《テレビでおなじみの医師の知られざるお仕事》おおたわ史絵が取り組んでいる「塀の中の懲りない面々」との真剣医療勝負
2023年01月03日 12時00分文春オンライン

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現役内科医の傍ら、各メディアでコメンテーターとしても活躍するおおたわ史絵氏。2018年からは法務省矯正局の医師として刑務所に収容されている受刑者の診療にもあたっており、今年11月には実際のエピソードを交えて奮闘を綴った著書『 プリズン・ドクター 』(新潮新書)を上梓した。
ここでは本書から一部を抜粋。刑務所という特殊な環境下で医療に向き合うおおたわ氏が目にした、衝撃的な受刑者たちの“傷”とその背景とは。
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■傷が“汚い”受刑者たち
刑務所や少年院で診察をしていると、とにかく傷痕のある身体の多さに驚く。
普通のひとはなるべく体に傷をつけないように注意して生活するものだし、万が一傷を負ってもできるだけ痕が残らないための治療を受ける。それがあたりまえだと思っていた。
でも、そんな常識は塀の中では全く通用しなかった。指がない男たちの話は先にしたけれども、そんなのはまだまだ序の口だったのだ。
たとえば昔の抗争で片方の眼球を失った者。義眼も入れることなく、不自然にへこんだ瞼のままで平然と服役している。本人はその状態に慣れっこのようだが、ばったりと町で出会ったなら、ぎょっとしてつい声を上げてしまうくらいの不気味な風貌だ。
耳のない者もいた。耳なし芳一のように、切り落とされた古い傷が皮膚を醜くひきつれさせたまま治癒していた。
眼にしても耳にしても、この手の外傷は得てして治りかたがひどく汚い。傷は汚い場所でついたものほど化膿するし、清潔で適切な治療を早く受けなければ、それだけ感染が進んで治りにくくなる。
彼らの汚い傷痕が、正規の医療機関で治療されていないことは、プロが見れば一目瞭然。はなから法に触れるシチュエーションで負った傷なので、まっとうな診療が受けられる筋もない。
こんなふうに、傷痕は身体に残された生き方の記録だ。過去の凶悪な過ちは償っても清算できないことがあるのと同じで、過去の汚れた傷もまた消し去ることはできないのだ。
■「でもこれ、本気で殺そうってわけじゃないね」
ある若い女性受刑者の話をしよう。
喘息のような息苦しさがあると言うのでシャツをまくって背中の聴診をした。
彼女は背中に何本もの切り傷の痕があった。脂肪のない細い背中を横切る線は、ざっと見て10本ではきかない。かなりの数だ。傷の形状からしてよく切れる刃物でつけたものだ。リストカットに酷似している。
でも待てよ、少し変だ。背中の真ん中ゆえに自分で手の届く場所じゃない。
「これ、なに? どうした?」
聴診を終え、シャツをおろしてやりながら尋ねてみた。そうしたら隠すわけでもなくわりとすんなり答えてくれた。
「あ、これは……母親にやられました」
虐待によるものだった。包丁による傷だという。
ただ、傷痕の様子からすると、乱暴に深く切りつけたものではない。鋭利な刃物をいたずらに皮膚に這わせたような傷のつきかただ。
「そうか。でもこれ、本気で殺そうってわけじゃないね」
私の言葉に彼女は薄く笑ってうなずいた。
「そう、だと思います」
母親の感情のままにもてあそばれた人生だったのだろう。それをあきらめながら受け入れてきた長い年月を彼女のカラダが物語っていた。
その育ちかたと犯罪者になったこと、双方にまったく関連性がないと誰が言えるだろう。
人間は生まれながらに罪人なわけではない。いつからかさまざまな外力で捻じ曲げられて罪人になっていくのだ。
このように、シャバで医者をやっているだけだったらまず見ることのないような傷がどれだけあることか。
刑務所はそれだけ異常性を孕(はら)む社会なのだ。
■リストカットの傷はたいてい浅い
傷は喧嘩や抗争、虐待で作られるだけではない。実際には自傷によるものの数がすごく多い。
ことに女子被収容者のリストカットの率はとても高い。手首から腕にかけて、袖口をまくると傷痕が現れる。
常習リストカットは真っすぐな細い線がきれいに横に並んでいるのが典型的。その傷はたいてい浅い。どれも数日間で塞がってしまう程度のもの。つまり、さほど力を入れて切りつけていないことがわかる。
リストカットの場合、たいていは動脈を断ち切って死んでやろうという強い意図はない。ただ皮膚を刃物で傷つけること自体が目的となっている。
痛みに伴って脳から分泌される脳内鎮静物質にほんの一時酔いしれる意味が大きい。だからクセになりがちで、一旦この沼に堕ちるとなかなか這い出て来られなくなる。
前に男子刑務所では刺青率がどれほど高いかの話を書いたが、女子にもそれは当てはまる。
いつだったか出逢った、20歳そこそこの女性被収容者は背中一面に派手な和彫りが入っていた。やわらかなお尻の部分まで彫り込まれた鮮やかな色は、まだあどけなさの残る細く白い身体にふさわしくなかった。
それは、かつて同棲して一緒に覚醒剤をやっていた男に誘われて入れたものだった。
いくら好いた男のすすめとはいえ、あの若さでそんな取り返しのつかない傷をつけることもなかろうに。拒否することを知らなかったのか、それとも自分自身もそれを望んだのか?
どんな理由だったとしても、やはりこれも自分を大事にできない、ひとつの自傷行為ととらえるべきなのだろう。
■男子は“少年院に入った証”を欲しがる
若い男子には手の甲のタバコによる火傷、俗に言う〈根性焼き〉が目立つ。千度近くもある火種を押しつけるからにはそうとうな痛みを伴うはずだけれど、一部の少年たちの間では肝試しみたいな感覚で行われている。リンチの手段としても使われる。
それと並んでよくあるのが、小さな三つの点状の刺青。手の親指と人差し指の間に小さな点が正三角形に並んでいるのを見かけたことはないだろうか?
これは〈三点星〉と呼ばれる。少年院内で知り合った子たちの義兄弟の契りが起源。本格的な彫り師に依頼できない若者から広まったワルの習わしだ。
似たようなものに〈年少リング〉もある。左手薬指に指輪をまねたラインを入れるのだ。これは少年院に入った証とされ、もともとは更生を誓う意味があったらしい。後に大人になって結婚した時には結婚指輪でこのラインが隠れる仕組みになっている。
少年院は前科にならないのだから、わざわざそんな証拠を身体に焼き付ける必要はまったくない。成人したら過去など素知らぬ顔で平然と生きていけばいいものを、子供独特の反逆心がこうした自傷を起こさせる。
男女を問わずこれらの自傷は年齢の低いうちに始まることが多い。
それはつまり、思春期からすでに精神面に問題を持っていると言い換えることができる。
これには成育環境が大きく関係する。家族関係が良好にない子供は愛着障害や自己肯定感の低さを抱きやすい。そしてこれらは彼らを自傷へと駆り立てる。
犯罪と精神の関係は根深い。健全な心身を持つ人間は概して馬鹿げた罪を犯さないものだ。
■自室で手の指を噛み砕いた男は、治療後にも……
私も矯正医療の世界に足を踏み入れて数年が経とうとしている。だから少しは刑務所の診療に慣れてきたと思っている。
それでもいまだに理解を超えるレベルの傷を持つ受刑者に出くわすことがある。
とある殺人罪の被収容者は、自室で手の指を噛み砕いた。骨が見えるくらいまで深く噛んだ。
血だらけになって刑務官に発見され、すぐさま応急処置で外科のドクターが縫合した。だけれど、その晩にまた噛んで、こんどは完全に断裂するまで嚙みちぎってしまった。
もちろんこんなことをしでかした理由など常人にはわかるはずもない。妥当な説明がつかない。はっきりしているのは、彼が相当な精神の異常を来しており、裁判でも精神鑑定が行われたということくらいだ。
とうてい理解できないレベルの身体の傷がこの世には存在する。
その傷の深さは、ある意味で彼らの精神状態を反映している。
毎日のようにニュースでは異常性を伴った事件が伝えられている。
アナウンサーの読み上げる、「容疑者は精神科通院歴がありました。刑事責任能力の有無を調べるため、精神鑑定が行われる見込みです」の原稿。
もちろん精神科通院歴があろうとなかろうと、そんなこと、ほとんどのケースでは犯罪に関係ない。病人と犯罪者をいっしょくたにしてはいけない。
また、精神鑑定の結果、多少の異常を認めたところで、それがすなわち無罪に直結するわけでもない。
事実、異常があれども「責任能力あり」と判断されるケースだってたくさんある。病気だからなんでも無罪放免になると思ったら大間違いだ。
私は医者としてそういうニュースを耳にするたびに、きまって虚無感に襲われる。
被害者も関係者も、本当は法的に無罪有罪の結果だけを問いたいわけじゃないのだろう。それよりも、どうして事件を防げなかったのか? そのことのほうが何倍も大切なことだ。
犯人らの精神の異常をもっと早く正確に判断する手段はなかったのか? 止められなかったのか?
■異常性の治療は本人の意思にまかされている
この問題を考える時、医師の立場からすれば少しでも治療に繋げていれば起こらなかった犯罪はいくつもあると感じる。
たとえ現代の医療では異常性を完璧に治癒させることはできなくても、取り返しのつかない犯罪者になる前に止めることくらいはできるのではなかろうか。
事件が起きてからでは遅い。未然に医療が介入できる仕組みが必要だ。諸外国では薬物乱用や病的窃盗、性犯罪などには再犯防止のための治療を受ける義務を課しているところもある。
だが日本はまだまだそこまで及ばない。異常性の治療は本人の意思にまかされている。
一日も早く、この国も変わらなければいけない。
罪を犯す異常性を抱えた人間、もしも彼らを止めることができるとしたら、それは法でも罰でも力ずくで押さえ込むことでもない。医療の力しかないと思うから。
(おおたわ 史絵/Webオリジナル(特集班))
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