「息子が小学校を卒業する頃は、69歳か…」56歳で初めて父になった“高齢パパ”が、今後の育児に思うこと
2023年01月27日 12時00分文春オンライン

56歳で初めて父になった夕刊フジ編集長の中本裕己さん(著者提供)
医師から「おかあさん、赤ちゃん、ともに命が危ない」と…56歳夫が明かす、45歳妻が“高齢出産”するまでの壮絶な道のり から続く
2020年7月、56歳で初めて父になった夕刊フジ編集長の中本裕己さん(59)。そんな中本さんが、当時45歳の妻が“超高齢出産”を果たすまでの苦難の道のりや、シニア子育てのリアルを綴った著書『 56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記 』(ワニ・プラス)を上梓し、話題を呼んでいる。
ここでは、同書より一部を抜粋。残された時間がない、将来のお金がない、若い頃の体力がない「3ない」子育てに対する率直な心境を紹介する。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)
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■小さな怪獣と格闘する日々
わが家に赤ちゃんがやって来た。
これまで病院でお世話になっていたこと、赤ちゃんの衣食住を、初日からすべてやらなくてはいけない。
56歳で育児を始めることになるとは思わなかった。
60歳で4歳、63歳で小学校に入学し、卒業する頃は69歳か。「70歳までの継続雇用制度」が我が社でも採り入れられていれば、給料は激減していたとしても仕事はあるかもしれない。せめて、息子が大学に入るまでは……などと考え出すとゲンナリするので、ええい、これは人生を走りながら考えるしかあるまい。
とにかく育児は体力勝負である。
これから小さな怪獣と格闘する日々が始まるのだ。
■想像をはるかに超えた「+1」の存在感
産まれてすぐは1203グラムだった体重は、2800グラムまで増え、無事に東大を卒業(病院)した我が子は、生後3カ月でやっと家族の一員になった。
家族が2人から3人になった。24時間ともにいる「+1」の存在感は、たまに面会で顔を合わすときとは違って、想像をはるかに超えていた。ここからは、それを「56歳差」の視点で書いていきたい。
■おぼつかない手つきでの育児
早産で低体重のまま産まれた子は、3歳ぐらいまで時間をかけて、ゆっくりと発達が追いつく。
低体重の早産児なので、成長や体格などは2カ月割り引いて考えるのが通例で、そうなると実質的には生後1カ月と思ったほうがいいそうだ。
片手に収まりそうな子猿のような小動物は、なにかあるとすぐに「フンギャー」と細い声で泣き叫ぶ。哺乳瓶による授乳(じゅにゅう)、オムツ替え、沐浴などはひととおり病院で教わったのだが、これが心もとない。
コロナ禍で面会の機会が激減していたため、それこそ「1回しかやらねえから、よく見ておけよ」という、伝統工芸の親方の職人ワザを盗むように(実際にはていねいに教えていただいたが)、おぼつかない手つきで始めることになる。
自治体やコミュニティによる「パパの育児教室」のようなイベントはコロナで軒並み中止になっていた。育児アプリやYouTubeなどで、見て覚えるしかない。
心筋炎が重篤化して心不全となりながらも奇跡的に命を救われた妻は、息子よりも早く退院していたが、もちろん無理はさせられない。
■リモート勤務と時差出勤を組み合わせることに
この際、育児休暇を取ろうかとも思った。会社の制度上は、たとえ高齢パパでも取れる。しかし、いや待てよ。この先、息子の学資などを稼ぐために、70代まで働くことは覚悟している。これが20代、30代のパパなら、一時的に収入が落ち込んでも挽回(ばんかい)できるだろう。だが、私の場合、稼げるうちに1円でも多く稼いでおかないとなあ、という銭勘定が頭をもたげる。「体力」と「収入」の2語が体じゅうを駆け巡った。
こういうことを「不幸中の幸い」と言うのははばかられるが、コロナ禍にあって、会社はリモート勤務を全面的に推奨していた。これは我が家にとって、絶好の機会だ。上司に願い出て、リモート勤務と時差出勤を組み合わせることにした。
朝は育児をしながら、合間にオンラインで仕事をして、妻の体の負担にならない午後にバトンタッチ。会社に顔を出さないと片づかない案件をさっとこなす目論見(もくろみ)だ。そんな虫のいいことができるだろうか。いや、やってみるしかない。
あわただしい午前中のスケジュールはざっとこんな感じ。
■パパママ2交代制での授乳
【午前5時】3時間おきにミルクをせがむ息子に起こされる。ミルクを作って授乳する。粉ミルクの缶から計量スプーンで哺乳瓶に適量を入れて、ぬるま湯で溶かす。哺乳瓶用乳首への食いつきが悪いときは、口の中で少しゆすってあげたり、そっと口に当てたり離したり。抱きかかえているこちらは、すっかりママの穏やかな気分になる。男性も子育てをしている間は、闘争本能が抜けるというのは本当なんだなと実感した。
息子がゴキュゴキュっと音を立てて飲み干すのを確認。そのあと大切なのは、背中をトントンと叩いてゲップを出してやること。まだ手伝ってやらないとしっかりゲップが出せないのだ。かわいく「ケフッ」と聞こえたら授乳完了。この間、夜中じゅう格闘している妻は、そっと寝かせておく。パパママ2交代制だ。
哺乳瓶の瓶と乳首部分は分解して、ミルトンという消毒液のセットに浸しておき、適宜、交換する。
■起きた息子に会議の途中で何度もイタズラされそうになる
【午前6時】夕刊紙の朝は早い。新聞各紙の電子版に目を通す。情報番組もチェックする。ツイッターのトレンド情報や、ヤフーのコメント欄など、ウェブ媒体でどんなニュースの傾向があるのか。炎上したり、拡散するほど話題になるトピックはないのか、にも目を光らせる。
そのうえで、前夜まで、あるいは朝方までかかって記者が取材してきた、事件、芸能、スポーツ、競馬など、その日の紙面候補となっている記事のゲラを読み込む。
【午前8時】チャットで編集幹部や各部長と会議をしながら、その日の紙面を固めていく。 この頃、だいたい息子が「ムニャムニャ……」と起きてくるので、膝に抱えていると、会議の途中で何度も、キーボードに手を伸ばしてカチャカチャとモニター内の画像をイタズラされそうになる。
【午前9時】編集作業の合間を縫って、オムツ換え。2回目の授乳。洗濯機を回し始める。妻が起きてくるので、家事を分担する。こっちが寝ている夜中の3時や4時に突然泣き出して、妻にミルクをせがむことがよくあった。赤ちゃんの泣き声に慣れてくると、「ああ、ママが授乳してくれているな」と意識の片隅で確認しながら寝ることができた。
■3時間おきのギャン泣きとの格闘
【正午~午後1時】時差出勤して、会社であれやこれやの作業。
帰宅は、だいたい午後7時から8時で、帰りにスーパーに立ち寄ったり、テイクアウトでおかずを買ったり。
息子が退院してしばらくは、病み上がりの妻にできるだけ体力を温存してもらおうと、すべての家事を引き受ける覚悟だった……と、格好をつけて書いているが、いやはや、とても体がついていかない。
特に夜は11時頃に寝床につくとバタン。じつはそこからが妻の格闘の始まりだ。2~3時間おきのギャン泣きに対応するため、添い寝をしたり、寝る場所を替えたり、ベランダに出てみたり。
「寝ていても私には聞こえる。起こされるの」と妻は言う。パパは疲れて熟睡していても、ママには聞き取れる絶妙の周波数で泣くようなのだ。
ともかく、これは高齢パパにはありがたかった。
一時期どこかの自治体が公園でたむろする不良どもを撃退するために流したという、若者にしか聞き取れないイヤ~なモスキート音にも通じるのかもしれない。
■「黄昏泣き」をひたすら腕の中であやす
つらいのは、夕方から夜にかけて、わけもなく突然泣き出して、どんどんエスカレートしてゆく「黄昏(たそがれ)泣き」だ。
ミルクでもない、オムツでもない、どこかが痛いわけでもなさそう。さびしいのかと思って抱っこしても、まったく泣きやまないのだ。
今、2歳になった息子が泣くのは、なにかわけがあって伝えられないもどかしさからであることが多い。しかし、赤ちゃんの「黄昏泣き」はそういうのとは違う。この世に生まれ出て、これから遭遇するさまざまな苦労や感動やいろんなことが予告編のように現れて、「ああ人生って切ないなあ」と言っているようにも聞こえる。
いや、それはあきらかに私の幻聴だ。56歳だから、「生まれ出た」ことに意味を見出そうと、理屈ばかりが浮かんでくる。この子の目の前には今、なんの理屈も忖度(そんたく)もないのだ。
仕方なく、気がまぎれるかなと、テレビのスイッチを入れる。お笑い番組を流す。意味はわからないだろうが、にぎやかにワーワー笑っている音は、イヤではないようだ。
ひたすら腕の中であやす。腕が棒のようになり痛みが出る頃、スヤスヤ寝息を立てている。こちとら人生の黄昏どきだが、現実はたそがれている時間などなかった。
(中本 裕己/Webオリジナル(外部転載))
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