「遺体をキムチ鍋にして食べた」元義父を殺害、遺体を解体し…犯人の元妻が語った“地獄のような結婚生活”
2023年01月02日 12時00分文春オンライン

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元妻の父親を撲殺したのち「遺体を食べた」と供述…犯人が法廷で語った“身勝手すぎる動機”とは――平成事件史 から続く
埼玉県川越市に住んでいた浄化槽点検管理業、Tさん(59=当時)が、突然姿を消したのは2011年6月。家族が8月に捜索願を出したが、行方は分からないまま。
ところがその翌年、Tさんは、自宅から遠い長野県で遺体となって発見される。
「元妻の父親をバラバラにして埋めた。犯行を隠そうと思った」
Tさんの元娘婿である石崎照夫(逮捕当時46・仮名)がこう供述したことから、事件が発覚。さらに、石崎は公判で「遺体の一部を食べた」と語った。
Tさんの娘である石崎の元妻が明かした「地獄のような結婚生活」の実態とは――。(全2回の2回目/ 最初 から読む)
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〈石崎「腕と足はフリーザーに2~3日入れて、その後は足の肉……赤みの部分を……キムチの素、寄せ鍋の素を入れて、食べることにしました」
弁護人「なぜ?」
石崎「征服感です! とにかく、社会悪の人間、食ってやろうと一心不乱でした」
弁護人「思いとどまるとかは?」
石崎「全くなかったです!」
裁判官「肉はどのくらい食べた?」
石崎「一般のステーキ肉、200~300グラムを3~4枚ほどです。野球ボールくらいに加工しました」〉
たしかに遺体の全てが見つかっているわけではない。
さて、このように、法廷でしきりにTさんに対し“社会悪”と繰り返してきた石崎だが、周囲からは逆に彼自身がそう思われていたフシがある。公判で読み上げられた関係者の調書から、それが読み取れた。
■元妻が語った「結婚生活」の実態
石崎の元妻は調書で「石崎のせいでボロボロになった。もう二度と関わりたくない」と元夫への強い拒否感を見せながら、結婚から離婚までを明かす。
〈「入籍してすぐに子供が産まれましたが、石崎との結婚生活は地獄でした。すぐにだらしない面や暴力的で怖い面を見せてきました。定職に就かず、生活費もまともに入れず、光熱費を払えず止められた。たとえ私が身重でも、家にろくに帰らず、1000円などを渡してそのまま数日戻らないこともありました。食べるものに困り、妊娠中は貧血で倒れたこともあります。(中略)いつも酒を飲み、酔っては切れていました。首を絞められたことは2回あります。首を絞めるとき『生きてるのが嫌になったなら、俺がお前を(殺して)救ってやる』と暴力を正当化してきました」(元妻の調書)〉
また普段からことあるごとに「山口組の直系の組のNo.2秘書の知り合い」、「九州にいるとき、ストーカー被害に遭っていた女の男に、天ぷら油をかけた、だから九州には行けない」などと、怪しげな武勇伝を吹聴しており、元妻はそれを信じて石崎を恐れていたという。子供が産まれてからも、石崎は生活費を家に入れず、酒やギャンブル、女遊びにのめり込んだ。離婚の原因は石崎の浮気だった。
〈「子供と暮らしているアパートに浮気相手を連れ込んで、隣の部屋で性行為をする。普通の家庭で考えられることではない、本能をむき出しにした男だった。
離婚したのは、当時、私と子供と石崎とその浮気相手の4人で住んでいたアパートに、浮気相手の夫が乗り込んできたことがきっかけだった。その人に事情を話すと『あんた、それでいいのか』と言われて、私も我に返り、浮気相手の夫とふたりで役所に離婚届をもらいに行き、それぞれ離婚届を突きつけた。互いに離婚届の証人になった。(中略)
中学の頃から生きていても仕方がないと思っていたが、結婚と離婚でこれまでにないほどボロボロになり、離婚後は子供を石崎が引き取った。その後も首を絞められた恐怖などを思い出し、心が沈んでいた……」(同)〉
■陰湿な嫌がらせも…「こんなことするやつは石崎しかいない」
Tさんの失踪が、当時まだ石崎による殺人だと判明していなかったころ、Tさんの妻は、夫のいない会社を家族や石崎、そして従業員らと切り盛りしていた。殺害後に石崎がTさんの兄や従業員、そしてTさんの妻に嫌がらせを続けていたことについて、Tさんの妻は「こんなことするやつは石崎しかいない」(調書より)と当時から冷静に見ていた。
〈「外出から自宅に戻ってきた時、自転車が隣家の敷地に倒れていた。起こそうとしたところ、フェンスが壊れていた。こんなことしていくやつ、石崎しかいないと思いながら自転車を起こした。石崎はお調子者で手癖が悪く、嘘つき。腐った果物を『これ、もらいものなんです、食べませんか』と持ってきたり、飲酒運転は日常茶飯事。
石崎は、財布から金を抜き取ったりもしていて、私もよく思っていなかった。夫がいなくなったあと、しきりに石崎が将来のことを語るようになったり、月に2~3万円置いていったりするようになったが、行方不明届を出して以降、突然態度が変わった。『俺がこんなにしてるのに、誰がお前の面倒見るんだ』、『誰とでも寝る女なんだろ、やってくれるんだろ』などと言い出したり、酔って自宅に来て大声で怒鳴ったりしていた。
自転車が停まっているのを知ってて、車庫に車を入れて自転車を壊したりするようなことを平気でする。そんな石崎なので、フェンスが壊れているのを見た時、こんなことするやつは石崎しかいない、と思ったわけです」(Tさんの妻の調書)〉
「金返せ」「死」などと家の扉にスプレーで書かれた元従業員は、被害を受けた家に住めなくなったため、取り壊して更地にしたという。
〈「なんの弁償もなく泣き寝入り。本来なら慰謝料を請求したいが、精神を病んで人と話すのが辛い。裁判にも行けない……」(元従業員の調書)〉
■実の娘への“虐待行為”も明らかに
石崎の娘が暮らす施設で、娘との面会に立ち会ったことで暴行や脅迫の被害に遭った職員は、もともと石崎の娘が、面会に恐怖していたことも明かした。
〈「石崎の子供から学校の担任に『父から叩かれたり、つねられたりされる』と被害報告があり、施設に入所した。当時から今まで、子供は石崎のことを怖がっている。両親が離婚して石崎との二人暮らしになってから、叩かれたり、お風呂で両足を捕まれ、逆さ吊りにされ湯船に沈められたりしていた。
通常、施設での面会は人目につかない和室で親子二人だけで行われるが、石崎の子供は、石崎と二人だけになることを怖がっていた。そのため、石崎と子供との面会は他の職員もいる職員室で、さらに職員立ち会いのうえ行われていた。過去にも例がない。つまり、それだけ、石崎が豹変すると何をするか分からないと警戒していた。普段は低姿勢だが、意に反すると急に威圧的になるところがあった」(施設の職員の調書)〉
■「被害者に申し訳ない」と頭を下げたが…
こうして周囲の人々の人生を狂わせ、恐れさせていた石崎に対して検察官は「殺人の犯行は計画的。Tさん殺害は強い殺意に基づく犯行。遺体を『煮込んで食べた』という話は鵜呑みにはできないが、真実だとしても、強い憎しみを抱いていたTさんを征服しようとしており異常だとはいえない」などとして懲役23年が求刑された。
石崎が長々と述べていたTさんの“不正行為”についても「行為を見ていながら仕事を辞めていない」ことなどから、信憑性は薄いと主張。判決では「強固な殺意に基づく犯行」として懲役22年が言い渡されている。
石崎は本当に「Tさんが不正行為をしている」と思い込んで殺意を抱いたのか。裁判所はこれについて「Tさんの会社を思い通りに動かしたいという意図」があったと認定している。結局のところ、私利私欲から殺害を実行したのだという。にもかかわらず、公判で石崎はまるでTさんに非があったかのような証言に終始した。
最終意見陳述で「遺族や被害者に本当に申し訳ない」と頭を下げていたが、この発言も、彼に近しい者たちが語っていたような“低姿勢”モードなのだろうかと思えば、どこまで信じたら良いのか分からない。
(高橋 ユキ)
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