キノコ狩りの男性が切断された頭部を発見…19歳被害女性はバイト帰りに消息を絶った「島根女子大生殺人事件」――2022年BEST5
2022年12月31日 12時00分文春オンライン

Hさんの遺体の一部が見つかった臥竜山を捜索する捜査員 ©共同通信社
2022年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。事件部門の第2位は、こちら!(初公開日 2022年8月21日)。
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被疑者死亡で不起訴——。2009年10月26日に発生した「島根女子大生殺人事件」は、7年後、不透明な結末を迎え、真相究明は叶わなかった。なぜ警察の捜査は難航したのか。犯人が死亡した背景には何があったのか。事件発生時から現地取材をつづけるノンフィクションライターの小野一光氏が検証する。(「文藝春秋」2021年5月号より一部を公開)
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■「島根女子大生殺人事件」を検証
事件当日、島根県立大学1年生のHさん(当時19)の姿は、アルバイト先であるショッピングセンター内のアイスクリーム店にあった。営業を終了した午後9時過ぎの店内には、Hさんと、同じ大学に通うA子さんの姿があった。
「Hさん先に上がっていいよ」
「あっ、ほんと? ありがとう」
私服に着替え、帰り支度をするHさん。
「(店の)ゴミだけ持っていってね」
「わかったあ」とゴミ袋をもち、Hさんは「おつかれ~」と元気のある声で店を後にした。
午後9時15分、同センターの通用口にある防犯カメラには、ボーダーのワンピースに、黒いレギンスを穿いた彼女の姿が映っている。その後、消息を絶ってしまったのだ。
A子さんは、事件の1年後、2010年10月に私の取材に対し、次のように答えている。
「その日は、とくに誰かと待ち合わせをしているという様子ではありませんでしたし、そういう話も聞いていません。いつもと変わらない、ごく普通の様子でした。だから私も特に気に留めることはなかった。後から行方不明になったと聞いて、すごく驚きました」
事件の数日前、A子さんは彼女に交際相手についてたずねていた。
「Hさんは『いないよ』と答え、『県大、いい男いないねえ』と言って、笑い合いました。彼女は勉強熱心で、バイトの休み時間には英語の本を読んでいたりしていました」
Hさんと連絡がとれないことを不審に感じた母親が、彼女の住む女子寮に連絡を入れたことで、行方不明の事実が判明。28日に島根県警浜田署に捜索願を提出した。だが有力な手がかりはなく、11月2日からは公開捜査に切り替えられた。
そして11月6日の昼過ぎ、浜田市街から約25キロメートル離れた、広島県北広島町の臥龍山の崖下で、キノコ狩りに訪れていた男性が、切断されたHさんの頭部を発見する。
■顔面に激しく殴打された痕
島根・広島両県警の合同捜査本部による大規模な捜索で、臥龍山で大腿骨と四肢が切断された胴体、左足首が発見された。さらに19日には野生動物の糞や付近から、右足の親指の爪1点と、爪と見られる破片4点、約1.5センチメートル大の肉と骨片が見つかった。
広島県警担当記者は説明する。
「遺体の顔面には皮下出血と筋肉内出血が認められ、生存中に激しく殴打されたことを裏付けます。死因は紐状のもので首を絞められた絞殺です。遺体は死後に切断されていますが、胴体には4肢の切断とは別の刃物で切られた傷がありました」
事件が起きた浜田市は人口6万人あまり。香川県坂出市出身のHさんは、その年の4月、地元の高校を卒業し、大学入学のため、浜田市にやってきたばかりだった。交友関係も限られており、重要参考人の絞り込みは容易であると見られていた。当然ながら捜査では、Hさんとは関わりのない“流し”による犯行の可能性も考えられていたという。島根県警担当記者は言う。
「Hさんが姿を消した市中心部から、遺体が遺棄された臥龍山に向かう国道186号線の金城地区には、通過車両のナンバーを記録するNシステムが設置されています。10月26日から11月6日までの間に通過した車両について、順次捜査が行われることになりました」
だが捜査は難航を極めた。そのため、通常であれば半年以上経った事件に適用される「捜査特別報奨金制度」に、事件発覚3カ月後の10年2月から対象となった。
事件解決・被疑者検挙につながる有力情報の提供者に最大300万円が支払われるこの制度はその後、毎年更新を続けることとなる。
■7年後に書類送検された男は、死亡により不起訴
事件が急展開を迎えたのは、発生から実に7年が経った16年12月のこと。
島根県益田市の会社員・矢野富栄(よしはる)(事件当時33)が殺人、死体損壊、死体遺棄の容疑で書類送検された。だが矢野は死亡しており不起訴。被疑者を取り調べることはかなわなかった。彼はHさんの遺体が発見された2日後、山口県内の中国自動車道で事故を起こし、同乗の母親とともに死亡していたのだ。
事件発生当初から取材していた私は、Hさんの新盆の直前である10年8月12日に、香川県坂出市にある実家で祖父と面会している。
「犯人が捕まるよりも、まず自ら名乗り出て、ちゃんと(事件の)話をしてもらいたい。いまはどんな相手か、顔もわからん状態ですから。ただ、出てきたら出てきたで、その相手を憎むやろうなあ。私だけやなく、家族全員が犯人が出てくるのをただただ我慢して我慢して、待っとる状態です」
「我慢」の日々は7年におよんだ。しかも犯人は死亡し、Hさんが殺された真相は永久にわからない――。あまりにも理不尽な結末だった。
真犯人の割り出しに、なぜこれほどの時間がかかってしまったのか。
行方不明になった当日、Hさんの帰宅ルートをはじめ、浜田市内各所にある防犯カメラに姿が映っていなかったことが大きい。
またHさんがショッピングセンターから退出した前後に、なんらかのトラブルを目撃した人間はいなかった。そのため顔見知りの車に乗った可能性が高いとして、合同捜査本部は、彼女の交友関係の割り出しを最優先事項としていた。
元捜査関係者が明かす。
「Hさんがショッピングセンターを退出した前後に、通用口付近で、白いセダンの目撃証言が複数あった。車種はトヨタのマークIIと見られ、まずは市内の同車種が徹底的に確認されました。やがてそれは同型種のトヨタ車にもおよび、それらの割り出し作業に時間を取られました」
しかし――。真犯人の矢野が乗っていた車は、トヨタのコンパクトカー・ヴィッツだった。初動の捜査で実際とは異なる車種への絞り込みが行われていたことになる。
■交友関係の徹底的な洗い出し
一方、Hさんの交友関係についても、徹底的な洗い出しがなされていた。彼女が暮らしていた女子寮にいた同級生が明かす。
「事件が起きてすぐ寮生全員が大学内の一室に集められ、警察から事情を聞かれました。Hさんの人となり、当日の夜、私たちが何をしていたか、バイト先はどこか、帰り道のルートはどこを通るのか。それらを細かく聞かれました」
事件発覚から1、2週間後には、顔見知りの犯行である可能性は低いと結論付けられていたという。
捜査の焦点は、猟奇的な遺体の解体方法に移っていく。遺体は、内臓の一部が取り出された形跡があり、大腿骨の肉も、鋭利な刃物と見られるもので人為的に削ぎ取られていた。先の元捜査関係者は語る。
「遺体が残忍に切り刻まれていたため、合同捜査本部では犯人像について、猟奇的な性向をもつ人物であると、プロファイルしていた。レンタルビデオ店でホラー映画を借りた人物や、刃物店やホームセンターで鋭利な刃物を購入した人物を一人ずつつぶしていきました」
だが、そうしたプロファイリングによって捜査が長期化したと、その元捜査関係者は指摘する。
「犯人像は狭まるどころか、どんどん拡大していった。あまりにも遺体が鮮やかに解体されていたため、猟師や、解剖の知識に長けた医療関係者にも捜査の網は広げられた。さらにはHさんがロシア船の入港イベントに1度だけ参加したことから、ロシアの特殊部隊関係者説まで出ていました。捜査員の“思い込み”が捜査の偏りを生み、時間がかかったとの指摘があります」
■「一人暮らしの家に、刑事2人が突然やってきました」
事件発覚の翌年に私は、09年11月に捜査対象としてマークされた2人の男性に話を聞いている。
島根県立大学大学院に通うBさんは、学業の傍ら、臥龍山を管轄とする林業の仕事に就いていた。
Hさんが行方不明となった日の深夜、彼は大学の研究室からNシステムがある道を通って自宅に帰っていたのである。
「11月後半の夜9時半頃、一人暮らしの家(広島県内)に、刑事2人が突然やってきました。刑事は私の車が10月26日の夜遅くに金城を通っていたから来たと言い、当日の行動について聞かれ、風呂場を見せてくれと言われました。あと、家にある刃物を見せるように言われました。ノコギリよりもナタや包丁を気にしていたので、鋭利な刃物が遺体の切断に使われたのだと思います」
2人の刑事は、1日空けて、Bさん宅にふたたび姿を見せた。
「大学に何時まで残っていたのかを調べたいと言われたので、研究室でパソコンを使用した時間を話しました。パソコンを閉じた後、すぐ帰り、途中でコンビニに立ち寄ったことを説明しました。コンビニの防犯カメラに映像が残っていたようで、後日、時間的に話の辻褄が合うから問題ないとの説明を受けました」
(小野 一光/文藝春秋 2021年5月号)
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