アベノミクスへの不満、LGBTや夫婦別姓を巡る議論では対立…それでも三木谷浩史が「安倍元首相の国葬」に賛成だった理由「気さくで優しい、気遣いのできる人だった」

アベノミクスへの不満、LGBTや夫婦別姓を巡る議論では対立…それでも三木谷浩史が「安倍元首相の国葬」に賛成だった理由「気さくで優しい、気遣いのできる人だった」

楽天・三木谷浩史氏が、安倍晋三元首相との思い出について語ってくれた。 ©getty

三木谷浩史「世界的経営者がいきなり“姿を消す”中国の怖さ。日本も油断してはならない」 から続く

 過去には政策を巡って、安倍晋三氏と衝突したこともある楽天・三木谷浩史氏。それでも彼が、亡くなった元首相に敬意を払い続ける理由とは?

「週刊文春」で連載中の三木谷氏による人気コラムを単行本化した『 未来力 「10年後の世界」を読み解く51の思考法 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■忘れられない検査着姿の安倍さん

 安倍晋三元首相とは生前、官邸での会議や時には食事の席でご一緒させて頂いた。中国、アメリカとの国際関係、世界のエネルギー政策、2世議員の在り方。多岐にわたるテーマを語りながら、「世の中ではこういうふうに言われてるけど、実はこうなんだよな。ハッハッハッ」と明かしてくれたり……安倍さんと話をするのは、本当に楽しかった。

 ただ、もともとはそれほど親しい間柄だったわけではない。最初の記憶としてぼんやり残っているのは、第1次政権の後、観光地でバッタリ会った際に「あれ、こんなところで何してるんですか?」と挨拶したことかもしれない。安倍さんもまだ「もう1度首相を目指す」という感じではなかったように思う。

 でも2012年末、再び首相の椅子に座ることになる。そして僕も産業競争力会議のメンバーに呼ばれるなど、安倍さんと接する機会が増えていった。当時感じていたのは、安倍さんもまた、日本を海外に向けて開けた国にしたいという強い想いを抱いていたということだ。

 実際、外国人観光客を増やしていくことの重要性を掲げ、外国人労働者の受け入れ拡大なども前向きに進めてきた。英語教育も「これからの日本にとっていかに大事か」と訴えると、真剣に耳を傾けてくれた。

 特に、現職首相としてシリコンバレーを訪れてくれたことが思い出深い。あの時はイーロン・マスクにも会われたし、テスラの電気自動車にも乗られた。ベンチャー起業家と一緒のラウンドテーブルにもご参加頂いた。

 僕の目には安倍さんが生き生きと、それこそ未来の世界を感じているように映った。彼らの率直な声を、現地で聞いた初めての首相だったのではないだろうか。規制を撤廃して民間の力を活用することが、日本を復活させる改革の要なんだと実感してもらえたと思っている。

■官邸で直接抗議した

 一方で産業競争力会議では、医薬品のネット販売を巡って安倍さんと激しく衝突したこともあった。最高裁が2013年、ネット販売を規制する厚労省に対し、違憲判決を下したにもかかわらず、政府は計28品目について要指導医薬品という規制のための新たな医薬品カテゴリを作ってネット販売を禁じようとしたのだ。

 僕は「何のための規制改革なのか」と官邸まで行って安倍さんに直接、抗議をした。一対一で長時間話し合ったが、膨大な国の予算を差配する安倍さんからすれば、小さい話だったのかもしれない。「99パーセントを解禁したのだから1パーセントくらいいいじゃないか」という雰囲気だった。「三木谷君、ほんと頑固だよね(笑)」と思われていたかもしれない。

 結局、僕が押し切られるというか、政府にあしらわれるような形でその規制が認められてしまった。それは、最高裁ですら認めた規制改革が、官僚や既得権益を持つ人々の思惑によって、いかに骨抜きにされてしまうかを実感した瞬間だった。

 アベノミクスについても、評価は難しい所だ。金融緩和や財政出動について言えば、短期的なカンフル剤としては良かったと思う。ただ、あくまで短期的なカンフル剤だから、そこからファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件)がついてこないと意味がない。そのために必要なのが、規制を打破する成長戦略だったはずだ。しかし果たして、本当に成長戦略を描くことができたのか。そこについては物足りないという印象だった。

 産業競争力会議で声が大きかったせいもあったのか、2016年に始まった未来投資会議のメンバーには選ばれなかった。それでも、様々な場で安倍さんとは意見交換を続けてきたし、日本を世界に向けて開いていくという大きな方向性については共有できていたと感じている。

 思えば、政治的な主張や考え方では相容れないと感じる時も少なくなかった。例えばLGBTや夫婦別姓を巡る議論では、社会にとってダイバーシティこそが最も大切だと信じている僕には、素直に頷けないところもあった。森友問題での国会答弁など、彼の攻撃的な面はメディアでもよく取り上げられていたように思う。

■国葬には賛成だ

 ただ、安倍さんは、優しい一面もあった。今でも忘れられないのは、僕の父が末期のすい臓がんで入院していた時のことだ。父の病室に付きっ切りでいた際、ちょうど安倍さんも健康診断で同じ病院に来ていたという。

 彼は検査着姿のまま父の病室に来て、お見舞いの言葉をかけてくれた。その気遣いには本当に驚いたし、有難いと感じたものだった。検査着を着た総理大臣に会うようなことは、後にも先にもそれが最後だろう。

 そんな気さくな一面や気遣いができるからこそ、あれだけの派閥を率いることができたのだろう。第2次政権を持病の悪化で退陣した後も、食事をする機会があった。お酒はほとんど飲んでいなかったけれど、その頃にはもうすっかり体は元気になっていて、日米関係の行方についてお話し頂いたり、「習近平はこんな人だよ」と教えてくれたり、安倍さんらしい楽しい宴席だったことを覚えている。

 だから、2022年7月8日に亡くなられたことは、あまりに突然で衝撃的なお別れだったというほかない。出張先の米国から帰国し、次の日の7月10日の夕方、安倍さんのご自宅に弔問にうかがった。本当に優しい表情で眠っておられた。

 残念なことに、安倍さんの国葬を巡っては分断が生まれるような状況が生まれていた。もちろん、色んな意見があるのは理解できる。ただ、確実に言えるのは、安倍さんが歴代最長の政権を築き、外交的にプレゼンスを大きく高めたことだ。これだけ長く一国のリーダーを務めた方には、主義主張の違いを越えて敬意を払ってもいいのではないか。僕個人としては、国葬を行ったことに賛成だ。

 けれど、今こそ議論すべきは、安倍さんの推し進めてきた政策をどのように発展させていくか、イノベーションをドライブさせていく国づくりを構築していくか、ではないだろうか。日本の成長のために粉骨砕身してきた安倍さんも、そのことを天国で願っておられると思う。

(三木谷 浩史/週刊文春)

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