「売春やブルセラを本質的に否定できる大人はいなかった」芥川賞候補作家・鈴木涼美(39)が振り返る「青臭くも愛しい」反抗と実践のギャル時代

元AV女優の芥川賞候補作家・鈴木涼美氏が「売春やブルセラ、援交」を振り返る

記事まとめ

  • 元AV女優の芥川賞候補作家・鈴木涼美氏が、渋谷での女子高生時代を振り返った
  • 鈴木は女子高校生時代からのブルセラやAV出演やホステス業にやましさを感じているそう
  • 「否定できないならやっちゃうけどいいの、みたいな、反抗の仕方」と当時を回顧

「売春やブルセラを本質的に否定できる大人はいなかった」芥川賞候補作家・鈴木涼美(39)が振り返る「青臭くも愛しい」反抗と実践のギャル時代

「売春やブルセラを本質的に否定できる大人はいなかった」芥川賞候補作家・鈴木涼美(39)が振り返る「青臭くも愛しい」反抗と実践のギャル時代

©丸谷嘉長

 物書きであり、女優のような出役もこなす。鈴木涼美は、グレーだ。不思議な二面性を備えた、グレーゾーンの女。黒と白の衣装を纏い、滑らかで柔らかそうな鈴木の肌や、光を宿して微かに開いた桃色の唇をぼんやりと眺めていると足首、二の腕、そして背中に覗くタトゥーの青黒い存在に目が覚める。

「文学界」11月号にて新作を発表したばかりの彼女にこれまでの歩み、創作にかける思いを尋ねた。(全2回の1回目/ 2回目 を読む)

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■隠したかった過去が報じられたその時に……

 「太もものタトゥーはタイのパタヤで酔った勢いで入れたもの。他の箇所も大した意味はなく、気分やノリで入れてしまいました」。過去の高揚や情事の記憶を身体の随所に刻み込んだ墨色が、甘く喋る本人以上に饒舌に、彼女の性を物語っていた。

 『ギフテッド』で2022年上半期の芥川賞にノミネートされる以前から、ウェブや雑誌連載を多数抱える執筆業、テレビコメンテーターなどとしての活動でも顔を知られる鈴木涼美だが、おそらく彼女を世間で一躍有名にした“戦犯”は、「週刊文春」2014年10月9日号の「日経新聞記者はAV女優だった! 70本以上出演で父は有名哲学者」(鈴木本人によれば父が哲学者とは誤報)との、いわゆる“文春砲”だったろう。

 慶應義塾大学環境情報学部に在籍中、AV女優として活動し、約80本の作品に出演したと報じられた(鈴木本人はこの本数が多すぎると否定している)。ひた隠しにしていたその事実が文春砲レベルの出力で世間に知れたことは、当時胃がんを患う母の介護を理由として日経新聞を退社した直後の鈴木涼美にとって、パニックを起こすに十分な出来事だったという。

 だが、退社の理由が純粋に母の介護だけであったかというと、実際にはちょっと違う。

「母との時間を確保したかったことに嘘はないんですけど、実際には拘束時間が長く、休みにくい会社員という立場に徐々に不自由を感じていて。好きな人とも会いにくいし、夜遊びの時間帯はちょうどゲラの確認で会社にいなくちゃいけないし……。

 ただ、癌が再発した母親の病状が悪かったのも事実です。退職直前は紙面編集の部署にいたので、手術に立ち会えなかったり、あんまり病室に来られなかったりで、本当にあと1、2年しかもたないかもしれないのに……と焦る気持ちはありました。そして辞めた後に母がもっと悪化した感じです」

 日経では、都庁記者クラブ、総務省記者クラブなどに配属され、地方行政を担当する新聞記者だった。2014年に「親にも、上司にも、特に誰にも止められず」円満に退職してからは、フリーの物書きとして活動。2016年に母を看取った。

「日経にいた5年半って、結構長かった気がしますけど、辞めてからは早いですね。時間が経つのが怖いです。もともと、長く企業勤めはしないのではないかという予感はあったんですけど、少なくとも3年は同じ会社にいようと思っていました。でも3年目のころは辞めるという選択肢はなかったですね。やっぱり日本社会に生きる限り、会社員というのはとても居心地がいいものですよ」

■「ヒヤヒヤして生きるのは、不自由が多い気がしていました」

 日経在職中に、鈴木は東京大学大学院学際情報学府での修士論文を『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)として出版、社会学論客の間で高い評価を得るなど、話題を呼ぶ。メディアでの連載も始まり、鈴木の中では退職に向けた温度も高まっていったようだ。

「基本的に、本を書く仕事をしたいと考える学生の方や、ものを書いてみたいという会社員の方には、今している学問なり仕事なりを続けながら書くことを薦めます。ただ、私にはそのような選択肢は現実的ではなくて。

 私が会社員のまま、現在のような執筆業をしたとして、万が一顔を出したら、ホステス時代のお客さんとか、色々と過去を知る人が見てるかもしれない。企業にいながらそのことにヒヤヒヤして生きるのは、不自由が多い気がしていました。やましいことがない人は全然、顔出しして仕事しても会社にいられると思うんですけど」

 やましい、と鈴木は言った。鈴木は女子高校生時代からのブルセラやAV出演やホステス業など、そういった「夜職(よるしょく)」の経歴にやましさを感じているのだろうか。

「思ってます。もう最大の恥です。だからほんとは誰にも言いたくない。気持ちの半分は常にそういう気持ちです。ただ同時に、そのような世界やそこにいる女の子たちの愚かさも含めた魅力に、今も惹かれ続けているのも事実です。執筆動機は常にそこにあります。逆に言えば、他の社会問題などにはあまり興味がないんです」

■記事が出た後、日経新聞同期たちの思いがけないリアクション

 文春記事が出たあと、日経時代の同期社員に恐る恐る連絡を取ってみると「なんとなく色んな噂があったから、それほど驚いていないし気にしてないよ」と慰められたという。

「今でも女性の同期は仲良くしてくれています。新聞記者も私のような作家も、広く言えば同じ文章書きですから、それぞれに過去や個性や思想があるので、取り立てて私が異質であったわけではないです。地下アイドルだったとかグラビアに出てたとか、根も葉もない噂があったと知った時には笑いましたけど(笑)」

 事実、もし文春記事が世に出ることがなかったなら、鈴木は鉄壁の履歴書の持ち主だ。生まれも育ちも良い、いわばひとり娘のお嬢様で、学業面でも優秀な成績を残してきた。

 学問や翻訳などを生業とする両親の元に生まれ、実家は鎌倉で、小中学校は清泉女学院、途中2年ほど父のサバティカルについてロンドンの私立女子校に学び、明治学院高校、慶應義塾大学、東大大学院へと進み、日本経済新聞社へ就職した。

 少し不思議なのはただ一点、中高エスカレーター式のはずの清泉を、なぜ中学卒業で辞めて、明治学院高校へ移ったのかということだった。

「清泉の中高の校長が代わっちゃって。それまでは信仰する心や、勉学に対する情熱は大事だけど、服装はどうでもいいという寛容なシスターだったんですよ。清泉の小学校は靴下とかハンカチまで指定で、すごく厳しかったけれど、その6年を耐えられれば、中高は校則もめちゃくちゃ自由だったんです。ところがやっぱりそういう校長は立派で、ある程度の任期の後にポジションにしがみ付かずに、海外へ渡ってしまって。

 その後に代わった校長はごく普通のシスターで、教頭や生徒指導の先生らの権力が強くなりました。ゴム抜きルーズはだめ、スーパールーズもよくないみたいに、どんどん理由もなく校則が厳しくなっていったんです」

■渋谷へのアクセスを手に入れたくて。彼女が選んだ方法は……

 納得できなかった鈴木は、反抗した。

「当時はコギャル全盛期だったから、10代を謳歌する自分のイメージは確固としてあったので、その邪魔をするところにはいられないと思って(笑)。私の母も元々あまり校則とかが好きじゃないタイプで、お茶の水女子中高で、制服のダサいベルトの廃止運動をしたそうです。だからそういうところは、血ですね(笑)。それで、校則が自由で伸び伸びとした校風の高校に行ったんです」

 コギャルとして10代を謳歌するという、鈴木の確固たる自己イメージに、渋谷は欠かせない条件だった。

「渋谷に行くのに、清泉だと鎌倉から大船までしか定期がないから、渋谷まで往復で1500円くらいかかるんです。明学に通って品川まで定期があると、150円で渋谷まで行けるから、全然違います。だって10日間で1万5000円なんて、学生にとっては死活問題、それだけで月の収入超えちゃう感じじゃないですか。

 だから渋谷へのアクセス権を手に入れるために遠くに行ったんです(笑)。制服がなくてゆるいってことで選ぶなら、神奈川の県立高校でもよかったんだけど、そうすると、ゆるやかな湘南の海を見てぼやぼやしてるうちに高校時代終わるな、と思って」

 渋谷へのアクセス権を手に入れた女子高生の鈴木は、本人曰く「普通の非行少女が反抗期に入って非行に走るのと同じような感じで」「周りの影響とかもあって」いわゆるブルセラで下着を売るなどして、着飾ってクラブ通いをする資金を得るようになっていった。

■「否定できないならやっちゃうけど、いいの?」

「若い私には、使用済みの下着を購入金額の100倍近くの値段で売るブルセラを否定できる大人がいるようには思えませんでした。買っている客に欺瞞があっても、広義で性の搾取であっても、指一本触れずに性を商品化できるなら、そしてそこで稼いだお金で服や化粧品やCDや、好きに生きるために必要なものを手に入れられるなんて最強だと思っていたから。

 新聞紙面すら賑わせた援助交際問題やブルセラ論争を見ていても、私の納得する形で否定できている大人はいませんでした。『だめって言ったらだめ』みたいな、理由なき禁止は当時はとても理不尽に感じていたんです。

 今でも、なぜ作家になったのかを聞かれると、売春をどうやったら否定できるのかが知りたいから、と今のような話をすることがあります。ただ年齢とともに感じ方が変わったこともあります。『だめって言ったらだめ』にせよ、『魂に悪い』や『あなたが傷つくから』にせよ、若い時には全く説明になっていないと思っていたその感覚を、侮れない、むしろものすごく大事なのではないかという気持ちが芽生えつつあります。

 その、なんとなくだめな気がするという感性に従うことが、結局は一番身を守る術なんじゃないかなって思うんです。でも当時は、それじゃあ私は納得できないと。否定できないならやっちゃうけどいいの、みたいな、そういう反抗の仕方でした」

 否定できないならやっちゃうけどいいの。鈴木は「なぜ男の人に体を売ってはいけないのか、その核の部分を2000年ほど誰も否定できていない」と語る。

 ルーズソックスに、ブルセラ、援交。90年代後半の一大コギャルブームを真正面から浴び、体現していたとも言える鈴木は「女の人は性的な体を持った時から、ふたつ以上の顔を持っています。セックスっていうのは、親に見せたことのない唯一の姿を初めて人に見せる行為だから。娘としての顔と、例えば彼氏に見せる顔とかって分裂していくじゃないですか、ミスチルも歌っているように」と、当時の自分自身を表した。

 白と黒の極の間に、無限に続くグレーのグラデーション。「善悪でも、倫理と非倫理でもいいんですけど、人間って完全なる白も黒もいなくて、グラデーションの中に点在しているわけですよね。私は青臭くて、その曖昧さや言語化され得ない肌感覚を理解できず、いいバランスが取れなかった。極端な白と黒を行ったり来たりする感じはあったのはそのせいかもしれないです」

 否定できないならやっちゃうけどいいの。

 賢く、好奇心の強い10代の鈴木の中で、グレーは次第に濃度を増していった。

ヘアメイク 佐藤寛

知人は“バケツ一杯の本物の精液”を……「愚かな女の人たちの側にいたい」芥川賞候補作家・鈴木涼美(39)が「規範の不在」を描く新作小説『グレイスレス』 へ続く

(河崎 環)

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    右肩のタトウーが素晴らしいよね。 www 過去の男の名前彫ったのかな。本能のままに生きるって素晴らしいよね。 www

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