「今度は雅子さまと一緒にいらしてください」へのお答えは? 天皇陛下の歩き方は“ノッシノッシ”、山登りで鍛えた驚くべき“脚力と忍耐力”――2022年BEST5
2022年12月29日 12時00分文春オンライン

2016年8月11日、上高地を散策されるご一家 ©時事通信社
2022年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。皇室部門の第4位は、こちら!(初公開日 2022年11月15日)。
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天皇皇后両陛下は、コロナ禍で現地へ足を運ぶことが困難な時期を乗り越えて、今年10月は栃木県と沖縄県を、11月は兵庫県を訪れられ、久しぶりの地方訪問を果たされた。9月には、英エリザベス女王の国葬に両陛下が揃って参列され、結果的にではあるが、この訪英が両陛下のご活動の広がりを後押ししたように見える。
共同通信社会部編集委員の大木賢一氏は、宮内庁担当をきっかけに長年皇室の取材を続け、天皇陛下の即位後は、陛下が幼少期から魅了されてきたという「登山」の観点から新聞連載「山と新天皇」を企画(2019年9月19日、「陛下の峰々」として47NEWS掲載)。全3回にわたる大型特集からは、実直で忍耐強く、ユーモアあふれる天皇陛下のお人柄が伝わってくる。即位後の登山はまだ実現していないが、今後はどうなるのか。大木氏にあらためて話を聞いた。(聞き手・佐藤あさ子、全2回の2回目/ 前編 から続く)
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■陛下の歩き方は「ノッシノッシ」
――陛下はすごく健脚だと聞いたことがあるんですけれども、登山へ同行経験がある人の中にはその脚力に驚愕する人がたくさんいたそうですね。
大木賢一氏(以下、大木) 1994年9月、北海道・知床の羅臼岳(1661メートル)を案内した地元博物館の元学芸員の方によると、陛下の歩き方は登山の基本とされる「小股でそろりそろり」とはほど遠く、「ノッシノッシ」という感じだったそうです。そして陛下は非常な汗かきだったと。私が一度、同行取材でお見かけしたときは、髪一つ乱れず、という感じを受けましたが。別の登山同行者はヒマラヤ登山経験者でしたが、「陛下に登れない山なんかないと思った」と太鼓判を押していました。
――皇太子時代の陛下の登山では、各社の宮内庁担当記者が同行することもあったんですよね。
大木 記者たちは後ろをついて一緒に歩くわけではないので、実際にどういう歩き方をされるのか見たことがありませんけどね。
――山頂へ到着された陛下は、いつもの落ち着いた感じなんでしょうか? ゼーハーしているのではなくて……。
大木 そうですね、呼吸が乱れたという話は聞いたことがないです。
――たとえば山小屋での肉声を報じられたら、より親近感が湧くと思いますが、そういうわけにもいかないんでしょうか。
大木 平成の時代から「開かれた皇室」になったとよく言われますけれども、私は「国民との距離」はともかくとして、記者との距離はどんどん遠くなっている気がするんです。古い本で『新天皇家の自画像』(文春文庫)という記者会見録を紐解くと、皇太子妃時代の美智子さまが、本当に近い距離のところで記者たちと話している。当時は記者がタバコをくわえたら火をつけてくださったとか、そんな話もあるくらいです。平成の時代はむしろ、自然な姿よりも、「演出された姿」を多く発信した皇室だったと思っています。
――いつ頃から、宮内記者との物理的な距離が開いていったんでしょうね。
大木 私が担当した2006年の時点で相当距離を感じていましたから、どう遠のいていったのか分からないです。20代の浩宮さまの同行取材は距離がもっと近いと思います。記者たちが「山ばっかり登っているからお妃が遅れるんです」と、そんなことまで話しかけています。
「天皇や皇族は、人々をがっかりさせてはいけない」と私は思っていて。この機会にあえて苦言を申し上げることも必要かと思って、一つ思い出したことがあります。
■「それはね、やっぱり言えないんだよー」
皇太子時代の陛下が古い水利施設か何かを視察されて案内の人から説明を受けているとき、川を挟んだ反対側、100メートルほど離れたところに人垣ができていたんです。向こうからは「殿下、殿下」と言って、ワーッと手を振っている人たちの声が記者にも聞こえる。それでも陛下は説明を真剣に聞いている。それがだんだん気になって、私はそばにいた職員に、「『あちらに手を振られては』とお伝えしたほうがいいのでは」と言いましたが、誰も動こうとしないんですよね。
――一言お伝えするということをしない。
大木 しない。後日、「あの時一言、なぜ言わないんですか」と東宮職の幹部を問い詰めたところ、「それはね、やっぱり言えないんだよー」と返されて、私は非常にがっかりしました。せっかくのチャンスなのにもったいない。あともう一つ、陛下がお召し列車に乗っているときに、カメラを構えていたことがありましたね。当時の皇太子ご夫妻はアピール下手でしたし、あのときもがっかりして、「撮るほうではなく、撮られるほうだろう」と。これらのことはご本人というより、職員などの周囲の責任の問題なのかもしれないですけれども。
――訪問先やお召し列車でお見かけした陛下が、自分のほうへ手を振ってくださったとわかったら、どれだけファンが増えるか。
■さりげなく陛下をフォローされる雅子さま
大木 そうですよね。そうした点では、美智子さまには立派だったところがたくさんあることは否定しません。取材すると、美智子さまは周囲の者に、人垣を見つけたら「あちらに人がいますよ」と必ず伝えるように、とおっしゃっていたそうです。その姿勢は徹底しています。見事です。ただ、先ほど申し上げた2つの場面に雅子さまはいなかった。もしいらっしゃれば、そういった役割を担ったかもしれないと感じています。
――そういえば9月のイギリスご訪問では、さりげなく陛下をフォローされる雅子さまの様子が印象的でした。滞在先のホテルを出発するとき、見送る関係者の前をそのまま通りすぎそうになった陛下に、雅子さまがそっと声をかけられて、気がつかれた陛下があらためてお礼とご挨拶を述べられていました。
大木 これからそういう機会が増えてくるかもしれません。亡くなった元東宮大夫の野村一成さんは、皇太子妃時代の雅子さまの復活を信じて、「見ていてくださいね。妃殿下は立派な皇后になりますよ。これまでとは全く違う、ダイアナさんのようなタイプの皇后になる」と語っていました。例えば児童福祉などの分野では、雅子さまは進講する専門家も驚くほどの知識と鋭い問題意識を持っているそうです。
■山登りは基本的に「忍耐」
――「陛下ほど克己心の強い人はいない」と関係者から聞いたことがあります。そういうご性格は山登りと共通する点があると思いますか?
大木 あるでしょうね。山登りは基本的に「忍耐」ですから。長い時には十数時間以上も「忍耐」し続ける。南アルプスの甲斐駒ケ岳(2967メートル)の「黒戸尾根」は「日本三大急登」の1つで、頂上までの標高差は2200メートル。10時間近い登りがひたすら続きます。「甲斐駒」と呼ばれるこの山は、中央線の車窓から見ると、一種異様とも言える堂々とした山容が眼前に迫ってくるんです。陛下は甲斐駒を登った後、移動中にこの山を目にする度に思い出されるようで、当時案内をした人へ侍従から何度も電話があったそうです。
――陛下のご趣味が登山というと、上皇さまはテニスがお好きですよね。「どうして好きなんですか?」と学習院時代のご友人に聞いたところ、「勝ち負けが決まるから」と。テニスでは誰もが試合に集中して勝ち負けにこだわるわけだから、自分が皇太子ということはあまり関係なくフラットにやれる、というお話だったんです。
大木 周囲が特別扱いしないから。
――「だから上皇さまはテニスがお好きなんですよ」と言われて、ああそうかと。陛下は誰か相手と勝負するのではなくて、「自分と勝負」みたいなところがあるじゃないですか。勝負というか、ご自分と向き合っている感じ。スタンスの違いが出ているなと思ったんです。
大木 なるほど。上皇ご夫妻と職員のテニスでは、やはり職員たちは返しやすいボールを心がけたりしているでしょうし、完全にフェアな状態ではないと思いますけれどね(笑)。天皇陛下の場合は、どちらかというと登山を通して「たまたまそこにいた人」たちの中へ入るということをやってみたかったんじゃないかなと思いますね。山小屋での思いがけない出会いのように。それと、雄大な自然の中で、窮屈な自分の立場を忘れて自由になれる大切な時間だったのだと思います。
■陛下にとって最後の登山
――陛下にとってはまさにライフワークであった登山が、コロナ禍や警備の問題で、即位後なかなか実現しそうにありません。ひょっとしてもう登られないのかな……と思ってしまったりするんですけれども。
大木 天皇となった今、登山を続けられるのかと言いますと、陛下ご自身が諦めているような節もあります。陛下にとって皇太子時代最後の登山になったのは、2017年、八ケ岳の天狗岳(2646メートル)でした。下山した後で案内役を務めた山小屋の人と別れるとき、その人が「また来てください」と伝えたそうなんです。それに対して、陛下は少し口籠ったといいます。「もう私は」ということをおっしゃったようです。これは即位したらもうできないということだったのかもしれません。ただ、その言葉を受けた人自身はそういう風に解釈していませんでした。正確に言うと、「今度は雪の季節に雅子さまと一緒にいらしてください」と伝えたそうです。そのことに対して「それはできません」という意味でおっしゃったんじゃないかという見方もある。雪の季節に陛下は登山をしないのです。
天皇になったからには、警備にこれまで以上の厳重さが求められるのは必至です。皇太子時代は、通常3~4人グループで歩いていましたが、数百メートル離れた前後を警察や宮内庁関係者ら約20人ずつが進み、茂みに警官が身を隠していました。
――陛下は「執務」で閣議のある火曜と金曜には皇居・宮殿で書類を決裁しなければならないし、皇太子時代よりもっと窮屈になるんですかね。
大木 たとえば急に内閣改造や大臣の交代が起きて、認証官任命式に臨まなければならないときもありますね。そんな時に山の中にいるわけにはいかない。那須御用邸のご静養で近くの山に登られるようなことはあると思いますが。
■「登山」こそが天皇陛下の人間味
――山というと一見地味な感じがするんですけれども、陛下にとっては山がなければあまりにも彩りのない無機質な人生だったのではないか……という気さえしてきます。
「山と新天皇」を読んで、これこそが天皇陛下の人間味なんじゃないかなと思ったんです。でも、こうしてお話を伺っていると、もう登山はできないかもしれないし、これまでもお約束事が多く大変だったんだなと。この人間味こそがカギで、お人柄が伝わる。たとえば雅子さまがパレードで涙ぐまれたら「皇族が泣くのはおかしい」という声が必ず起きるように思いますが、感激して涙を流すことは、別に悪いことではないと思うんですけどね。
大木 ある案内役の人は、「陛下に会うまではものすごく緊張するんだけど、少しお話しすると完全に打ち解けて、緊張感を解いてくださる」と。特集の取材を通して、そんなことを言う人が多かったです。
――「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」と陛下が宣言された、1993年1月19日の婚約内定記者会見で、雅子さまも同じようなことをおっしゃっていますね。
「私はやはり、最初にお目にかかったときはたいへん緊張しておりまして、緊張してごあいさつを申し上げたんですが、そのあとは何か意外なほど話が合ったといいますか、話が弾んだのを覚えております。ですからそのとき私が受けました印象は、とても気さくで、かつすごく配慮のある方だということでございました」
大木 ああ、そうでしたね。そういうお人柄なのでしょう。多くの山好きを訪ねて日本中を巡る楽しい取材でしたが、話を聞いた全員が「これからも山に来てほしい」と口をそろえました。陛下には自然の中に身を置く素朴な人であり続けてほしい。2017年の天狗岳を最後にしてほしくない。その思いは誰も同じでしょう。
(大木 賢一,佐藤 あさ子)
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