「先生は逃げたんだな、と思いました」逮捕された中学教師が命を絶った男子生徒への強制わいせつ事件。被害者が初めて思いを明かした

「先生は逃げたんだな、と思いました」逮捕された中学教師が命を絶った男子生徒への強制わいせつ事件。被害者が初めて思いを明かした

教師が猥褻 被害生徒の苦悩

「先生は逃げたんだな、と思いました」逮捕された中学教師が命を絶った男子生徒への強制わいせつ事件。被害者が初めて思いを明かした

写真はイメージです ©AFLO

 2022年5月、警視庁は、東京都練馬区の区立中学校教諭の男(37)を強制わいせつ容疑で逮捕した。光が丘署によると、男は5月13日午後3時過ぎ、勤務先の中学校の男子トイレの個室で、10代の男子生徒の体を触るなどわいせつ行為をした疑い。しかし、5月21日未明、釈放直後に男は自殺した。東京地検は、6月28日付で男を被疑者死亡で不起訴とした。

 この事件では、一時、「教諭がそんなことをするはずがない」などの声が生徒からあがっていた。そのため、被害生徒に対してLINEグループなどで誹謗中傷がされた。

〈先生が逮捕されたのは、大げさに言ったからだ〉

〈やられていないことも言ったのではないか〉

〈逮捕されるように仕向けたのではないか〉

 この度、被害にあった男子生徒・野島ヨウヘイさん(仮名)に、母親同席のもと自宅で話を聞くことができた。実際には、どんな被害があったのか。その後、野島さんはどのような学校生活を送ったのか――。

■「距離が近いよな」と思っていた

 卒業を前に「事件のことは正確な内容を他の人にも知ってもらいたい。自分が声をあげることで、どこかで困っている人が、声をあげられたらと思った」と、初めて思いの丈を話してくれた。

「逮捕された先生は、僕が中2の時、他の地域から異動してきたんです。授業以外でも話すことがありました。スキンシップをする人で、よく触ってきました。他の生徒に対しても同じです。最初は、『距離が近いよな』と思っていたんです。スキンシップを取るのは僕が知る限り男子生徒のみです。

 授業中も、一人1台のパソコンが与えられているのですが、そのPCを後ろから覗き込むことがあり、近いなと。最初は『なんだ?』と思っていたことがありましたが、気がついたら、そのことも慣れていました。

 ただし、陰キャの生徒は触らないですし、一度、拒否をしたら触らない感じで、白黒はっきりしていました。僕も先生の授業の成績が『5』だったので、それならいいかと思っていました。不思議な人だな、変だなとは思っていたんですが、嫌いではありませんでした。生徒から嫌われる先生ではなかったです。ただ、Instagramのメッセージ機能で『うちにおいでよ』と言われたこともあります」

■トイレの個室に押し込まれ…

 中3になると、その教諭は担任になる。逮捕容疑の強制わいせつがあったのは、5月13日の授業後の掃除の時間だった。

「僕がいた班は、トイレ掃除を担当していました。僕はモップを使っていたんですが、モップの先を便器の中に入れるふりをして遊んでいました。ふざけていたことを班員の誰かが先生に言いに行ったんです。その先生が、逮捕された担任でした。

 そのときは、担任には『本当にやったら、掃除はやり直しだからな』と言われただけでした。掃除を終えると、班長である僕が担任を呼びに行きました。そのとき、トイレにやってきた先生は僕を押して、『次やったら、個人レッスンだからね』と言ったんです。ニヤニヤしていました。

 そして、そのままトイレの個室に押し込まれたんです。僕が個室の奥で、先生が個室のドア側でした。個室の便器と壁の隙間に押し込まれて、そのまま股間を触られました。個室にいた時間は10秒ない感じだったと思います。触ったのは、感覚としては数秒。ですが、されたこと自体がきつい。抵抗できない状況でした。ただし、他の生徒たちにとっては、死角になっていたので、何をされたかは見えないと思います」

■フラッシュバックした過去の痴漢被害

 実は、野島さんは、小2のときに一度痴漢にあっている。

 母親によると、プールの帰り道で周囲は暗くなってきた時間帯だった。母親は車道側で自転車を押していた。野島さんは歩道を歩いていた。途中、車道と歩道の間に植物があり、母親から野島さんは死角になった。そのとき、男子中学生に痴漢された。警察に被害届を出し、中学生は補導されたという。

 トイレ個室内で被害にあったとき、過去の痴漢被害がフラッシュバックした。そのため、野島さんは「これはやばいな。終わったな」と思ったという。

「中2のとき、先生と会話していた流れでトラウマの話になったんです。そのとき、痴漢被害のことを話しています。先生は『大変だったね』と言っていました。授業の間の休み時間だったので、チャイムが鳴って、そのままになり、その後は特に話題になりませんでした」

 痴漢被害のトラウマがあるにもかかわらず、野島さんを不用意にスキンシップをする対象にしたり、10秒に満たないまでも、トイレの個室で股間をさわったのは、一体なぜだったのか。自殺してしまった今では、その動機を知ることもできない。

■担任は逆ギレ気味に謝罪

 さて、被害直後、野島さんは別の教諭に相談をした。「お母さんに相談しなさい」と言われ、帰宅後、母親に話をした。母親に素直に話すことができたのは、小2のときの痴漢被害があったことも一因だ。

「『痴漢は犯罪』というポスターをよくみていました。小2のときも、痴漢がいけないことだと知っていました。そのため、自分の中では(痴漢は)大きいことだったのです」

 翌日(土曜日)の授業終了後、相談をした教諭に母親が電話をした。すると「管理職ではないので判断できない」というので、副校長を呼ぶ。母親は「(加害行為をした)担任とは同じ教室にいられない。担任を代えてほしい」とお願いをした。校長が不在で、月曜日も出張とのことだった。

「授業だけなら耐えられるかもしれないが、担任だと接する時間が長いので教室にはいられない。これは犯罪ですよ。対応していただけなければ、警察に相談します、と副校長に伝えました」(母親)

 加害行為があってから4日後の火曜日になって校長が出勤する。この一件について報告を受け、担任を呼び出すと加害行為を認めたという。しかし、話がそこから進展しなかった。午前中、校長と副校長、担任、野島さんと話し合いをした。担任は「遊びの感覚だった」と話したという。

「僕のトラウマの話を知っていたのに、先生が痴漢なんて怒りしかない。先生は『(野島さんが)望むなら教員をやめる』と言っていました。すると、校長先生は『その話はしないとさっき言ったじゃないか』と言っていたのを覚えています。先生は言葉では謝罪していましたが、逆ギレ気味でした」

■「何を望んでいるのか?」と何度も

 その後、校長は穏便に済ませようとしたという。

「校長先生は『今まで仲良くやっていたんでしょ? ならば、もう一回、仲良くできるでしょ?』と言ったんですが、僕は『無理です』と答えました。すると、校長先生は黙っていました。事件をなかったことにしようとしたのは許せません」

 話し合いは平行線。その日のうちに、野島さんに担任が何度か接触してきた。

「接触してきたのは3回。1回目は廊下の手洗い場。2回目は防火シャッターの付近。3回目は1回目と同じ手洗い場。周囲からすると、不自然さはない声掛けだったと思います。いずれのときも『何を望んでいるのか?』と聞かれました。僕は『警察に行きます』と答えただけでした。

 ただ、3回目のときに、たまたま廊下を歩いていた別の先生が気づき、止めに入りました。『野島くん、ちょっとこっちおいで』と手招きをした。担任は謝って終わりにさせようとしていたんだと思いますが、誠意ある態度とは思えませんでした」

■「担任は逃げたんだな、と思いました」

 午後になると、母親が学校に呼ばれ、校長と副校長と話し合う。校長は「申し訳ありません。改善させますから」と言ったが、母親は「改善は無理だと思う。息子は納得しない」と主張した。そのやりとりの繰り返しが続く。最終的に母親は「警察のほうに相談させてください」と言い残した。母親はこう語る。

「その日に光が丘警察署に2人で相談に行きました。事情を話すと、『犯罪にあたるかどうかはわからない』と言っていましたが、最終的には強制わいせつ容疑になるということでした。翌日18日(水曜日)の早朝、担任は逮捕されることになりました。2日後に釈放されたんですが、警察から『万が一、家に行くかもしれません。戸締りするか、他に避難してください』と注意喚起がありました」

 ただ、事件が明るみに出ても、野島さんには葛藤があったという。

「被害者になって、学校で気まずい感じがしました。授業の面で、新しい先生に来てもらったりと、みんなに申し訳ないと思いました」

 その翌日、警察から再び連絡があり、「(担任が)早朝に亡くなった」という。野島さんは担任が亡くなったことを聞き、こう思った。

「警察が隠さずに連絡をしてくれたのはよかったです。ただ、担任は逃げたんだな、と思いました。『なんで?』という怒りもありました。加害をした側が亡くなったのではどうしようもない。今でも許せないという気持ちは変わりません」

■SNSで誹謗中傷、「修学旅行に行けなくなった」

 学年は騒ぎとなった。しかし、学校側が十分な説明をしなかったこともあり、被害届を出した野島さんの二次被害につながる。冒頭のような誹謗中傷のことばが、被害者である野島さんに向けられたのだ。

 6月になって、亡くなった教諭のものと思われる、ツイッターの裏アカウントが発見された(現在は削除されている)。そこには、猥褻な写真のほか、未成年男子とデートしていると思わせる写真などがあがっていた。そのため、余罪の可能性が暗示され、野島さんへの批難は沈静化していった。

 野島さんが被害に遭う前に思っていたように、多くの生徒にとって、嫌っていた担任ではない。生徒によっては親しみのある存在だった。その担任が亡くなったことで、〈ぶっ殺してやる〉などとSNSで野島さんへの誹謗中傷が続いた。中には、〈覚悟しろ/痛い目にあわせてやる〉とLINEのステータスメッセージに記していた生徒もいたという。

「担任が逮捕された原因が、自分のせいだと思われていました。約2ヶ月間、そのメッセージを出しっぱなしにされて、すごく怖い、恨まれているんだと思った。今も本人からの謝罪はありません。これが原因で、自分は修学旅行に行けなくなった。その生徒と行動班が一緒だったためです。その生徒は普通に修学旅行に行きました。とても悲しかったです。

 また、事件が起きたことが原因で、今まで仲良く話せていた同級生と、そうでなくなってしまったことがすごく悲しかったです。事件直後に誹謗中傷があったけれど、きちんと謝罪してくれた人たちが、事件の何が悪かったのかきちんと理解してくれたことは救われました」

■学校は誹謗中傷への対応に消極的だった

 こうした誹謗中傷について、母親は学校側に相談した。ただ、気がついたのが夏休み前だったこともあり、学校側が誹謗中傷をした生徒宅に電話をかけるが、つながらないでいた。最終的に電話がつながったのは8月末。夏休み明けだった。しかも、学校側が注意をすると、「消しました」というだけで、謝罪も反省もなかったという。

 学校側もLINEなどでの誹謗中傷への対応には消極的だった。

「校長先生に『指導してください』と伝えました。しかし、校長先生は『スマートフォンを買い与えたのは保護者。だから誹謗中傷は保護者の責任です。それに、そんなの終わった話じゃないですか?』と言われました。そのため、区教委に『こうした対応でいいのですか?』と連絡をしました。練馬区教育委員会は『校長の対応はよくなかった』と言っていましたし、区教委からの指導の結果だと思いますが、校長先生からも『SNSの件は指導する』と連絡が入りました。

 ただ、実際に指導するのは学年の先生。担任と副担任は『この件に関して、指導するメリットがない』と言っていました。実際は面倒なことはしたくないのだろうと感じました。学校がもっと責任を感じてほしいです」(母親)

■「自分と同じ思いの人を出したくない」

 野島さんは事件後、不眠が続いたり、集中力が続かないことがあった。

「学校にいると、3時間目を超えると胃が痛くなることが多かったです。ぼーっとすることが多く、集中できず、授業内容はあまり覚えていませんでした。気がついたら、終わっていることがありました。ずっと一点を見つめている感じで、まったく記憶がないときもありました。しんどくて早退することもありました。そのため、勉強が遅れている部分があります。

 部活動への支障もありました。練習に出られないことが続きました。試合のスタメンにはなれませんでした。試合の会場にも行くのがやっとでした。

 早退や遅刻での配慮があるのはありがたいのですが、もうちょっと勉強のサポートをしてほしかったと思います。それと、学校や区教委に対しては、犯罪を隠そうとしないでほしいです。今では悪口はなくなっていますが、たまに悲観的に考えてしまいます。最終的には、自分と同じ思いの人を出したくないです」

(渋井 哲也)

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