「いま巨額の借金が抱えられるはずがありません」…消えかかる“全国指折りの名品”の行方〈2022年福島県沖地震から4ヵ月〉

「いま巨額の借金が抱えられるはずがありません」…消えかかる“全国指折りの名品”の行方〈2022年福島県沖地震から4ヵ月〉

明治建築の山形屋商店。2階には現在の福島県南相馬市出身で、戦後に憲法草案を提案した憲法学者、鈴木安蔵氏が旧制相馬中学に通うために下宿した

 3月16日に福島県沖を震源とする地震が起きてから、4カ月が経過する。メディアの報道はすっかりなくなり、人々の記憶からも薄れつつある。

 だが、最大震度6強を記録した福島県と宮城県の被災地では、極めて深刻なダメージが残っている。あの日のままのような場所も少なくない。

■全国でも指折りの醤油に迫る危機

 そうした中、醤油の品質の最高峰を決める全国醤油品評会(主催・日本醤油協会)の入賞蔵数が全国一となっている福島県でもナンバー1の実力を持ち、この10年間で最高賞を4度も受賞した同県相馬市の醤油蔵が、廃業か休業をよぎなくされそうになっている。

 明治建築の醸造蔵が全壊し、主力商品の製造が困難になったからだ。再建には多額の費用がかかり、借金まみれになりかねない。なんとか事業継続できないか道を探っているものの、現時点では非常に厳しいのが実情だ。

 この醤油蔵は「ヤマブン」のブランド名で親しまれてきた山形屋商店。

 江戸時代の1863(文久3)年、旧相馬藩の城下町で創業し、代表社員の渡辺和夫さん(52)は5代目の店主だ。

 醤油は濃い口で、深い旨味がありながらも、すっきりとして切れがいい。爽やかな香りが食欲をかきたてる。太平洋に面していて、海の幸が豊かな相馬市では、飲食店や旅館から「ヤマブン醤油がなければ魚料理の味が決まらない」とまで言われてきた。刺身には抜群に合う。

■この10年強、やむことなく続く災厄

 しかし、この10年強というもの、山形屋商店はたび重なる災厄に見舞われてきた。

 まず、2011年3月11日に発生した東日本大震災。相馬市では漁師町が津波に呑まれるなどして458人が犠牲になった。

 山形屋商店は津波が及ばない中心街にあったが、蔵の梁(はり)や壁が落ちるなどして半壊状態になった。瓶詰めしていた約1500本の醤油は、ケースごと吹き飛ばされて全て割れた。

 相馬市は東京電力福島第1原発から市役所の位置まで約45km離れている。原発事故による避難指示(原発から20km圏)や屋内退避指示(同30km圏)の区域にこそ入らなかったが、市内は大混乱に陥り、避難者も続出した。

 渡辺さんは2人の社員の安全を考え、給与を先渡しして避難を促した。ただ、自身は家族と共に店にとどまった。市内では食料品の販売店が休業するなどして困った市民が、「何か食べるものはありませんか」と頼って来ていたからだ。山形屋商店は醤油だけでなく、味噌や麹(こうじ)も製造販売しているので、蔵には原料の米がいっぱいあった。

 だが、その後の風評被害では、経営が傾きかねないほど売り上げが落ちた。

 原発は暴走を食い止めるために、冷却水に浸し続けなければならない。その過程で放射能に汚染された水が外部に漏れていたことが発覚すると、山形屋商店は県外の取り引き先を全て失った。

■「跡取り息子」ではない渡辺さんに店の存亡が委ねられた理由

 不幸は重なる。先代店主の義父が東日本大震災の翌年に亡くなり、店の存亡は渡辺さんの手に委ねられた。

 渡辺さんは山形屋商店の跡取り息子ではない。同じ相馬市内の生まれだが、大学では経営学を修めて地元の銀行に就職した。山形屋商店には30歳で婿に入り、義父の意向で丁稚(でっち)奉公から始めた。

 朝は誰よりも早く蔵に出て作業の準備をする。夜は最後まで残って掃除する。その丁稚奉公の最終盤で震災に遭ったのだ。

 どう乗り切ればいいのか。1人で悩むことが多かった渡辺さんは、福島県醤油醸造協同組合の勉強会に出席するようになった。震災の年、清酒にならって始まった会合だった。

 福島県は清酒の評価が高い。今年の全国新酒鑑評会では金賞に選ばれた蔵の数が9年連続で日本一になったほどだ。その快進撃は震災前から始まっていた。「清酒が頑張っているのだから、醤油も続こう」と県内の醤油蔵からやる気のある経営者や醸造責任者が集まって勉強会を開き、持ち寄った自社の醤油を「きき味(み)」して互いに批評し合った。

 これに刺激を受けた渡辺さんは、全国醤油品評会で何度も入賞していた宮城県の醤油を買い求め、毎日のように「きき味」をして比較研究した。そして独自の製造方法にたどり着いた。

■震災から2年後、たどり着いた最高賞の意味

 醤油は大豆や小麦から麹を造り、乳酸菌と酵母菌で半年間発酵させて「生揚(きあ)げ」と呼ばれる生醤油を製造する。これに副原料を加えて、加熱(火入れ)をすると、香ばしく赤みがかった醤油になる。

 福島県の醤油醸造方法は「福島方式」と呼ばれ、生揚げまでは協同組合の工場で一括して製造している。これを各蔵が仕入れ、工夫した副原料で火入れして、独自の味に仕上げている。

 渡辺さんは、副原料に義父考案の「かえし」を使うと、非常に美味しくなると気づいた。「かえし」とは、薄めるとそばづゆや天つゆになる調味料だ。

 さらに、火入れの段階で温度を高めにするなどして、香りを飛ばすだけ飛ばしてしまう。芳醇な香りが求められる醤油には禁じ手のようだが、渡辺さんは逆に「逃げるべくして逃げる香りもある」と考え、残った香りを大切に熟成させるようにした。

 そうしてできた醤油を、震災から2年後の2013年、初めて全国醤油品評会に出品すると、最高賞の農林水産大臣賞に選ばれた。

 この賞を取るのがどれだけ難しいか。清酒の全国新酒鑑評会と比べれば分かる。清酒の鑑評会は2021年度、出品された新酒826点のうち、最高賞の金賞となったのは205点だった。ほぼ4分の1が受賞できた計算になる。

 一方、醤油。渡辺さんが受賞した2013年は、263点の出品に対して、最高賞の農林水産大臣賞は4点だった。ごくひと握りしか選ばれない最高峰なのである。

 初出品で受賞した渡辺さんに対しては「まぐれではないか」と評する声もあったが、翌2014年も大臣賞に輝いた。2016年と2017年にも受賞して、5年間に4回も最高賞を与えられるという快挙を成し遂げた。2019年には次席の農林水産省食料産業局長賞を受賞している。

 研究の成果や開発した技術は、他の蔵から「学びたい」という申し出があれば、「切磋琢磨して皆で美味しい醤油を造っていこう」と惜しみなく教えた。渡辺さんは福島県の醤油業界でも頼られる存在になっていった。

■台風、感染症…再び暗転の日々。そして…

 ところが2019年10月、農林水産省食料産業局長賞に選ばれたという知らせが届いた直後から、山形屋商店の運命は再び暗転していく。

 同年10月12日〜13日、台風19号が静岡県に上陸し、福島県にかけて縦断した。さらに10月25日には集中豪雨が発生し、相馬市では2週間のうちに2度も水害に見舞われた。山形屋商店も浸水被害に遭い、原料が水没するなどした。

 2020年には春先から新型コロナウイルス感染症が全国で蔓延(まんえん)し、飲食店や旅館が休業を迫られて消費が落ちた。山形屋商店の経営ももちろん悪化した。

 そうしたさなかの2021年2月13日、福島県沖を震源とする地震が発生し、相馬市は震度6強に見舞われた。

 その約1年後の2022年3月16日の午後11時36分、また震度6強の地震に襲われた。

「最初は突き上げられるような揺れでした。これは震度5弱だったようです。その2分後、さらに大きな揺れが起きました。すさまじく左右に揺さぶられ、もうダメかと思ったほどでした」(渡辺さん)

 相馬市内では「震災、2021年の震度6強、そして今回の震度6強と、揺れの激しさがどんどん増して、地震のたびに被害が拡大している」と指摘する人が多い。

■明るくなってから確認すると、四つある蔵はどれも大破していた

 山形屋商店では今回、店舗の冷蔵ショーケースが、入口のガラス戸を突き破って道路に飛び出した。ショーケースがあった場所には、さらにその後ろから木製の陳列棚が飛んで来て、のしかかった。

「深夜の発生だったのが不幸中の幸いでした。もし店に人がいたらただでは済まなかったでしょう。歩行者に危害を及ぼしたかもしれませんでした」と、渡辺さんは思い出すだに身震いする。

 明るくなってから確認すると、四つある蔵はどれも大破していた。

 床には至るところにヒビが入り、蔵の壁はどっさり落ちていた。外が丸見えになっている場所もあった。東日本大震災ではびくともしなかった石蔵も、入口の戸が吹き飛んで石が落ち、今にも倒壊しそうだった。

 蔵は全体に柱が斜めになっているようで、折れた柱もあった。雨が降れば、屋外にいるかのように雨漏りし、ジョロジョロと音を立てて流れる場所もある。

■なんとか再開にこぎつけたが、どうしても復旧できなかったものが…

 市役所の被害調査では「全壊」。ただし、醤油の製造はなんとか再開にこぎつけた。「福島方式」では組合が生揚げを製造するので、山形屋商店で副原料の製造と火入れだけ行えれば商品にできたのである。しかし、味噌の製造ラインはどうしても復旧できなかった。

 それでも600万円ほどかけて、少量なら造れる応急の製造ラインを構築した。城下町の相馬では各戸で味噌を備蓄する「仕込み味噌」の文化が残っている。山形屋商店で仕込んだ味噌を、家庭で1年間保存して熟成させ、その後の1年間で食べるのだ。

「例年は200軒以上の申し込みがあります。今年はチラシも配らなかったのに、150軒以上の方から依頼がありました。相馬の食文化ですから『できない』とは言えません。そのため応急復旧を急いだのですが、大豆を蒸かす工程はどうしても無理でした。他の業者の空いてる時間に小さな釜を使わせてもらい、蒸かした後にうちまで運んでいます」(渡辺さん)

 山形屋商店の収益は、手作りの天然醸造味噌が主軸だ。醤油は全国屈指の品質でも利幅が薄い。1本買えば、何ヵ月も持つような醤油では商売にならないのである。だが、味噌の製造を復活させるには、いつ倒壊するかもしれない蔵を解体し、新たに工場を建設して、機械を入れなければならない。これには巨額の資金が必要になるだけでなく、時間もかかる。

 政府や県の補助制度はあるものの、自己資金が必要だ。味噌醤油製造という斜陽の業界で、どれだけ返済できるかは見通せない。

■「今後もマグニチュード7以上の地震が数年に1度起きても不思議ではない」とする地震学者も…

「悪いことに、相馬市では震災後、原発事故やたび重なる災害もあって、人口減少や消費の低迷が続いています。そこにコロナ禍が加わって、さらに消費が落ちました。

 うちもコロナ禍を切り抜けるために借金をしています。なのに、原料費はうなぎのぼりに上昇し、物価高でもっと消費が落ちると言われています。それだけではありません。政府と東電は事故を起こした原発の冷却に使った汚染水を処理して、来年には海洋放流する予定です。必ず風評被害が起きると想定されていて、かつて汚染水漏れが発覚した時のような影響があるのではないかと心配しています。

 このような状態で巨額の借金が抱えられるはずがありません。事業は続けたい。でも無理をすれば、借金まみれになって、首が回らなくなってしまいます」

 渡辺さんは苦しげに語る。銀行員時代には、借金に借金を重ねて雪だるまになり、破産したり、家を手放したりした人を多く見てきた。

「今後もマグニチュード7以上の地震が数年に1度起きても不思議ではない」とする地震学者もいて、「復旧工事をしても、またやられるだけ。相馬市で事業を続けられるのか」と話す事業者が少なくない。「私も含めて、皆さんすごく悩んでいます」。渡辺さんは苦悶の表情だ。

■「在庫が底を突くまでには、あと1年程度です」

 山形屋商店をどうするか。その結論は一定の時期までに出さなければならない。というのも、既にカウントダウンが始まっているのだ。

 天然醸造味噌の発酵には夏の暑さが必要だ。しかし、製造ラインが復旧できなかった今年は、仕込めないで終わった。

「在庫が底を突くまでには、あと1年程度です。学校給食にも1年契約で提供しているのですが、今年の契約分までしかありません。遅くとも1年後までには店をどうするか、決断しなければなりません」(渡辺さん)

 補助金などの内容を精査しているものの、事業廃止か休業が大きな選択肢として浮かんでいる。

「来年は創業160年の節目です。その記念すべき年に一区切りという形になるのか。160年も地域に貢献できたのだから、もう十分に役割は果たしたじゃないかと言うべきなのか」

 このような名店が本当になくなってしまうのだろうか。

 報じられず、関心も持たれなくなった被災地の現場には、あまりにも悲しい物語がある。

撮影=葉上太郎

補強しても地震のたびに被災、下りない保険、借金も認められず…2022年福島県沖地震「またひとつ“最後の名店”が消えた日」 へ続く

(葉上 太郎)

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