「“赤ちゃんポスト”出身だとは言いたくない」3歳で「ゆりかご」に預けられた男性(19)が語る、里子たちの現状
2023年01月28日 12時00分文春オンライン

宮津家の里子になってから初めて撮った写真 写真=本人提供
3歳で「ゆりかご」に預けられた男性(19)が、生い立ちを公表した理由「好奇の目に晒されないよう、ずっと家族の秘密にしていた」 から続く
2007年、熊本市にある慈恵病院が、親が育てられない子どもを匿名でも預かる「こうのとりのゆりかご」の運用を始めた。開設初日に預けられたのは3歳の男の子だった。
それから15年後の昨年の春、18歳になったその男の子が実名で顔を出して自身の生い立ちを公表した。現在は大学に通いながら、当事者として「こうのとりのゆりかご」について発信したり、子ども食堂の活動に力を入れている宮津航一さん。そんな彼に「こうのとりのゆりかご」が果たす役割や生い立ちを公表して変化したことなどついて詳しく話を聞いた。(全2回の2回目/ 最初 から読む)
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■「捨て子を助長するのでは?」という指摘も
――慈恵病院が設置した「こうのとりのゆりかご」は、100人以上の子どもたちの命を繋いできた一方で、「捨て子を助長するのでは?」という指摘もあります。当事者として感じることはありますか。
宮津 「こうのとりのゆりかご」の扉は二重構造になっていて1枚目の扉を開けると「お父さんへ お母さんへ」と書かれた1通の手紙が入っています。それを受け取らないと次の扉は開かないようになっていています。単にポンと預けられるようなシステムではなく、そこに来た親にとってその扉はとても重いものだと思っています。
また、「こうのとりのゆりかご」はセーフティーネットとしての役割が大きいと思います。もちろん利用されないに越したことはないですが、社会に育児支援やサポートなどが拡充された上で、最後の砦として「こうのとりのゆりかご」があるべきだと思っています。
――「こうのとりのゆりかご」は匿名で預けられる仕組みになっているため、子どもの出自を知る権利が守られていないと批判する声もあります。
宮津 匿名でなかったら預けられていなかった子どももいるかもしれませんので、その部分は非常に難しい問題です。私自身、実の父親については今も全く知らないままです。実の母親については私を里子として迎え入れた両親と一緒に故郷を尋ね回って写真をいただくことができましたが、父親の手がかりは見つかっていません。
小学校1年生の時に、生い立ちを振り返る授業で自分だけ写真がなかったり、生まれた時のことがわからなかったのは悲しかったです。母親の写真をいただいた時に、母の髪が天然パーマだったのを見て、私の天然パーマは母からの遺伝なんだと自分のルーツがわかって嬉しかったのを覚えています。
■今も30人以上の子どもの出自がわからない
これまでに「ゆりかご」に預けられた子どものうち30人以上の子どもの出自がわかっていません。当事者として、預ける方には名前でも写真でもいいので、できれば何か一つでも情報を残してほしいと思います。
あとは迎え入れた親が子どもに対して出自の告知をしっかりしてほしいと思います。私の場合は3歳で引き取られたので産みの親ではないことを理解していましたが、乳児で引き取られると親が告知をしない限り自分の生い立ちについて知る術がありません。つまり出自の告知がないと、子どもは出自を知る権利を行使することはできないのです。その意味でも出自の告知と「ゆりかご」に預ける際にできるだけ出自に関することを残すという2点は、双方の親が考えて実現していってほしいと思います。
――宮津さんは以前「こうのとりのゆりかご」が「赤ちゃんポスト」と呼ばれることについてTwitter上で「残念だ」とおっしゃっていましたが、それはどういう理由からでしょうか。
宮津 小池百合子都知事も昨年12月の記者会見で、「郵便物を投函するような安易さを感じさせる」とこの件について言及していましたが、私自身も同じで、「赤ちゃんポスト」と呼ばれるが故にその本来の目的が伝わってない部分が多いんじゃないかと思っています。ポストという表現に、ポンと託すような、捨てるようなイメージがやっぱり少なからずあるのかなと。
私自身もそうですし、預けられた他の子どもたちのことを考えた時にも、「赤ちゃんポスト」に預けられましたとはやっぱり言いたくないと思うんです。発信の広がりという観点で言えば、「赤ちゃんポスト」の方が伝わりやすいのかもしれませんが、この名称問題については広く議論されるべきだと思っています。
■「こうのとりのゆりかご」が果たす大きな役割
――2007年に熊本県に「こうのとりのゆりかご」が設立されて16年が経ちますが、いまだに他に設立された事例はありません。宮津さんはそれに関してどうお考えでしょうか。
宮津 この16年間、社会に広がってないというところを実感しています。「こうのとりのゆりかご」は1つの選択肢に過ぎませんが、大きな役割を果たしていると思います。現実問題として経済的、精神的、体力的に子どもを育てるのが難しいという家庭があります。育児は孤独になりやすいため1人で悩む親もたくさんいると思います。
やはりそんな時に、最後の最後に「こうのとりのゆりかご」に預けるという手段があることは、たとえ預けなかったとしても非常に大きな意味があると思っています。
熊本ではこれまでに161人の子どもが助けられてるという結果がありますので、熊本県以外でもこの動きが広がってほしいですね。
――設立する場合には乳児の状態を診断するために、医師が常駐していなければならないなど、設立要件を満たすのが難しいという問題もあるようですね。
宮津 そうです。神戸で一度設立される動きがあったのですが、結果的に断念することになったみたいです。慈恵病院は、全国で唯一、24時間、365日、フリーダイヤルで相談に対応していますが、民間の病院でそれをやるのはなかなか難しいと思います。多くの子どもたちの命を繋ぐために何が必要なのか、今は内密出産という制度もありますので、まずはいろんな方に関心を持ってほしいと思います。
――「こうのとりのゆりかご」の出身であることを公表してから約1年が経ちますが、何か変化したことはありますか。
宮津 当事者として発信したことで、「ゆりかご」や里子について理解していただける機会が増えたように思います。公表前は批判的なコメントがたくさんくるだろうと予想していたんですが、思った以上に少なかったことに驚きました。
以前は里子や親がいない子ども=不幸せだと思われることが多かったんですが、僕の生活や発信を見た多くの人たちが「公表してくれてありがとう」、「ゆりかご出身の子がこんな生活をしていたとは知らなかった」とコメントをくれました。
そして公表したことで「ゆりかご」に預けられた他の子どもたちと繋がることができたのも大きかったですね。
■近年、養子縁組を希望する人が増加
それと里子でも大学に進学できるんだと驚きの声も多かったんですが、昨年、児童養護施設や里親の家庭で暮らす子どもや若者が支援を受けられる年齢の制限が撤廃されました。以前までは原則18歳(最長でも22歳)で自立を求められていたので、大学に進学するのが難しい部分もあったんですが、今は年齢ではなく自立可能かどうかで判断されるので、進路の幅が広がりました。
熊本県内でもそういう自立した子どもを支えるシェアハウスがあったり金銭的なところで支援をしたりと、十分ではないと思いますけど、支援の輪が広がってきていると思います。
――里親に登録されている方は増えているのでしょうか。
宮津 里親が足りないというのはよく言われています。逆に養子縁組を希望する人は増えてきていて、養子を待っている方も結構いるみたいです。最近では養子縁組里親(子どもに保護者がいない場合や、実親が親権を放棄する意思が明確な場合などに、特別養子縁組を前提として子どもを預かる里親)を希望する方もいて、地域によってもさまざまなケースがあるようです。
■4万6000人の子どもが施設で暮らしている
ただ、やっぱり子どものニーズという観点から見ると、養子縁組を前提としない養育里親がもっと必要なのかなと思っています。養子縁組里親となると基本的に1人だけを預け入れて親子になるわけですが、今4万6000人ぐらいの子どもが社会的養護の対象になっています。1人でも多くの子どもが施設よりも家庭に近い環境で育つ方がいいと考えているので、そのためにも養子縁組を前提としない養育里親を希望される方が増えてほしいと思いますね。
――宮津さんは2021年から子ども食堂の活動を始められました。きっかけは何かあったのでしょうか。
宮津 いろいろなボランティア活動をしてきた両親の存在が大きいです。あとはコロナの影響もありました。ステイホームや自粛であまり外に遊びにいけない子どもたちには人と繋がることができる場所が必要なんじゃないかと思って。決定的なきっかけとなったのは、福岡県で起きた男児の餓死事件です。ご飯が与えられずに亡くなってしまう子どもを減らしたいと思い、身近な場所から子ども食堂を始めました。
最近では平均して50人ほどの子どもが来るようになっています。単に食事をする場所ではなく、地域と関わる子どもたちの第三の居場所的な役割を果たしていると思います。お腹を満たすだけじゃなくて心を満たす場所になってほしいと思い、気軽に話せる関係性を築いたり、いろいろなレクリエーションを計画したりと、力を入れて取り組んでいるところです。
■「ゆりかご」に預けられた子どもたちの声を代弁していきたい
子ども食堂を始めて約2年が経ちますが、いろんな子どもたちの背景が見えてきました。いじめを受けてる子や貧困家庭の子など、居場所を必要としている子どもがたくさんいました。地域との関わりが少なくなっている今、改めて地域のコミュニティがいかに必要かを実感しましたね。何か変化があったら、周りが声をかける、相談に乗るという体制をもっと作っていかないといけないと思っています。
――最後に宮津さんの今後の目標を教えてください。
宮津 具体的なものは決まっていないんですが、子どもに関わる仕事をやりたいと思っています。
「ゆりかご」のことに関していえば、これまで預けられた子どもたちがどんどん成長して大きくなってきますので、そういう子どもたちとの集まりの場を作って1人じゃないということを伝えていきたいです。その子どもたちが顔を出したり発信したりできなかったとしても、その子どもたちの声を代弁していきたいです。
(「文春オンライン」編集部)
ゆりかごよりもコウノトリが良いよね。 www