「『君たちは身体を大切にせい』と言って、あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで手榴弾の音が…」“日本軍”として戦った台湾原住民が見た「終戦の瞬間」

「『君たちは身体を大切にせい』と言って、あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで手榴弾の音が…」“日本軍”として戦った台湾原住民が見た「終戦の瞬間」

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「これは人間の肉じゃないぞ。猪の肉だぞ」と自分に言い聞かせ…“日本軍”になった台湾原住民と太平洋戦争の「人肉食」 から続く

 数多くの犠牲者を出した太平洋戦争。その中に、日本兵として戦った、日本植民地下の台湾原住民もいる。

 軍属・兵士として太平洋戦争に動員、南洋戦場に投入され悲惨なゲリラ戦を戦った台湾の原住民を中心とした部隊「高砂義勇隊」。彼らが見たその知られざる壮絶な戦場とは――。『 日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊 』(平凡社新書)より、一部を抜粋して転載する。

◆◆◆

 日本の無条件降伏の時が来た。当時のことについて、高砂義勇隊に参加しニューギニア戦線を戦ったロシン・ユーラオ氏に質問した。

■「玉砕だ! 玉砕だ! 」

菊池:敗戦時の状況はどうでしたか。

ロシン・ユーラオ:戦争がそろそろ終わる。けれども日本兵も高砂義勇隊もそのことが分からない。戦争が続くと思っていた。

 ところが、アメリカ軍が飛行機で主に高砂義勇隊に対して大量の宣伝ビラを次々落としていくでしょう。「日本はすでに負けた。高砂族は帰国したほうがよい」とか、「高砂義勇隊は家に帰りなさい」とか、そうした内容であった。

 でも、そんな宣伝ビラを、僕たちは誰も信じなかった。そこで、その後も戦いつづけた。……アメリカ軍と戦うのは面白い。

菊池:「面白い」とはどういう意味ですか。

ロシン・ユーラオ:僕たちは敵を待ち伏せて攻撃した。アメリカ兵は身体が大きいので、鉄砲の弾に当たりやすい。アメリカ兵はすぐに逃げる。アメリカ兵は逃げきると、大砲を撃ってきた。今度は高砂義勇隊が逃げる。

……時には、僕たちがアメリカ軍の近くに行って、銃撃して逃げる。アメリカ兵に弾が当たっているのかどうか分からない。とにかく撃って、逃げる。

……そうすると、アメリカ軍は大砲を撃ってくる。それで逃げるでしょう。大砲が止むと、また近づき鉄砲を撃ち、そして逃げる。また大砲を撃ってくる。それが止むと、また近づいていく。その繰り返し……。

菊池:日本兵はどうでしたか。

ロシン・ユーラオ:もちろん日本兵も「負けた」とは思わず、上からの命令がなければ降参しない。まだ残って戦おうとした。

 そうこうしているうちに、日本軍部から3回にわたって、大隊長、中隊長、小隊長に対して玉砕命令が出た。その命令を受けて、隊長がね、「玉砕だ! 玉砕だ! 戦えるだけ戦おう。もうアメリカ軍に囲まれている。玉砕に行くぞ!」とか言う。

……昭和20(1945)年8月15日には、日本は負けたでしょう。でも、僕たちもそれを知らなかったから、高砂義勇隊は9月になっても戦いつづけた。日本降伏後も、戦闘は何十回もあった。そのうち、大きいのが2、3回。アメリカの飛行機が落とすビラの内容を「?だ」と思っているしね。だから、一生懸命戦いつづけた。

■日本の敗戦を知ったのは9月中旬。あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで…

菊池:それじゃ日本敗戦を知ったのはいつ頃ですか。

ロシン・ユーラオ:9月中旬ですよ。日本人の大尉、少尉各1人、それに高砂義勇隊の2人が白旗を掲げて陣地に戻ってきた。その時、僕たちは「日本が本当に負けた」と思った。

菊池:日本の降伏後、知らずに1ヵ月も戦いつづけたのですね。

ロシン・ユーラオ:そうそう。日本敗戦時、師団長を頭に50人くらいの日本兵が頑張って戦っていたが、「もう負けた。君たちは身体を大切にせい」と僕たちに言い、その後、「天皇陛下ばんざーい」と言ってバーン。陸軍軍曹らは「天皇陛下万歳!」と言って、手榴弾で自殺した。ある部分の日本兵は切腹した。……あっちでもバーン、こっちでもバーンと、あちこちで自殺した。

菊池:手榴弾で自決したのですね。みんな死んだのですね。

ロシン・ユーラオ:日本兵がだよ。高砂義勇隊の隊員ではない。

菊池:高砂族で切腹した人はいますか。

ロシン・ユーラオ:それはない。高砂族で切腹した人はいない。日本兵は切腹したり、手榴弾自殺をしたが、高砂義勇隊の隊員は切腹も、手榴弾自殺もしなかった。僕たちまでが死ぬ必要はないでしょう。

■日本兵の「集団自殺」と高砂義勇隊

 戦争末期に「玉砕命令」が出た時、参謀らは苛立ち、部下を怒鳴りつけ、殴った。高砂義勇隊は最後の斬込隊に出ると言われた。潜入攻撃と異なり、斬込隊はある意味で「特攻隊」であり、生還できない場合が多い。

 そこで、義勇隊の何人かがジャングルの奧に逃亡した。高砂義勇隊員はわずかでも生還できる可能性があれば勇敢に戦うが、薫空挺隊の奇襲作戦を例外とすれば、全滅が確定し、確実な死が待っている戦闘には参加しない傾向があった。

 薫空挺隊の場合、軍上層部はともあれ、義勇隊員は生還できる可能性があると考えていたのではないか。

 アミ族の張陳龍明(第五回高砂義勇隊か)は次のように話す。

〈──戦争が間もなく終わろうとしていた。歩いていると、山の中に義勇隊戦没者の多くのヘルメットが置かれた「墳墓」があった。その中の一つはヘルメットではなく、義勇隊員の頭蓋骨が置かれていた。私は頭蓋骨に語りかけた。

「あなたも台湾の原住民でしょう。生前、知っている人ですか。私と同じアミ族ですか。あなたは死んでしまった。私もここで死ぬかもしれない」。

 そう語りかけているうち、私はこらえきれず、大声で泣いてしまった。〉

■「玉音放送」、その瞬間に起こったこと

「玉音放送」や日本敗戦時の経験に関しては、共通性もあるが、部隊によって対応がさまざまだったようだ。

 タイヤル族のワリス・バワン(中国名は許明貴)によれば、

〈──部隊のラジオで放送を聞いた時、すべての人々は起立した。なぜなら天皇の声だったからである。だが、まさか日本の敗戦を宣言するとは思わなかった。その後、「すべての部隊は武器を捨て、連合軍とのすべての戦闘を停止せよ」と続いた。

 皆、泣いた。私も泣いた。熱帯ジャングルでの長い戦いを思い出し、また次々と死んでいった戦友たちを思った。この戦争はどれだけ多くの命を奪ったのか。

 この後、日本軍官や日本兵たちは集団自殺を選んだ。幾人かはジャングルに入っていき、ピストル自殺をした。〉

 日本では天皇、日本帝国のために出征し、戦死することを崇高なものと教えている。また、『戦陣訓』で「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ、死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」を骨の髄まで染み込ませている。

 したがって、日本兵は死ぬ前、「天皇陛下万歳!」と言って死ぬことになっている。だが、実際は、日本兵の1人は確かに「天皇陛下万歳!」と言って自爆したが、多くの日本兵は「お父さん、お母さん」と言って自爆した。

■「命を大切にし、故郷の父母や子供のことを考えなさい」

 また、ツオウ族の荘銀池(第三回高砂義勇隊)によれば、

〈──ある日、アメリカ軍側の放送局から日本語の声が流れた。高砂義勇隊員はその放送局を破壊しに行こうとしたところ、突然「静粛に」と言われた。それはなんと天皇の声であり、日本が敗戦したことを告げる「玉音放送」であった。

 したがって、われわれに「付近の連合軍に投降せよ」とのことであった。当初、日本兵も義勇隊員も日本敗戦のニュースを受け入れることができなかった。日本兵も義勇隊員も泣き叫び、ある日本将校は「一斉に自決しよう」と呼びかけた。

 だが、部隊長は放送の内容を信じず、割腹自殺を許さず、アメリカ軍の謀略であると断じた。その直後から飛行機でビラが何度も撒かれ、次第に日本敗戦を受け入れるようになった。〉

 アミ族の張陳龍明の部隊には通信機器はすでになく、「玉音放送」は聞いていない。ただしアメリカ空軍が投下した日本語の「戦争は終わった」というビラを見た。

「日本兵は集団自殺する必要はない。命を大切にし、故郷の父母や子供のことを考えなさい」という内容だった。七個支隊は信じず、抽選で一個支隊を平地に探りに派遣した。

 その結果、日本の敗戦は間違いないと判明し、ジャングルを出てアメリカ軍に集団投降した。この時、初めて「玉音放送」を聞いた。アメリカ軍は自動車に備え付けた録音機で繰り返し「玉音放送」を流しつづけていた。ただし、誰もそれが「天皇の声」だとは信じなかった。

(菊池 一隆)

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