「ファンの人はいい時のことを記憶していてつらい」沢村栄治が語った戦時下のアスリートの苦悩

「ファンの人はいい時のことを記憶していてつらい」沢村栄治が語った戦時下のアスリートの苦悩

※写真はイメージ ©iStock.com

「戦友が次から次へと死んでしまう。野球のことは考えられなかった」伝説のアスリートが見た中国戦線の地獄 から続く

 1934年に来日したベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらのメジャーリーグ選抜チームから次々と三振を取った伝説的なプロ野球選手の沢村栄治。そして日本ライト級王者として活躍した笹崎?。当時絶大な人気を誇った両者が日中戦争下の1940年、帰国後に戦地を語り合った。『 文藝春秋が見た戦争と日本人 』より、一部を抜粋して引用する。(初出:『オール讀物』1940年9月号「帰還二勇士戦争とスポーツを語る」)

◆ ◆ ◆

■本当にご苦労さんだ、と言われるとどんな苦労も忘れるのですが……

笹崎 戦地に行く前は僕らわりと無関心でおったのですが、帰って来てからは、いろいろな社会の面や政治とかに無関心でおられなくなりました。また帰還した人が、銀座あたりを歩いている着飾った人を見るとこづら憎くなるというが、やはり僕らもそう感じますね。向うにいる時は、銀座を歩いている人がないとか、ずいぶんそういうことを聞いたのですが、帰って来て見ると少しも変りがない。

 そういう方面を見ると何だかだまされたような気持も多少ありました。帰還兵の方は、たいがい帰って来た当座は何となくそういう華やかなものに対して反抗心を持つらしいです、時日が経つにしたがって、しだいにそれが消えて行きますが、現在では、自分が憤慨を買うような態度をやるのではないかと思ってびくびくすることもあります。

――沢村さんはどうですか。

沢村 やはり同じですね。私達は〇〇(ママ)に帰って来たんですが、今まで娯楽機関とかいうものは全然ないし、女といえば向うの姑娘(クーニヤン)ですから、〇〇(ママ)に上陸して男と女とが歩いているのを見ると、そりゃ癪に障るのです。

 私は一線部隊のままの服装で帰って来たんですからね、ひげっ面で……。帰って来て嬉しいには違いないが、自分達はこんなに苦労しているのに男と女が一緒にふらふらしているのかと、むかつきますね、そういう考えは間違っているかもしれませんが……。

笹崎 本当にご苦労さんだという言葉を言われると、どんな苦労も忘れるのですが、あんがい無関心な人もありますね。もっとも心と表現と違う場合もありましょうが。

沢村 慣れてしまうのですね。熱しやすく冷めやすいのが欠点だ。

笹崎 その点田舎に行くほどいいですね。農村の人は忘れないで、慰問文、慰問袋を送ってよこします。

〈戦地での慰問やファンからの手紙に感激したという二人。やがて話は、カムバックした時の苦労に移っていく〉

笹崎 僕らは多少自分が病院生活をやって来たということがいつも心にあったから、自分の肉体に自信があっても、やはり心の中に弱くなったのではないかという不安があったのですね。しかし、戦場に一度捨てた命を拳闘の方で頑張ろうという真剣な気持がずいぶん強いです。だから帰って来てから、人一倍の練習をやり通すつもりです。朝は五時頃から練習しています。

笹崎 三、四日経ってからすぐ始めました。

■ファンの人は、調子の良い時のことばかり記憶していて、とてもつらいです。

沢村 僕は以前のことは全部忘れることがいいと思って、新しく出発しようと思ってやっているのです。以前のことは以前で、アメリカに行ったとか、いろいろな華やかな生活があったとかいう気持でいたら失敗するのではないかと思うのです。

 それで人一倍練習はしたいのですが、それにはやはり自分の体を以前の体に戻してからやろうと思っております。向うでマラリヤをやっておりますし、わずかの間であったが、人間としてこれ以上耐えられんというところまで行った体ですから、筋肉労働をするまでには、自分の体を整えてからやった方がいいと思っております。

 野球というものも、片手でボールを投げてしまえばいいと思えばそれまでですが、やはり足の先から順々にやって行かなければなりません。ランニングをして腰を強くするとか、いろいろ基礎練習をしてから初めてボールを持って投げるので、無理をして一時線香花火のようによくても、長続きしません。ゆっくり徐々にやって行くつもりです。まあ初年兵からやり直すつもりです。

笹崎 帰ってから二度試合をやりましたが、自分としては出征前と少しも変らないと思っているのに、ファンに聞きますと、前のようなコンディションになっていないと言われます。

沢村 ファンの人は、調子の良い時のことばかり記憶していて、悪い時のことはみんな忘れているので、とてもつらいです。

■沢村栄治が夢見ていた試合とは……

笹崎 今度自分が帰って来て、考えたことは野球を見ても相撲を見ても、協会という確乎たるものがありますが、拳闘にはそういう体系だったものがないのです。一時あったこともありますが、すぐ瓦解したりしまして……。ところが幸いつい最近になって警視庁の斡旋で協会が出来るような運びになって来たんです。

 それでその進行過程にあるんですが、それが早く出来て明朗な拳闘界になるよう心から切望しているしだいです。そういうものが出来て、選手の生活の安定とか、もし怪我をした場合の傷害保険の契約とかしてくれるようになると、安心して拳闘家として生活して行けると思います。

 そうすれば同時にプロモーターや審判の権威もさらに確乎たるものになるのですから、この際大乗的見地から、少しくらいの利害や面目を棄てて合同して明朗化を図ってくれるといいのですが……。

沢村 そうですね。私達の方はしっかりした人がきちっとした制度の下にやってくれていますから、選手さえプレーをうまくやったらそれで良いのです。うまくならなければ駄目ですよ。戦地に行く前は学生野球とどっちがうまいかなんて言われたんですが、現在ではそういうことをいう人は少くなったのです。

 ただもう少し選手の疲労とかそういうものを考えてくれて、スケジュールを決めてくれたら良いと思います。そうすれば個人の技術もうまくなるだろうし、将来は日本だけで満足せずアメリカとやるのが理想ですからね。

笹崎 沢村さんの話で自分達も思うのですが、選手である以上はとにかく遮二無二強くなるということがいいのです。それがモットーですね。

――職業野球はうまくなりましたね。巨人軍なんか特に……。

沢村 結局今の巨人軍がリーグで二位と下らないというのは、以前にアメリカに行ったせいでしょう。それで向うのチームを見て本当の野球というものを掴んで来たんです。六大学ならピッチャーがうまかったら優勝しますが、私達はそれが出来ないのです。ピッチャーだけでなくチームの力というものが平均して行かなければならない。それが巨人軍はうまいのですよ。

 それは向うに行って長所を掴んで来たからです。それでいつやっても強いこともなければ弱いこともない。他のチームだったら馬鹿に調子のいい時もあるが、がたっと弱くなったりする。各チームとも巨人軍の良いところを掴んで、各チームともそうなったらずっと面白くなって行くんです。

――巨人軍は一番チームワークが良いように思いますが。

沢村 結局自分というものを考えるとチームを考えます。チームなくして自分の存在はないんですから。仮に試合の前日酒を呑んで、そのために自分のチームが敗けたとしたら、何と申し訳けして良いか判りません。だから酒はほとんど呑みません。

笹崎 とにかくスポーツは勝たなければならんのですからね。

■スポーツも戦争も正々堂々とやって負けたら仕方がない、ではなく……

沢村 戦争と同じですね。正々堂々とやって負けたら仕方がない。それでは駄目なんです。正々堂々とやって絶対に勝たなければならん。それがためには野球は個人ばかりがうまくても駄目で、団体的に融和を図らなければならん。

 ユニフォームを着た以上は年齢も経歴もない、あれは大学を出たからどうだとか、小学校だけだからどうだとかいうことがあってはならない。それから監督には絶対的に服従しなければ駄目です。監督も神様でないから間違うこともたくさんありますが……。

笹崎 拳闘なんか、その点は個人でやるのですから、本人の気持しだいでいいわけですが、ただ良いリーダーとかコーチャーが必要です。拳闘も向うから来たものですが、立派に日本的のスポーツともなり得ると思います。世界選手権までにはまだ進出していませんが、日本人の気性にはとても合っているし、これから連盟でも出来て多数の選手が輩出すれば、アメリカの選手にも堂々挑戦して行けると思います。

――お暑いところどうもありがとうございました。

※本記事は『 文藝春秋が見た戦争と日本人 』に掲載された「特別対談アスリートが見た戦場」を一部抜粋し、改稿を加えたものです。

(沢村 栄治,笹崎 ?/文春ムック 文藝春秋が見た戦争と日本人)

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