「判決は全て不正だったと思います」ソ連に裁かれ、日本に見捨てられた「女性受刑者たち」のその後

「判決は全て不正だったと思います」ソ連に裁かれ、日本に見捨てられた「女性受刑者たち」のその後

ソ連に囚われた日本の女性たちはその後どうなったのか? 写真はイメージです ©iStock.com

「シベリアに女はいないはずですよ」と…数百人いたはずの“女性抑留者たち”の存在は、なぜ歴史から消えたのか? から続く

「サハリン(樺太)では多くの日本人が残っていたため、女性が逮捕され、裁判が行われたという記録もあります。いずれにしても、その判決は全て不正だったと思います」

 戦中、シベリアの監獄に不当に送られた日本人女性たちは、その後どうなったのか? ドキュメンタリーディレクターの小柳ちひろ氏の新刊『 女たちのシベリア抑留 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■ソ連の“女囚”となった日本人

 ソ連で裁判にかけられた女性は、果たして何人いたのだろうか。

 日本人抑留問題研究の第一人者、アレクセイ・キリチェンコは言う。

「何人の女性が刑を受けたのか、はっきりした数字はわかりません。日本軍の特務機関などに勤めていた女性もいたでしょうし、またサハリン(樺太)では多くの日本人が残っていたため、女性が逮捕され、裁判が行われたという記録もあります。いずれにしても、その判決は全て不正だったと思います。ご存知のように裁判はソ連の国内法で裁かれました。主に第58条(反革命罪)が適用されています。しかしソ連人でもないのにソ連の刑法でスパイに問われるということがあり得るでしょうか? 仮に裁判が行われるならば、国際裁判であるべきでした。例えばニュルンベルク裁判や東京裁判のように」

 ソ連で刑を受けた日本人は、長期抑留者たちが帰国後に作った団体「ソ連長期抑留者同盟」(のちの朔北会)によれば、男女合わせて2689名。その他、一部重複している可能性もあるが、樺太で刑を受けシベリアに送られた者は2972名に上る(北海道庁、1955年)。

 この中に、女性は何人いたのか。私が調査した範囲では114名の氏名が明らかになったが、この数字が全体の何パーセントに当たるのかは見当もつかない。

 シベリアの監獄に送られた女性たちの存在は、当時、日本社会にどのように伝えられたのだろうか。

 一枚の古い新聞記事のコピーがある。満蒙開拓団について詳細な調査を続けている新潟県在住の郷土史家、高橋健男氏から提供されたものだ。

 記事の見出しは「あゝ日本へはもう帰れない」「郷愁に心も狂う 重労働に泣く五女囚」。少し長くなるが、当時の状況をよく伝えているため全文を引用したい。

■毎日新聞が報じた「元兵士による目撃報告」

 シベリヤの奥地、バイカル湖の西方タイシエトからさらにその西方の彼方にあるソ連の“女子戦犯収容所”に密行し、ここに収容されている五人の日本人女性に会ってきたという一引揚者がある。この引揚者は、去る一月廿日入港の高砂丸で帰国した南蒲原郡大面村西大湊、野村勝次氏(三三)で、同氏はタイシエト地区収容所一七八分所の抑留者世話係を務めていたが昨年八月初め、同じ分所でソ連大尉の当番をしていた山形県出身の今光雄という抑留者とともに、同分所から最も離れた地点にあるソ連、朝鮮、その他各国の戦犯婦人ばかり約一千二百名を収容している通称“一九五収容所”でソ連の看守兵のすきをうかがい辛じて作業中の日本婦人五名と決死の会見をしたというのである、しかも野村氏は既に昨年九月か十月頃引揚げているはずの今光雄氏を探し出し、相談の上なんとか出来るものならあの女捕虜の帰国促進の陳情をしたいと今氏を探している、以下は野村氏の語る鉄のカーテンに秘められた“シベリヤ女捕虜幽へい物語”である。

 私達のその“女戦犯収容所”への密行は昨年の八月初旬から九月にかけ、厳重な監視の眼を避けながら汽車で行ったり、馬に乗って出かけたり三回にわたって試みられた。そして三回目にようやく目的を達し千二百名の各国女子収容者に混っていた五人の日本婦人に会うことができた。

 はじめて会った時、彼女たちは『三年ぶりで見た日本の男』と泣いて喜んだ。丁度作業中で支給されたズボン一つでそのズボンもボロボロでシャツはぬぎ半裸の姿で女とは名ばかり、髪は無造作に束ねて油気もなくモッコ担ぎや石運びの重労働作業をしていた。

 一人は元憲兵の妻だったという某女(二八)、他の四人はいずれも二三歳から二五歳までの若い娘で、元関東軍司令部の電話交換手をしていたという。出身地は山形、青森、秋田、北海道などで残念ながら名前は忘れてしまった。彼女たちの話では昭和二一年春満州から三八度線を目指して南下した列車に乗ったが途中で下車させられ身元調査によって元軍人や官吏の家族、軍部の従業員だったことが知れ、各国戦犯婦人一千余名が収容されているシベリヤの奥地タイシエトに送られたものである。憲兵の妻だった某女は単に憲兵の妻だったという理由からタイシエトの戦争裁判にかけられ労役一六年、他の四名は同じように軍部の従業員であったという理由で八年から一〇年の労役を科せられたという。

 同収容所には独ソ戦当時独軍の占領地で敵国の糧秣を運搬したというソ連婦人たちや朝鮮の婦人たちが大多数をしめ日本人は彼女ら五名だけであった。

『私達に何の罪があるというのだ 帰して下さい、帰して下さい、帰せ』彼女らは来る日も来る日もはるかに日本とおぼしき空の果をながめ悲嘆の涙に明け暮れたという。何という残酷、何という非人道であろうか。罪のないものを捕虜とするソ連の冷血さはまだまだ続いている。食糧もごくわずか、薬も医者も与えず次第に衰弱してゆくという状態、自然、収容所内の生活は連日食にうえた女同士のけんか怒号、リンチが繰り返され身を切られるような望郷の念に駆られ一人はほとんど半狂乱の状態であった。絶望感に死を決意したことも幾度かあるという。

 ノルマはひどく全く男そのままの生活で、時にはソ連の看守兵や収容所を訪ねるソ連将校などが理不尽にも貞操を迫り生きた心地がないといっていた。『私たちと同じような日本婦人が他の収容所にもいるかしら』と同胞を気づかう彼女達はひしひしと迫る望郷の念に『ああ私達はもう日本へ帰れないのかしら、一目でいい、お母さんに会って死にたい、一度だけでいい日本の土を踏んでみたい』とほほを涙でぬらし『どうかして帰る術はないか』と私をかき口説いた。だが私にしたところでこの厳重な監視の網の目をかすめてどうして彼女達を逃亡させてやれるだろう。ああそれは余りにも無謀である。何故かといえばこの奥地からはこれまで一度も逃亡して成功したためしはなく発見されれば当然銃殺である。それよりは時機を待つことだ。私は必ず彼女達が救われる日を確信し祈念して秘かにそこを抜け出したが絶望にゆがんだ彼女達のあの顔は今なおまざまざと目に焼きついている。

(毎日新聞〈新潟版〉1950年3月16日付)

 こうした女性たちの存在は、シベリアに抑留された兵士たちの間でごく一部の者には知られていたものの、社会の大きな関心を呼び起こすことはなかった。戦後、人々は何より生活を再建することに必死だった。元兵士たちについては、一家の稼ぎ手として早期帰国を求める様々な運動が起こったものの、女性たちについてそうした声が上がったという例はほとんどない。ソ連に捕われた女性たちを救おうという機運が高まることはなく、事実上、彼女たちの存在は見棄てられた。

 その理由は、どこにあるのだろうか。日本政府の無作為という問題だけではない。当時の日本社会における女性の位置づけと深く関わっている。なぜ人々は沈黙したのか。その理由は、受刑者の女性たちの断片的な記録からもおのずと浮かび上がってきた。

■女性受刑者たちの肖像

 ソ連で刑を受けた女性たちとは、どのような人々であったのか。彼女たちのうち何人かは、帰国後に回想録を刊行している。

 赤羽(のちの坂間)文子は、大連のソ連領事館で日本語教師をしていた経歴がスパイ罪に問われ、5年間の強制労働を科せられ、その後さらに5年間カザフスタンに流刑され1955年4月、帰国した。彼女の回想録『雪原にひとり囚われて』は、淡々とした筆致で抑留生活が描かれており、随所に手書きのカットが挿入され、紀行文のような味わいがある。

 益田泉は同じく大連でロシア人学校の日本語教師を務めていた。終戦後の1949年、ソ連軍工業局の傘下にある工場で通訳として働いていた時にスパイとして捕えられ、1953年12月に帰国した。親族に特務機関員がいたことも災いしたらしい。旅順監獄を経てウラジオストク、ハバロフスク、イルクーツク、タイシェットの女子戦犯収容所に送られた。

 中村百合子は結婚のわずか一週間後に夫が戦死し、関東軍情報部で勤務した。終戦後、ロシア語が堪能な経歴をかわれ北朝鮮工業技術連盟で通訳を務めた時、38度線を越えて引き返したところを1947年9月ソ連軍第二五軍の諜報機関によって捕えられた。

 彼女たちは、いずれも語学に関わる仕事に携わっていたためスパイと見なされたことが共通している。

 その他、今回の取材で明らかになった110名の女性受刑者の中で多かったのが、特務機関に所属する女子軍属や電話交換手だった(以下、一部伏字)。

塩田美津子 牡丹江特務機関。刑期11年。帰国年月日不明。

西田〇〇 樺太の電話交換手。刑期15年。帰国年月日不明。

長崎美津枝 札幌月寒の憲兵隊事務所勤務。サハリン残留。1990年一時帰国。

〇〇子   樺太特務機関勤務。1956年6月帰国。

森本清子  東寧特務機関の電話交換手。帰国年月日不明。

 いずれもソ連側が諜報活動に従事したと見なし、刑を受けている。

(小柳 ちひろ/文春文庫)

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?