俳優・松重豊の悩み「昔から台詞覚えが悪く…」に中野信子はどう答えるか

俳優・松重豊の悩み「昔から台詞覚えが悪く…」に中野信子はどう答えるか

中野信子さん ©文藝春秋

どうしてもっと早く始めなかったのか後悔ばかり… 脳科学者が考える“追い抜かれた焦り”との付き合い方 から続く

 みなさまのお悩みに、脳科学者の中野信子さんがお答えする連載「あなたのお悩み、脳が解決できるかも?」。今回は、「セリフ覚えが悪い」と悩む俳優の松重豊さんに、中野さんが脳科学の観点から回答します。(全3回の3回目。 #1 、 #2 を読む)

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■ギブミー前頭葉──59歳・俳優・松重豊からの相談

――中野先生がレギュラー出演されているNHKBSプレミアム『英雄たちの選択』でナレーションを担当しております俳優の松重豊と申します。9年目に突入する長寿番組ですがわたくしは長年モニター越しに見る中野さんの笑顔に毎回魅了されてきました。あの番組では原稿を読むことだけに専念できるためつい余計なものに目が行ってしまいがちです。しかし本業の俳優のお仕事は読むのではなく覚えなければなりません。

 

 ここ数十年わたくしは記憶とひたすら向き合ってきました。昔から台詞覚えが悪く、一旦自身で紙に書き起こしてから持ち歩き、何日もかけて頭に入れるといった手法でしか定着しません。早い方は熱転写するが如く台本の頁ごと脳内にインプットする俳優さんもいらっしゃいます。ほんの数時間で数頁にわたる長台詞をマスターする主役の脳内をかねがね羨んできました。

 

 わたくしも間も無く還暦を迎え、衰えゆく脳力との形勢不利な戦いの日々です。連ドラの最終週など収録前日に台本が渡されることなどザラな世界、今後の努力の道筋を笑顔の中野先生に導いて頂きたく筆を執った次第です。よろしくお願いいたします。

 こちらこそ、松重さんの心に響くナレーションをいつもカッコいいな、ステキだなと思いながら拝聴しています。私のほうからはナレーターのお顔を見ることができないので、スタジオで直接お目にかかる機会がないことをとても残念に思っていました。

 さて、多くの役者さんが台詞覚えで苦労していらっしゃるようですね。記憶のし方というのは人それぞれで、松重さんが羨む「熱転写するが如く台本の頁ごと脳内にインプットする俳優さん」の記憶のし方は「映像記憶」とか「写真記憶」といいまして、文章でも景色でも目で見た途端にパッと写真で撮ったように覚えてしまうんです。作家の森博嗣さんはご自分がこのタイプであると書かれています。残念ながらこの能力は後天的に鍛えるのは難しいです。

 また、同じように一度耳で聞いたものを忘れないというタイプの人もいます。栗本薫さんがそうだったのではないかと思われます。

 松重さんが実践されていた「書いて覚える」というのは、私もよくやります。よく覚えることができる大変いい方法ではあるのですが、時間がかかりますし、もしかしたら年齢とともにあまりうまくいかないと感じるようになるかもしれません。

 記憶しやすくするためのちょっとしたテクニックはあります。まず、記憶には短期記憶、中期記憶、長期記憶があります。台詞を覚えるというのは長期記憶になります。この長期記憶は、「非陳述的記憶」と「陳述的記憶」の2つに分けられます。

 非陳述的記憶は身体で覚えた記憶で、自転車の乗り方、泳ぎ方のように繰り返し練習したことで覚えたものです。自転車にいったん乗れるようになれば、その後10年間乗らずにいても、また以前と同じように乗ることができるように、非陳述的記憶は忘れにくい。円周率を覚えている人がいますが、これも非陳述的記憶です。ただ、途中で一瞬でも止まると、何だっけ?ということになって最初から言い直すことになりますので、台詞を覚えるのにはお勧めできません。

 一方の陳述的記憶には、学習することで獲得する「意味記憶」と、経験したことを記憶する「エピソード記憶」があります。意味記憶は忘れやすく、エピソード記憶のほうは記憶が定着しやすい。たとえば歴史の勉強でも年号をただ暗記するだけでは忘れてしまいますが、自分が旅をした場所のこと、その場所にまつわる歴史や歴史上の人物については記憶に残り、授業で習ったより詳しくなりますよね。

 解説が長くなりましたが、台詞を覚えるのに、このエピソード記憶を活用されることをお勧めしたいのです。かといって、台詞にあるとおりのことを実際に経験して覚えるわけにはいきませんよね。でも大丈夫です。

 マンガのような擬似体験でもエピソード記憶として刻みつけることができるのです。私の高校時代の地理の先生は、生徒に『ゴルゴ13』を読むように勧めました。確かに、世界の地理について学ぶには、教科書の統計データを暗記するよりも、デューク東郷(『ゴルゴ13』の主人公)と一緒に各国を巡っている気になって、この国にはこういう要人がいて、経済構造はこうなっていて、主要産業はこれで……と擬似体験的に学ぶほうがおもしろく覚えることができますね。

 松重さんも台本をマンガ化してイメージされると、エピソード記憶として台詞が早く記憶に定着するのではないかと思います。もし、うまくいかなかったら、ほかにもいろいろなテクニックがありますから、またご相談ください。それから、マンガといえば『孤独のグルメ』の主人公・下戸げこの井之頭五郎役でお馴染みの松重さん、和のスイーツの好きな私に、あんみつのおいしいお店をぜひたくさん教えてください。よろしくお願いします。

text:Atsuko Komine

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(中野 信子/週刊文春WOMAN 2022春号)

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