政界のキーマン・菅義偉前総理大臣が「派閥政治と訣別せよ!」
2023年01月09日 12時00分文春オンライン

岸田文雄首相 ©時事通信社
岸田文雄総理大臣の足元が揺らいでいる。自民党岸田派(宏池会、43人)は2022年8月の内閣改造で派閥内から3人が入閣したが、葉梨康弘前法相と寺田稔前総務相が相次ぎ辞任に追い込まれた。さらに岸田政権の後見人役である麻生太郎副総裁も安泰ではない。昨年末、麻生派のホープであった薗浦健太郎衆院議員が政治とカネをめぐる問題で東京地検特捜部に略式起訴され、議員辞職したのだ。
――なぜ、日本の政治は国民の期待から乖離していくのか?
この疑問について、政界のキーマンである菅義偉前総理は「文藝春秋」のインタビューに答え、〈私はその一つの要因に、派閥の存在があると考えます〉と指摘。戦後政治で主流だった派閥政治に異を唱えた。
総理経験者が派閥の解消を訴えるのは、前代未聞のことである。
■「自分の意見を言えない状態」はおかしい
派閥政治の弊害は何か? 菅前総理はこう分析する。
〈派閥の最も大きな弊害は、とくに総裁選挙の時ですが、国民の負託を受けて当選してきた政治家が、理念や政策よりも派閥の意向を優先してしまうことです。政治家は政策を実行するために国会議員になったはずなのに、その信念に基づいた思いが時間が経つにつれ阻害されてしまう。
総裁選で派閥の意向に反発すれば、閣僚や党役員のポストからはじくとか、従った議員と差をつけるとか、私はずっと疑問に思ってきました。派閥に入っていなくても、政策本位で、適材適所にポストに就けるのが大事でしょう。派閥の領袖に従わなければならない、自分の意見を言えない状態にすべきではない〉
菅前総理がそう確信するに至った経緯は、「実体験」から来ているという。
〈私は過去2回、総裁選で派閥の考えとは違う人を応援して、派閥にいられなくなる経験をしました。まず当選して初めての1998年の総裁選で、所属していた小渕派の小渕恵三さんではなく、梶山静六さんを応援しました。当時は野中広務さんの全盛期で、「あいつだけは許さねえ。政務官にしてやらねえ」と言われた。私は「政務官なんてやりたいと思っていません」とやり合ったことを覚えています。
2度目は2007年の福田康夫さんと麻生太郎さんの闘いで、私は古賀派にお世話になっていましたが、意向に従わずに麻生さんを応援して結果的に派閥を出ました。雰囲気としていられなくなってしまう。以後、無派閥ですが、いろんな方に助けて頂いて、派閥なしでも生きて行けるようになりました。
なので私が総理大臣の時には、派閥の推薦は受けずに人事を決めました。逆に『派閥が推薦したら閣内に入れないぞ』という感じを出していました。昔は派閥の推薦枠に名前がなければ、閣僚になれないという時代がありましたけど〉
■岸田総理は「国民にどう見えるか」を意識せよ
かつて自民党は、派閥のボスが閣僚など重要ポストを分け合う慣習を続けてきた。
また、新人議員は派閥に属して政治家としての教育を受けるという習慣があった。
では、現在の岸田政権の運営を菅前総理はどう評価しているのか?
〈岸田文雄総理はそんな昔に戻ったとまでは言いませんが、派閥とうまく付き合いながら人事を決めていると思います。岸田総理は未だに派閥の会長を続けていますが、小泉純一郎元総理も安倍晋三元総理も、総理大臣の時は派閥を抜けました。岸田総理が派閥に居続けることが、国民にどう見えるかを意識する必要があります。派閥政治を引きずっているというメッセージになって、国民の見る目は厳しくなると思います〉
■「菅派」の旗揚げはあるのか?
一方、菅前総理を支持する「ガネーシャの会」という議員集団がある。
これが派閥に昇格するのでは?……という見立てが永田町では有力視されているが、はたしてどうなのか?
1月10日発売の「文藝春秋」2月号では、菅前総理のインタビュー「派閥政治と訣別せよ」を掲載している(電子版では1月9日に公開)。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年2月号)
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