《若手キャリアを税務署長に就ける「バカ殿教育」》傲慢キャリア官僚はノンキャリアの“正義”に負けた

《若手キャリアを税務署長に就ける「バカ殿教育」》傲慢キャリア官僚はノンキャリアの“正義”に負けた

東京国税局 ©文藝春秋

ジャーナリスト・清武英利氏の人気連載「記者は天国に行けない」第13回を一部転載します。(月刊「文藝春秋」2023年2月号より)

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■国税庁は「手つかずの情報」の宝庫

「どこにもない情報を求めるなら、国税当局を取材すればいいですよ」。ネットメディアの編集長や週刊誌の辣腕記者たちにそう勧めてきた。

 国税庁は個別事案の発表を拒む役所なので、手つかずの膨大な情報が眠っている。ネットや雑誌記者はもっと腰を据えた発掘が必要ではないですか、と私は彼らに言っているのだが、なかなか容れられない。目指す報道のベクトルが、彼らと私のいた新聞社とでは異なっているし、そもそも記者の数が圧倒的に少ないからである。

 だが、徴税の現場には濾過されていない情報だけでなく、インサイダーにしか見えない光景が広がっている。会議一つをとってもそうだった。

 東京国税局の税務署長会議は、毎年7月の人事異動の後などに開かれていた。これは10年ほど前のことで、コロナ禍のいまではウェブ会議システムやデータのネット配信も導入されているが、当時の署長の前には分厚い極秘資料が配られ、課税第一部(個人部門)、課税第二部(法人部門)、調査部(大企業部門)、査察部(強制調査部門)、徴収部と、部門ごとに丸一日かけた説明が行われていた。

 私がびっくりしたのはその会議の後だった。終了すると、全署長がその内部資料を大型の封筒に収め、机の上に置いたまま退席していた。それは全署員に伝達しなければならない内容なのだが、書類は国税局の担当者によって回収され、各税務署に翌日、「局便」と呼ぶ専門の宅配便によって届けられていた。

 複数の元署長によると、それは署長らが帰宅時に電車やタクシーの中で書類を紛失することを恐れたためだったという。税務署長には、警察署長とは違って専用の署長車は用意されていない。国税庁は最大の国家公務員組織で文書数も多いため、公文書の紛失や誤廃棄数がずば抜けて多い役所なのである。

 それで徹底した管理化が署長にまで及んでいた。都心部の税務署長を経験した元マルサ(査察官)は、署長すら信用しない厳しい管理の網に批判的だった。

「以前は、銀行調査を終えた後、帰りがけに飲みながら話し合った。夜の研修会のようなものだ。先輩から資料を借り、『お前がまとめろ』と言われ、夜の1時、2時までかかって先輩の資料を読む。そこで先輩の技術を発見し、追及の糧にする。しかし、今は資料は持って帰るな、仕事後はいったん署に戻れ、酒飲むな、二次会に行くな、夜9時までに帰宅しろ、と指導される。情報漏洩を防ぐためだが、ルールを破って仕事を持ち帰ると処分されるから、みんな泥臭く不正を探ろうとしなくなる。普通のサラリーマン生活を守るようになるんです。それでは大きな不正は見つけられませんよ」

■右翼団体の手に渡った「持ち出し禁止」の資料

 おまけにメディアの眼も厳しくなった。私も東京国税局の資料流出を批判した一人だ。それは、査察部から流出した脱税調査報告書を右翼団体が入手したことがきっかけだった。

 国税庁と現場の国税局には、国税の内部警察にあたる「監察官室」が設けられており、職員の非行、犯罪に加え、資料流出のような問題もそこできちんと調査し、処分することが多い。だから不祥事が表に出ることは少ないのである。

 ところが、この事件は持ち出し禁止の約100ページの資料が脱税容疑の会社社長に渡り、さらにそれを右翼団体が手に入れて信用金庫に圧力をかけたことで警視庁が知るところとなった。

 私はまだ読売の警視庁担当記者で、ネタ元からそれを聞き、説明を渋る東京国税局幹部とやりあった末に記事にした。特ダネだったから連日社会面トップで、初報の1988年8月28日付けに、〈脱税内偵の極秘資料流出 摘発日、相手社長へ〉、翌日が〈脱税査察内容流出事件 極秘資料、更に右翼団体へ〉と大きな扱いだった。

 国税局の内部調査によると、問題の強制調査は前年10月、東京・世田谷の電気工事会社の社長宅で行われた。株式売買をめぐる脱税(所得税法違反)容疑で早朝、査察官7人が踏み込み、夕方の終了時に、査察官が持ってきたバッグを開けて約100ページの内偵資料を取り出し、それを置き忘れてしまったという。「取り出したのは、他の場所で家宅捜索していた別の査察官に連絡するためだった」とされている。

 査察官は国税局に帰って仮眠し、翌朝、捜索報告書を作成しようとして重要資料がないのに驚き、社長に電話して回収した。翌年5月になって、資料のコピーが右翼団体に渡り、彼らは資料に記載されていた信用金庫に「顧客の機密を漏らした」と執拗に迫った。困惑した信金が警視庁に届け出たことで事件が発覚した。

 だが、大騒ぎの末、脱税事件としては不発に終わる。社長は修正申告をして約9000万円の追徴処分を受けた。国税局の「脱税の犯意がはっきりしなかったので刑事告発しなかった」という説明を、一部の警視庁捜査員は疑問視したが、ともかく査察官が訓告処分を受けたことで、一件は落着した。

■国税庁取材のスタート

 しかし、私自身はそれで済まなかった。東京国税局とやりあった9か月後に、国税庁担当を命じられたからである。対岸から鉄砲を撃っていたのに、いきなり渡河攻撃を命じられたようなものだった。

 まずは国税庁と東京国税局のあいさつ回りから始める。当然ながら国税局幹部の対応は冷たかった。名刺を出すと、中堅職員が皮肉たっぷりに「前回、あなたの名刺はいただきましたよね」という。お前のことは覚えているぞ、というわけだ。口の端を歪めてフンと名刺を受け取る幹部もいた。どのツラ下げてここに来たか、という表情である。

 特に、一人のキャリア官僚には全く相手にされず、面談の時間も取ってもらえなかった。私がそれから5か月間、死んだふりをしてこつこつと取材源を作っていたのは、彼らが盾にする「二重の守秘義務」に加えて、そんな事情もあった。

 しかし、手探りでも合理的な作業を続けていると道は開ける。ある夜、郊外の住宅街で調査官の自宅を探し当てインターホンを鳴らした。役所で見覚えのある当の調査官が玄関先に出て来て、くらがりに立つ私の顔をじっと見た。

「大変ですね。記者さん、苦労されてますねえ」

 それから役所や上司たちの話になって、例のキャリア官僚に話題が及んだ。

「国税局を担当する前にいろいろあったもんですから、彼には会ってももらえませんよ。でも私は間違ったことをしたわけじゃない」

 私がそう言うと、彼は小さな声を出した。

「噂になっていますよ。でもあなたをいじめている官僚は評判が悪いです。傲慢ですからね。自分の持つアパートの家賃所得だって申告していません」

 私はハッとした。「国税幹部が申告漏れですか。アパート収入を?」

「それで現場は困っているんですよ」

 後は自分で探って下さい、という声を聞いて、私は試されているような気になった。翌日からその官僚の周辺を調べ回った。警視庁の人脈も手繰った。

 その官僚はアパートを持っており、その家賃収入があった。100万円前後だったはずだが、税務申告すべき所得である。私が出張して突き止めるくらいの事実だから、税務署はもちろんその申告漏れを知っていた。ところが、彼はそれがわかっていて無視し続けていたのだった。

 国税庁は、一握りの大蔵省(いまは財務省)官僚がノンキャリア職員を率いるピラミッド型組織である。20代の若手キャリアを税務署長に就けるいわゆる“バカ殿教育”が、大蔵省不祥事の起きる1995年ごろまで続けられており、その中から自らを特権階級だと錯覚する官僚が生まれていた。

 くだんの官僚もその一人と見られていたが、東京国税局の指導的地位にある。傘下にある税務署は強引な追徴はできない。だが放置もできず、税務署の調査官たちは困り、それを知った国税局のノンキャリア組は憤っている、というわけだった。

■国税組織の正義は密やかに実行すればいい

 私は一応の取材を終えると、あの調査官の玄関先に立って、「大した記事にはならないだろうが、本人に直当たりして新聞に書きたい」と告げた。すると、現場と相談してみる、と言った。数日後、彼は私に頭を下げ、相変わらず小さな声で言った。

「出張取材までされてご苦労でしたが、記事にするのは控えてもらえませんか。表ざたになれば国税局の恥です。私も悔しいです。申し訳ありませんが、あの人に説教してやってください。『納税道義の高揚を図れと唱えているのに、幹部にあるまじき行為だ』と。そして申告するように言ってください」

 それから彼はこんな話をした。

「国税庁の正義というのは税金を取ることなんです。捕まえたり、とっちめたりすることじゃないんです。あなたにはご不満かもしれませんがね。大きな権限を持っているからこそ、国税組織の正義は密やかに実行すればいいんじゃないですか」

 ——へえ、うまいことを言うもんだ。

 そう思ったら、ついうなずいてしまっていた。記事が掲載されれば陰湿な犯人捜しが行われ、当該税務署に迷惑がかかるという配慮も、彼にはあったのだろう。

「密やかな正義」という言葉を聞いて、私は警視庁記者時代に通った捜査二課のベテラン刑事を思い出した。連載第9回で紹介した毒舌刑事だ。

「二課のデカは正義に燃えなくていいんですよ。俺たちは警鐘を鳴らしているだけなんだから」

 と口癖のように唱えていた。かつての彼は「涜職刑事」(公務員犯罪を摘発する刑事をそう呼んでいた)の代名詞のような存在で、警視にまで昇進した。その男がこう言った。

「日本国中に贈収賄は山ほどあるんだ。ところが挙げられている知能犯のホシなんてのは百のうちの一つだ。だから俺は、汚職事件を挙げたと喜んでいる若い衆に言っているんだ。『思い上がるんじゃないよ。俺たちはたまたまそのうちの一つをやって、世の中に警鐘を鳴らしてるだけだ。それだけの話だよ』と。満足するなよ。もっと大きな政治家たちや官僚の犯罪はいっぱいあるんじゃねえか。それはまだできてねえよ。社会正義を振りかざして威張るなってことだよ」

 国税局の調査官たちは、その刑事と比べるとずっと静かで地味、志操とか節義といった古い言葉を思い起こさせる職員がたくさんいた。その一人は明朗だが、「廉吏」としか表現しようのない調査官で、酒席はもちろん喫茶店でも私に一円のカネも払わせなかった。「人生に貸しは作らない」と言う。別の調査官はこうも言った。

「俺たち国税職員は堀の水の下に沈んでいる石垣でいいんだよ。見えなくていい。堀の水が干上がったときに初めて『ああ、あそこに石垣があった。こっちにはゴミをひっかける杭があったんだ』と気づくような存在でいいんだ。一番てっぺんの天守閣を支えているのは、そんな堀の水底の石垣なんだから。もちろんてっぺんが腐っちゃあ、どうにもならないが」

 下積みの役人の生きざまとはそうしたものらしい。

 後日、問題のキャリア官僚に会い、修正申告するように告げた。私の口調は密やかどころか、鼻息も荒いものだったろう。

「あなたの申告漏れは職員にも知られていますよ」と言ったら、泡をくっていた。へどもど言い訳をする青い顔を見て、胸がすっとしたが、モヤモヤしたものが後に残った。やはり、私たちの正義は記事を書くことだ。そして、彼らキャリア組を含めた官僚世界の「のぞき窓」、情報源のようなものを持ちたい、とぼんやりと思った。

ノンフィクション作家・清武英利氏による「 記者は天国に行けない 」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

(清武 英利/文藝春秋 2023年2月号)

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