見る目が変わることもあるので、そういった意味もあっていろんな方との対談を積極的に引き受けていたようです。

 ベッキーさんとは直接交流はありませんでしたが、報道に触れるたび、「寂庵に来ればいいのに」と言っていたことを覚えています。

――世間から叩かれている人に手を差し伸べていたわけですね。寂聴さんを突き動かしていたものは何だったのでしょう。

瀬尾 瀬戸内にとっては、たとえば「STAP細胞の有無」は重要ではなくて、「社会的制裁」の方に気持ちが向いていたと思います。「世間の誰もが非難するなら、自分だけは味方でいなくては」という気持ちだったのではないでしょうか。

 かつて「子宮作家」と揶揄され、文壇を追放されたこともある瀬戸内だからこそわかる部分もあったかもしれません。

――ほんの一点シミがあるだけで、人格のすべてを否定する風潮があります。

瀬尾 瀬戸内の秘書をはじめてすぐの頃、「どう見たってこれはおかしい!」と思うことがありました。私自身、正義と悪、みたいな感じで正義を振りかざしていたようなところがあって。でも、瀬戸内はそのことについて承認したんですね。

 どうしても納得がいかなくて抗議したら、「すべてが白と黒ではっきり分けられるわけじゃない」と諭されました。若かったこともあってなかなか飲み込めなかったですが、今ならわかる気がします。

――「お坊さん」は清廉潔白でものの道理を説く人、というイメージですが、寂聴さんは「酒も飲むし嘘もつくけど、セックスだけはしていない」と、尼さんとしての“ダメっぷり”と矜持を率直に明かされていました(映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』より)。

瀬尾 「人生一度きり。だから、心が要求することはみんなしていい」とよく言っていました。「不倫だとしても恋愛のカミナリが落ちたなら仕方ない」とも。

 瀬戸内は何に対しても全身全霊で打ち込み、楽しんでいました。他人が考えた「善悪」でなく、自分の心に従って生きていたように思います。

■瀬戸内寂聴の“語り部”を続ける理由

――瀬尾さんは寂聴さんの“語り部”となっていると思います。プレッシャーはないですか。

瀬尾 瀬戸内が亡くなったとき、横尾忠則さんがすごく気にかけてくださって、「落ち着いたら瀬戸内さんとの思い出を話してください。それが瀬戸内さんにとっても供養になります」とメールをくださいました。

 それに私自身、「瀬戸内寂聴 秘書」という肩書きがなかったら何者でもないと言いますか、私は瀬戸内ありきの自分だと思ってるんです。なので「瀬戸内の話を聞きたい」と言ってくださることは、私にとってもありがたいことだと思っています。

――瀬尾さんが楽しく思い出話をしてくれたら、寂聴さんもきっと喜ばれますよね。

瀬尾 「私のことをどんどん話しなさい。あんた、今がチャンスよ!」と言うでしょうね(笑)。

 正直まだ心の整理がつかず、瀬戸内の写真や動画を見返すことができずにいます。でも瀬戸内は、「面白い話をしてみんなを喜ばせてあげて」と言う人。私もそろそろしんみりモードから脱却しなくちゃと思っています。

(小泉 なつみ)

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