≪台湾から観光客が殺到≫「色鮮やかに咲く桜」「雪の花」…年間300日撮影し、奥会津を熟知する「只見線の男」が見つめた美しさ

≪台湾から観光客が殺到≫「色鮮やかに咲く桜」「雪の花」…年間300日撮影し、奥会津を熟知する「只見線の男」が見つめた美しさ

大志ビューポイント(会津中川-会津川口間)=星賢孝さん撮影

11年7月の豪雨水害からJR「只見線」が運航再開。しかし「これでは乗れない」…幕末から歴史に彩られた秘境路線は、また苦境に陥ってしまうのか から続く

「JR只見線の男」とでも言うべき人がいる。

 福島県金山町の星賢孝さん(73)。「奥会津郷土写真家」と名乗っている。

 星さんは「年間300日」も只見線を撮影しているといい、奥会津を熟知した人にしか撮れない写真の美しさが、見る者を魅了してきた。只見線が「絶景鉄道」として認識されるようになったのは、星さんがいたからだ。

 只見線は2022年10月1日、豪雨水害で不通になっていた会津川口(金山町)-只見(福島県只見町)間の27.6kmの運行が再開された。福島県を中心とした地元自治体の財政負担があってこその再開だが、「これほど素晴らしい景観の鉄道はぜひ残すべきだ」という世論を作ったのは星さんの写真だった。それにしても、なぜ星さんは只見線の写真を撮り続けてきたのか。命がけと言ってもいいほどの使命感で撮影してきた。

■きっかけは元福島県知事の逮捕だった

 星さんが撮影を始める引き金となったのは、全く関係がないように見える元福島県知事の逮捕だ。1988年~2006年に在職した佐藤栄佐久氏である。5期目の途中で辞任し、その1カ月後に収賄容疑で東京地検に逮捕された。

「福島県はこれを機に、指名競争入札から一般競争入札へと、入札方法を一気に変えました」と星さんが解説する。指名競争入札とは、一定の条件を満たして登録された業者から、入札への参加業者が指名され、この中で見積もり額の札を入れ合う方式だ。あらかじめ指名業者が分かり、業者同士も日頃から付き合いがある場合が多いので、談合の温床になっていると指摘されていた。一方、一般競争入札は、条件を満たす業者なら誰でも入札に参加できる。談合が成り立ちにくいとされ、入札改革になると信じられていた。

 しかし、地元の建設会社の役員を務めていた星さんは「大変なことになるのではないか」と危惧した。

■談合が成り立ちにくい一般競争入札が招いた“矛盾”

「一般競争だと、よその大手が安い価格で落札する場合があります。大手は重機を持たず、作業員も雇用していないので、入札価格を下げられるのです。違法なのですが、下請けに丸投げするのに、20%の手数料を取るから、重機を所有して作業員も雇用している下請け業者が赤字になります。一方、地元の業者は重機を持ち、作業員は常時雇用しておかなければならないのでコストが高くなります。大手のような価格で入札する業者が出てくると、地元業者はどんどん疲弊していきました。

 その結果、不良工事や安全性の問題につながっていきました。多少安くなるからといって、工事の品質は落ちる。業者の体力はなくなる。地域社会がおかしくなっていきました。

 というのも、田舎の産業を支えていたのは公共工事だったからです。雇用も守ってきました。

 それなのに地方の建設会社がどんどん倒産していきます。雇用が確保できなくなって、若い社員は都市部へ出て行きました。私はそうした問題意識を行政やメディアに訴えましたが、相手にされませんでした」

 星さんは悔しそうに語る。

「結局、建設会社は5分の1に、雇用は10分の1に減ってしまったのです。福島県は今になって指名競争入札を復活させていますが、もう指名に入る業者がいなくなりました」

 建設会社も公共工事だけをやっているわけではない。雪の降る地方で未明から除雪を行うのは建設会社だ。災害が発生すれば、経費がどれくらい出るか分からないのにとにかく現場へ駆けつけて土砂を撤去する。そうした役割を果たすためにも地域社会には建設会社が必要だったが、空白地帯が生まれていった。

「このままでは地域が滅びてしまう」。星さんは強い危機感を抱いた。

 星さんには故郷を失った経験がある。

■今も忘れられない58年前の記憶

 1964年、土砂崩れに見舞われたのだ。

「近くにあった硫黄鉱山が原因でした。掘削をやめたあと放置され、そこに雨が溜まって土砂崩れを起こしたのです。幸い人的な被害はありませんでした。前年の春先の雪解け時、鉱山の辺りから大きな岩が落ちてきて、危険だからと10軒の集落は移転していたのです。ただ、故郷がなくなるほど寂しいものはありません。その土地で育まれてきた歴史も文化もなくなってしまう。そうしたことを身をもって経験していたので、地域を滅ぼしてはいけないと強く思いました」

 では、どうするか。

 既に地域社会は高齢者ばかりになっていて、新たなことが仕掛けられるとは思えなかった。「ならば、よそから人に来てもらおう。それには観光だ」と星さんは考えた。

 会津には17の市町村があり、会津若松市のような広々とした盆地ばかりではない。星さんが住む金山町は、尾瀬沼に源流を持つ只見川沿いに集落が点在し、2022年9月1日時点の人口は1821人しかいない。65歳以上の高齢化率は61.9%にも及んでいて、2020年の国勢調査では過去5年間の人口減少率が14.9%と福島県内で2番目に高かった。


 だが、そうした地区だからこそ自然が美しく、四季は変化に富んでいた。

■四季の美しさはどこにも負けない。世界中を探してもここにしかない

 冬期には3mもの雪が積もるが、春には花が咲き乱れる。夏には只見川沿いの緑がまぶしく、秋には一斉に色づいて水面を彩る。

 そうした四季の美しさはどこにも負けない。「夏には緑が濃いだけ。冬には冬枯れで寂しいだけという地区が多いのに、只見川では夏に川面から霧が立ち上がって幻想的な情景を生み出します。冬には木に雪が積って花のようになる「雪の花」が咲きます。世界中を探してもここにしかないと思いました」と力説する。

 星さんは、そうした四季の変化を撮影して発信し、「観光客に来てもらおう」と考えたのだった。

 写真を趣味にしていたわけではなく、それまでは旅行で撮影する程度でしかなかった。

 勤務先の建設会社では幹部だったので、自由がきいた。仕事を少し抜け出して撮影する。その分は夜に仕事をして取り戻す。年間、ほとんどの日を撮影に充てていった。「趣味ならできません。仕事でも他のことをします。地域を残すという使命があったから続けたのです」と話す。

 そうした時に、ある発見をした。

■100人が見れば100人の物語。列車の写真は人の記憶に結び付く

「只見線が写り込んでいると、風景に命が吹き込まれたような気がしました。ただの景色だと『きれいだな』で終わってしまいます。ところが、列車が入っていたら、『就職した頃に乗ったな』『恋人と別れた時には悲しかったな』などと、様々なことが思い出されます。100人が見れば、100人の物語が生まれます。列車は人の記憶に結びつき、思い入れを抱かせる乗り物なのです。バスではそうなりません」

 これに気づいてからは、必ず只見線を入れて撮影するようになった。絶景だけども、絶景だけではない。なぜか様々な感情や思い出が呼び起こされる。これが星さんの写真の持ち味になっていった。

 だが、只見線は2011年7月の豪雨水害で被災した。会津川口-只見間では橋梁が落ちるなどして不通になり、JR東日本はバス転換を提示した。星さんは「バスではダメだ」と強く思った。なかなか理解されなかった。

「JR東日本は、『停留所が増やせるし、バスにした方が利便性が高い』と主張しました。住民も『バスでいい』と考えました。日頃は鉄道など使わないから、どうでもよかったのです。

 バス転換すると、確かに一時的には利便性が上がるかもしれません。でも、バスは住んでいる人の足という側面が強いから、観光客は乗りにくい。バスにした段階で観光客が来なくなってしまいます。観光客を呼んで地域が滅びるのを食い止めようとしているのに、これでは地域の活力が衰えてしまいます。

 都会の若者の中には車を持たず、運転免許さえ取らない人が多くいます。そうした人に来てもらうには列車しかないと思いました」

 どうすれば列車の重要性を分かってもらえるか。星さんは海外に目を向けた。外国人が注目すれば、地元の意識が変わるのではないかと考えたのである。

■台湾の観光客が教えてくれた“地域の宝物”

 その頃、星さんの絶景写真の発信で「撮り鉄」と呼ばれる人々が奥会津に来るようになっていた。が、「撮り鉄の皆さんは地元にあまりお金を落としてくれません。観光消費を増やすためにも海外からの誘客だったのです」と星さんは話す。

 まず、中国の上海で3年ほど催しをした。

「反応はよくありませんでした。2011年3月に東日本大震災が発生し、福島県では原子力発電所が事故を起こしました。放射能汚染のイメージが強く、『福島』と言っただけで拒まれることもありました。そこで台湾はどうかと考えました。親日家が多く、震災が発生した時には大勢の人が募金などで日本を支援してくれました」

 2016年から毎年、台湾でイベントを行った。只見線の写真展、只見線の魅力についての講演会、只見線の写真コンテスト。実際に奥会津まで足を運び、只見線を撮影してくれた人に応募してもらったのだ。

 費用は自前だった。行政に「一緒にやろう」と誘っても乗ってこず、県の助成金を使って自分達で企画した。これだと2割の自己負担が生じ、約60万円を仲間と2人で折半した。

 効果はすぐに出た。

「5年ほど前から台湾の観光客が大勢来るようになったのです。金山町の隣の三島町には只見線の撮影ポイントがあるのですが、ここにぞろぞろ歩いていく人が見られるようになりました。驚いたのは地元の住民でした。『海外からあんなに大勢の人が来る。只見線にはそれほどの価値があったのか。実は地域の宝物だったのではないか』と気づいたのです。

 日本の田舎は車社会なので、道路を歩く人などいません。三島町が気を使ってバスを出してくれましたが、あまり乗る人はいませんでした。台湾の人は歩きたかったのです。特に冬、あちらでは降らない雪道を歩くのは一生の思い出になります。見慣れた只見線。見慣れた雪。人々はこれらに価値があったのだと気づいていきました」

「地元の変化」として星さんが挙げる例がある。

■タイムスリップしたような集落跡を案内

 奥只見では、毎年1月15日にサイノカミの行事を行う。お飾りのどんど焼きだ。

 三島町のさらに隣の柳津町では、午後6時15分頃に火をつけていた集落があった。星さんは「6時15分ではなく、6時の15分ほど前に集まって火をつけてもらえないか」と区長に電話した。

 会津柳津駅を午後6時前に発着する只見線の列車があり、どんど焼きが燃え盛る横を通れば、乗客が喜ぶ。どんど焼きと列車を写真に収めに来る人もいるのではないかと考えた。「ちょっとした工夫で面白くなるのです」と星さんは言う。

 応じてくれるかどうかには、不安があった。1月15日は大相撲初場所の会期中だ。午後6時の15分前と言えば、ちょうど大関戦や横綱戦が行われる時間だった。「この辺の人は相撲好きで、テレビ放映を楽しみにしています。約50軒の集落で1軒でも反対すればどんど焼きの時間変更はできません。しかし、『只見線は地域の宝だからやりましょう』と言ってくれたのです」

 どんど焼きを見るために列車に乗る人が増えた。写真を撮りに来る人もいた。そうした効果が知れ渡り、沿線の他の集落でも只見線の通過時間に合わせてどんど焼きをするようになった。「今や5集落で行われています」と星さんは目を輝かせる。

 さらに、「只見線に乗りに来た人が遊べる場も必要」と、体験型の観光名所を作った。

 星さんが生まれ育った集落は、既に触れたように鉱山跡の土砂崩れで壊滅した。だが、300年ほど前に建築された古民家や、観音様、お宮、地蔵などがまだ残っている。ここへ渡し舟が運行できないかと考えたのだ。移転前の集落では、10軒がそれぞれ舟を持ち、誰もが櫂を握って只見川の対岸まで渡っていた。星さんは久しぶりに櫂を握り、自ら船頭になって川を渡り、タイムスリップしたような集落跡を案内しようと企画した。

 準備には3年も掛かったが、2011年5月に始めることができた。

 辺りの川面には霧が出て幻想的な風景になる。その中を手漕ぎの舟で渡るのである。峡谷には名前がなく、自身で「霧幻峡」と名付けた。

 だが、渡しを始めてから2カ月後の2011年7月、只見川は豪雨水害に見舞われた。只見線が寸断されただけでなく、星さんが手作りした船着場や舟も流された。

 星さんは諦めなかった。6年がかりで復活させた。

「すると大人気になって、旅行サイトでは全国8位の人気スポットになりました。大型バスがどんどん来るようになったら、また新たな問題に直面しました」

■創意工夫で迷惑な霧を重要な観光資源へ

 手作りなので、駐車場はない。トイレもない。そもそも船着場は無許可の違法構造物だった。

「昔からあった渡しなので、黙認されていたのです」と星さんは笑う。

 そこで、地元の金山町役場に「霧幻峡の渡し」の事業の無償譲渡を申し出た。町は県と協力して、船着場や駐車場、トイレを整備し、運営は町の観光物産協会に任せた。今は奥会津観光の拠点と言えるほどの事業になっている。

 取材に訪れた日も、観光ツアーの一群が大型バスで訪れ、「渡し」を体験した後で列車に乗り、車窓からの風景も堪能していた。参加者は「ちょうど霧が深くなった時に渡し舟に乗れたので、感動的でした」と興奮覚めやらぬ顔で話していた。

 ただ、この霧も、地元にとっては迷惑な存在だった。「川霧が道路に上がって来ると、車の前がよく見えなくなって困る」と話す人もいる。それを、星さんは「幻想」という観光資源に変えたのである。

 なぜ、そうした発想の転換ができたのだろう。

■その秘密は星さんの日々の過ごし方にあった

「私は地元生まれの地元育ちですが、自然の中で四季に応じた遊びをしてきました。登山、山スキー、カヌー、自転車、フルマラソンまで走りました。そうした遊びをしていると、観光に来る人の目で奥会津を見ることができるようになります。日々暮らしているだけなら、苦労した思い出しかないので、楽しくいかそうとは考えられないのかもしれません。雪も台湾の人にとっては触るだけで楽しいのですが、地元にとっては毎日雪かきをしなければならない面倒な存在です。そうした目で地元を見るのではなく、外から来る人にはどうやれば喜んでもらえるのかと考えていったのです」

 見方を変えることで新たな事業が行われた例もある。「景観整備」による杉の伐採だ。

 撮り鉄の目線で只見線を再確認すると、植林された杉が大きくなりすぎて、景観を阻害している場所が多かった。車内でも「あっ、きれいだ」と思ってカメラを構えたら、もう車窓は杉林に変わってしまう。

 現在の日本で植林した杉の価値はほぼないに等しい。このため持ち主は伐採しない。そのまま放置して、道路の見通しが悪くなるなど問題化している場所もある。雪や風で倒れれば、道路をふさぐほか、電線も切る。薄暗い林に沿ってサルやイノシシが出てくることもある。

「ならば、只見線の沿線だけでも伐ったらどうかと提案しました。建設会社にいた頃から知っていた県の土木事務所に働き掛けるなどした結果、景観整備が始まったのです」

 これら様々な取り組みを行っても、「奥会津へ観光に来る人の8~9割は只見線に乗らないのではないか」と星さんは考えている。只見線を撮影に来る人は多いにも関わらず、だ。

「運行を再開しても、すぐに空気を運んでいるという批判が出てくるでしょう」と星さんは予測している。

 だが、星さんは再開区間だけ切り取って乗客数を計ることに、どれだけの意味があるのかと疑問に感じている。

■只見線があるからこそ台湾から観光客が来てくれる

「台湾から来る人は四季の絶景を全て味わいたいので、1年に何度も来ます。トータルで5回も10回も来ている人がいます。その経済効果をどう見るか。只見線があるからこそ来るのです。飛行機に乗り、新幹線に乗り換え、宿泊し、お土産を買ったり、食事をしたりします。何度も来る人は、そのたびにどこか他の地区へも足を伸ばすので、そちらへの経済波及効果もあります。JR自体、只見線の運賃は大した額ではなくても、奥会津にアクセスするまでの新幹線代などが収入としてあるのです。スイスのアルプス鉄道と同じような効果があるのではないでしょうか」と訴える。

 そう考えると、鉄道の線区を細切れに分けた乗車人員で、経済効果が計れるのかどうか。もちろん路線や地域状況の違いが大前提としてあり、鉄路をいかそうとする人々がいるかどうかという問題もあるだろうが。

 さらに星さんは、「交通機関には鉄道、自動車、飛行機、船とありますが、これらのうち施設まで全て自分で持っているのは鉄道だけです。道路は国、都道府県、市区町村が整備します。空港も行政が主体。船着場もそうでしょう。この違いが鉄道事業者の競争力を弱め、100年に1度の災害が頻発する時代に、壊れたらもう直さないという線区を生んでいます。ならば他の交通機関と比べながら、施設は誰が所有して維持するのが適当なのか、整理して考える時期になっているのではないでしょうか」と指摘する。

 そうした意味では、只見線のような上下分離方式が、他の赤字路線でも一つの解決策になっていくのかもしれない。

■トータルでどう利益を上げて全体としての経営を維持していくか

 11年ぶりに全線開通した只見線で、運行が再開された区間を走る列車は、1日に3往復しかない。同区間まで営業運転してきた列車が、再開区間の30km弱を延長運転する形になるので、営業経費はかなり安く済むだろう。施設の維持経費は行政が持つから、再開区間だけを切り取ったJRの赤字額は、被災前に比べて劇的に減る。

 一方、只見線が生み出す経済波及効果は被災前と比べ物にならないほど大きくなっている。

「他の鉄道会社がやっているように、乗る乗らないは別にして只見線があるから来るという人をターゲットにした商売をJRが地元と協力して行っていくことも必要でしょう。細切れにした線区のコストを云々するのではなく、トータルでどう利益を上げて、全体としての経営を維持していくか。JRを含め、只見線や奥会津に関わる皆で考え、地域を残す方法を模索したいと思います」

 星さんの言葉は力強い。

(葉上 太郎)

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