「バガヤロー!」毎日ケツを蹴られ、金具で叩かれ流血…遠洋マグロ漁船で横行するパワハラの“壮絶な実態”

「バガヤロー!」毎日ケツを蹴られ、金具で叩かれ流血…遠洋マグロ漁船で横行するパワハラの“壮絶な実態”

遠洋マグロ船で壮絶パワハラ

「バガヤロー!」毎日ケツを蹴られ、金具で叩かれ流血…遠洋マグロ漁船で横行するパワハラの“壮絶な実態”

港に停泊する日本の遠洋マグロ漁船 ©iStock.com

「夜な夜なトイレでゲーゲー」「波がザーッと上からも横からも」借金返済のために…命がけの“1カ月マグロ漁船生活” から続く

 マグロ漁船での過酷な生活やブラック労働の実態について紹介するYouTubeチャンネル「元マグロ漁船員チャンネル」。動画投稿者の菊地誠壱さんが初めてマグロ漁船に乗ったのは17歳の時だ。親が自営業で5000万円の借金を抱え、その返済が目的だったという。

 ここでは、菊地さんが自身の経験をまとめた本『 借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました 』(彩図社)より一部を抜粋。初めて乗った遠洋マグロ漁船で横行していたパワハラの実態について紹介する。(全2回の2回目/ 近海編を読む )

◆◆◆

■初めての遠洋マグロ漁船

 近海マグロ漁船だけ経験していた私は、18喜龍丸という遠洋マグロ漁船に乗ることになりました。早速秀樹ちゃん(編注:著者の従兄弟)と仕込みに向かい、船頭さんに挨拶して私物を詰め込みました。

 覚悟を決めて、4か月間の航海へと出発です。

 出船後、約2週間はひたすら船を走らせました。目的地はハワイよりさらに先、中米のパナマ付近です。この間は操業しませんが、船員にはいろいろと仕事があります。

 特に大変だったのが、ブラン刺し。ブラン(枝縄)を縄刺し(縄と縄を接合すること)の要領でほどいて編み込んで、スパイキ(先の尖った棒)を使って刺していきます。これが難しいというか、そもそも近海マグロ漁船ではやったことのない作業だったので、なかなかできませんでした。ブランはマグロが掛かったときに引っ張る仕掛けの細い縄ですが、縄刺しをするときの縄よりもずっと細いので、なかなか刺せません。

 ブランと悪戦苦闘していると、この船のボースン(甲板長)が寄ってきました。

「なんだ、ブラン刺しできねえのか?」

「はい、すいません……」

「そうかそうか。ならシメつけながら教えるしかねえな」

「すいません……」

 シメつけながらとは、殴りつけながらという意味です。

 ボースンは髭がボーボーで髪も長く、体も大きいので熊みたいな男です。このボースンがパワハラを繰り返していました。

 操業が始まると「何やってんだ!」「バガこの!」とボースンに怒鳴られまくります。そして「バガ野郎!」とケツを蹴られる。毎日こんな感じでした。たまにタバコをもらうこともありますが、暴力と暴言が続いてとてもキツかったです。

■毎日のパワハラに我慢できなくなり、ついに…

 ボースンはもちろん仕事はできますし、遠洋マグロ漁船で1年航海とかをやってきたベテランでした。マグロ漁船員はだいたい箔をつけるために10か月や1年という長い航海に行き、ケープタウンや大西洋での本マグロ漁を経験して、こうした航海期間の短い船で役職つきで働いているのだと思います。それぐらいメンツにこだわる一面があります。

 ボースンから暴力を振るわれるだけでもキツイのですが、最悪なことに、このボースンと投縄チームで一緒でした。

 毎回投縄の日になるとボースンと投縄をするので、そのたびにパワハラを受けていました。

「バガこの! 何やってんだこのポンスケ!」

 毎回こんな感じで言われるので、私もふつふつと怒りが込み上げてきました。そしてついに我慢できなくなり、ある日の投縄が始まった夜、とうとう言ってしまいました。

「テメー、陸に上がったら見てろよ! ただじゃおかねえからな!」

 まるで捨て台詞のように喧嘩を売りましたが、その場を立ち去るわけでもなく、私は餌投げ、ボースンはスナップ(ブランを固定する金具)掛けを続けていました。するとボースンはスナップのついたブランを振り回し、器用にも先端のスナップで私の頭をぶっ叩きました。

「いでー!」

 激しい痛みに顔を押さえると、こめかみにスナップが当たって流血していました。痛いし熱いし、わけがわからない状態でした。その後も無理やり投縄を続け、後からボースンに説教されました。このときのボースンは怒鳴るわけでもなく、諭すように静かに話してきました。

「バガだな、おめえは。もうあんなことするなよ」

 船のオモテ(船首)で傷に絆創膏を貼ってもらいました。

「はい、すいません」

 私も殴り掛かって喧嘩しても構わないのですが、なんせ海の上ですから落とされたらひとたまりもありません。そうやってふと冷静に考えられたので、それ以上は事を大きくしませんでした。

 でも、窮鼠猫を噛むというように、追い詰められたら噛みつくぞ! というところを見せられたのは満足でした。よくやった、俺! そんなふうに自分に言い聞かせ、寝台で毛布にくるまりました。

 その後もパワハラは続きましたが、前よりは少なくなったような気がします。気のせいだったかもしれませんが。

■パワハラが当たり前の暴力船

 パワハラが酷いのは、ボースンだけではありませんでした。この船は暴力船です。

 冷凍長は男前で俳優みたいな顔をしていますが、凶暴な人でした。冷凍長は解剖がヘタクソだと、本気で長靴でケツを蹴ってきます。

「バガヤロー!」

 ドーン! ひたすら蹴られまくりでした。警察なんてどこを見渡してもいませんから、ひたすら暴力に耐えるしかありません。

 毎日大小にかかわらずたくさんのマグロが釣れてくるので、そのたびに解剖をしていましたが、近海と遠洋では魚の保存方法がまるで違います。近海ではマグロを氷漬けにするのでエラと内臓を抜けば済むのですが、遠洋ではマグロを冷凍するのでそれ専用の丁寧な解剖をしなければいけません。これが私にはわからないのでよく失敗しては蹴られていました。

 初めての遠洋がこの船で、この暴力冷凍長がマグロ解剖の先生という最悪の状況でしたが、4か月間逃げられないというのが苦しかったです。私の人生で一番暴力を振るってきたのはこの冷凍長です。後にも先にもこの人を超える人はいないでしょう。トラウマになるレベルの暴力です。私も今までの不良生活で中学の頃から後輩をよく殴っていたので、因果応報なのかなと悟りました。

 まずは暴力に耐えて、とにかく解剖の仕事だけは早く覚えようと気合いを入れました。

 小さなマグロがどんどん釣れてくるときがあるのですが、体が小さいぶん解剖の作業も細かくなるので難しいです。そのとき、誤ってマグロの顎を切ってしまいました。やべーと青くなっていたとき、冷凍長が後ろからすっ飛んできて、「何やってんだゴラー!」とケツに蹴りを入れられました。小さなマグロが憎かったですね。

 俺は何をやってんだろう。

 悲しみと苦しみで空を見上げたことが何度もありました。

 マグロ漁船での若者の事故死というのが一時期多くありましたが、ほとんどがこうした環境下でのパワハラを苦とした自殺だそうです。

 私は当時そこまでは考えませんでしたが、耐え難い苦痛は数多く経験していました。これが4か月ではなく1年航海だったらなおさらつらかったでしょうね。私も耐えられなかったと思います。運がよかったのでしょう。

 それに、このパワハラ冷凍長は非常に恐ろしくて逆らえないのですが、悔しいことに仕事ができる上にカッコいいんですね。私にとっては憧れの存在でもありました。たしかこの冷凍長も1年航海で本マグロ漁の船に乗っていたと聞きました。

 後でこの冷凍長のスタイルを真似て、赤と青のカッパとジャージ、真っ白い手袋や帽子など、冷凍長と同じものを揃えて仕込みをしたのを覚えています。私が暴力を振るうことはありませんが、カッコよかったので違う船で冷凍長の真似をしたりもしました。

(菊地 誠壱)

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    未成年であれば保証人であるとも思えないが、親の借金を子が負担することなど必要ない。 親が自己破産すれば済むだけの話。 まず相談できる人をきちんと探すこと。

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