成田悠輔さんの高齢者に「集団自決」を求める発言がボヤを起こす一部始終

成田悠輔さんの高齢者に「集団自決」を求める発言がボヤを起こす一部始終

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 米イエール大学の経済学者、成田悠輔さんが、タレントの堀江貴文さんとのYouTube対談で社会保障問題について触れ、「高齢者は集団自決すべき」などの発言を行っていたのが掘り返されていました。メディア受けして世に出るためには、この手の炎上も経過として時に避けられないものなのでしょうか。とはいえ、まあまあ大変なことになっていたため見物に行ってきました。

■「新自由主義者のホープ」に対する世間の評価

 成田さん自身は、繰り返し本人も書いたり話したりしている通り、世の中で配慮されタブーとなっている物事にこそ本質が宿っているというラディカルな考えの持ち主です。まあ、タブーにはたいてい欺瞞や偽善、ダブルスタンダードが渦巻く世界なのも事実ですしね。ある意味で言論芸人の世界でも「面白いことをはっきり言ってくれる学識者」という椅子をゲットして、メディア露出を増やしている段階です。

成田悠輔「私が“言ってはいけない”ことを言う理由」|賢人論。|みんなの介護
https://www.minnanokaigo.com/news/special/yusukenarita/
多様なアルゴリズム生成データを用いた反実仮想予測:メルカリにおける実装
https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/22e097.html

 経済学者として割と良い論文を書いていると学術的に評価する声がある一方、名声を生かしてメルカリなどから研究資金をもらい、それっぽい産学連携をやる器用さを持ち合わせております。自治体の仕事をしていると、成田さんが経営しているとされる半熟仮想株式会社が自治体データの利活用で公的業務の枠組みで名前が出てくるなど、おお、やることやってんなあという印象です。

 メディアに出てきて物議を醸す成田悠輔さんと、相応の学識的バックグラウンドを持って研究活動で成果を出す成田悠輔さんと、政府・自治体にほんのり食い込んで政策への人工知能やデータ利活用などの実装をやらんとする成田悠輔さんとが、三位一体的に並存するわけですね。

 そこへ、落合陽一さんも反応し、成田悠輔さんがメディアでの肩書で使っている助教授(Assistant Professor)はいまでいう単なる(おそらく任期付きの)助教に過ぎないけど経歴詐称というわけではないと指摘しつつ、「助教授と書くと一段階カッコよく見える雰囲気ビジネスが効くのは助教授時代の中年ユーザーか、特に何も詳しくない人くらい」と謎のマウントをしており、メディアに登場する中堅学識経験者の先駆者としてご高説を賜っております。

 さらに、出羽守キラーとしても名高い、めいろまこと谷本真由美さんも参戦。「彼は査読論文がある経済学者なのに、なぜ本職の経済学者や政策立案者と議論せず、素人だらけのテレビに出るのですか?」と発言しています。

■どこから火が燃え移ったのか?

 その背景には、いまや円安インフレが進行して死亡寸前のMMT論者とのネット番組「ABEMA Prime」の対談にて、成田悠輔さんが札束を刷るだけのMMT経済理論は「根拠のない情弱ビジネス」と一刀両断して物議を醸したことにあります。

 もともと成田悠輔さんは、テレ東のネット番組でもMMTを主張する著名人や漫画家を指して「全員ただの馬鹿かポジショントーク」と断罪した経緯があります。まあ、計量経済学や市場を見ている人間からすれば、リフレ派やMMTの主張にろくなものがないのもまた事実ですからな。それもあって、低成長日本は刷る札束が足りなかったと金融政策を重視するリフレ派もついでにぶん殴ったため、高橋洋一さん以下リフレ派経済学者も総立ちとなって論戦が始まるのではないかと期待しています。

 そこに降って湧いたのが、弁護士・渡辺輝人さん(通称・ナベテル先生)が冒頭の成田悠輔さんの「高齢者は集団自決すべき」発言を再発掘したことで、倫理的に成田悠輔さんはマズい人なのではないかと問題提起を始めた事件です。あ、これは燃えるやつですわ。

 成田悠輔さんと言えば、各メディアで西村博之さん(ひろゆき)との絡みも多く、その西村博之さんは昨年、沖縄辺野古基地反基地運動で連続3,000日以上座り込んだと標榜する無人の立て看板の横でピースして記念撮影して、これまた反基地運動に従事する活動家が顔真っ赤で反応し、「ABEMA Prime」で無事取り上げられるという惨状が発生したのも記憶に新しいところです。

 いわば、西村博之さんとセットで社会的な配慮やタブーに意識的に触れて炎上を怖れず、むしろ炎上させることでネット的な注目を浴びておカネを稼ぎたいメディアや出版社に担がれる状況になった成田悠輔さんと、この手の人権や反基地、反原発を旗頭にする共産党系の活動とは根本的なところで相容れない部分があります。

 いわゆるColabo問題や米山隆一さん・室井佑月さん夫妻への攻撃もまた、ある種の左翼活動の強すぎる党派性と、その党派性ゆえに揶揄される偽善や欺瞞、ダブルスタンダードに対する世間的な反発とも相俟って、空気が乾燥した冬に火薬庫の横でタバコを吸いました的な事象が起きるのも当然と言えます。

■本来の意図は伝わらず問題発言だけが残った

 ど真ん中に新自由主義的な経済思想と人工知能などテクノロジーとを融合しながら、政府DXを進めたり合理的な規制改革をしたりして、経済改革をしましょうというのが成田悠輔さんの主張の大まかな骨子です。

 それは「暖かい家庭とか人権をどうしようとか社会保障を充実させて最大幸福の日本を」という(論じる価値はあるけどある種の欺瞞にも満ちた)政策とは決定的に相性が悪い。特に、渡辺輝人さん以下、共産党を含む左翼的な社会思想とは完全に混ぜるな危険となっています。

 だからこそ、社会保障の行き詰まりが日本の国富を維持する上で障害になっていて、もはや高齢となって社会に富を生み出すことのできなくなった老人をどこまで社会が包摂し生かしておくかという根源の議論となります。

 本来、社会保障や情報法を見ている私のような人間からすれば、成田悠輔さんが過激なことを言ってでも伝えたいことはこの辺だろうとすぐに理解はできます。しかし、いかんせん、話が超絶デリケートな安楽死・尊厳死の問題や、社会保障改革にまで進んでしまうと、渡辺さんのように「成田悠輔氏の社会的な発言について報告し、見解を尋ねたい」とかいうキャンセルカルチャーそのものの行動を誘発してしまいます。

 当たり前ですが、堀江貴文さんとの対談でラフに「高齢者は集団自決すべき」と語ったぐらいの話で何かあるとは思いませんけれども、この問題はスティグマになって、今後の成田悠輔さんの日本国内での起用については引き続き物議を醸すでしょう。

■「なんだこれ……」なかには内容に疑問符がつくような記事も

 ここでちゃぶ台をひっくり返すわけではないのですが、成田悠輔さんは優秀な反面、自身が専門にしていると豪語しているはずの教育政策の分野において、かなり雑に教育データの利活用絡みの政策記事を書いています。

「政府の教育データ一元管理」即炎上の残念な実態
https://toyokeizai.net/articles/-/511452
第9回 デジタル化がもたらす恩恵
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii28/09.html

 なんだこれ……。成田悠輔さん、優秀な人なんじゃなかったの。プロフィールに教育政策に詳しいと書いてあるので読んでみると、いま日本政府だけじゃなく、世界的にデータと子どもの関係についてプライバシー権の議論になり、プラットフォーム事業者と政府・憲法の関係についても、議論が行われていることをすっ飛ばして社会実装すればいいじゃん的なことを書いている。この辺の話題は10年ぐらい前に中教審でも話題になった、周回遅れの議論なのでは?

 例えば、割と簡単に「データを自動で収集し、分析に基づいた教育を自動で実行できるようにするのです」と成田悠輔さんが論じているんですが、いま教育データの問題で重大なのは、データやエビデンス(根拠)に基づいた教育をしたいのに、実はまだ教育データの何をどう分析して、いかなるフィードバックをすれば子どもの成績が上がるのかという問題について、さしたる実証研究はできていないのです。ぶっちゃけ、成田さんが書くほど簡単な話じゃありません。

 しかも、よりによって教育データの目的外使用で内々に怒られが発生し、この問題が分かっている文部科学省のまともな人が戸田市教育委員会にスライドした経緯も含めて、成田悠輔さんはあまりよく分かっていないまま適当に書いているんじゃないでしょうか。教育政策の専門家としての能力に大きな疑問符がついてきます。

 また、これは成田さんも自身で書いていますが、人工知能で解析可能なのは昨日まで起きていたことを今日も再現する前提での話であって、実際のところ、教育データのように子ども単体の学習ログ(教育データの一部)を解析してもさしたることは分かりません。

 もちろん、単純な記憶や計算などワーキングメモリー(人間の認知能力の一つ)で子どもの習熟度を測るためにMEXCBT(コンピュータ・ベースド・テスティング=オンラインでやるクイズ形式のテスト類)を使うことになっていますが、これこそ「暗記こそ学力だ」という1990年代までの「新学力観」とあまり変わらないもので、いまや中学受験で熾烈な争いになっている悪しき側面を公教育でも踏襲しかねないと議論になっているものです。これを、子どもの成績管理だけでなく子どもの暮らし関連のデータと連携すると、大変にマズいことも沢山分かってきてしまいます。

 例えば、成績急落に見舞われた子どもにフラグが立ったので虐待の疑いがあるのではと検証すると、かなりの割合で親の離婚や病気で子どもの精神状態が勉強どころではなくなったという家庭の事情が出てきてしまいます。完全に家庭内の個人の尊厳に関わる情報であって、こんなものが安易に教育データと自治体の児童福祉とで連結され分析の対象とされるのは倫理的に通らないし、成田さんが戸田市教育委員会を持ち上げるのも、教育政策における完全なやらかしを認識していなかったからだろうと思います。教育委員会が司る公教育の教育データ利用においては、完全な目的外利用です。

■露出のために専門外のテーマも喋ることの弊害

 おそらくは、若く著名な経済学者のホープとして、メディアが重用することで「本来の専門ではないことも、一面の政策議論やデータだけで解答を出し一般に喋ってしまう」ことになりかねず、そこはもう、メディアに出ている研究者としての賞味期限問題にも直結します。しかも、たぶんですが、成田悠輔さんは自身を取り巻く環境をよく理解しているようにも見えるので、後は本人の身の振り方、決め方の問題だろうと感じます。

 成田悠輔さんも生き残りに必死なので、声がかかっているうちに引っかかるものは何でもやろうの精神で努力されていると思いますし、うまく分野を絞って頑張っていってほしいですね。はい。

(山本 一郎)

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