立ち入れぬトンネル、崩れ落ちた木橋…45年前に消えたローカル線「尾小屋鉄道」の廃線跡がディープすぎた
2023年01月31日 07時00分文春オンライン

石川県小松市にある「尾小屋鉄道」の廃線跡(写真=坂井稔樹さん提供)
モータリゼーションによる輸送手段の変化や地方都市の過疎化などの影響で、昭和から平成にかけて多くのローカル線が廃止されてきた。戦後から75年の間に、およそ400もの路線が姿を消したという。
石川県小松市にかつて存在していた「尾小屋鉄道」も、移り行く時代の流れに飲まれて廃線となった鉄道のひとつだ。
しかし、1977年の廃線から45年以上たった今も遺構が残り続けており、熱心なファンが遠方から訪れるほどの人気スポットとなっている。
いったい、尾小屋鉄道の遺構はどのような形でその姿を保ち続けているのか——。
文春オンライン移動編集部は石川県小松市を訪れ、「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」の会長・坂井稔樹さんの案内のもと、現地を探訪した。
■尾小屋鉄道開業当時の客車が保存された「ポッポ汽車展示館」
スタート地点は、尾小屋鉱山資料館に併設されている「ポッポ汽車展示館」。尾小屋鉄道の蒸気機関車「5号蒸気機関車」、気動車「キハ3」、客車「ハフ1」の3両を旧尾小屋駅跡地から移設して、2002年4月にオープンしたのがこの展示館だ。
坂井さんによると、「客車『ハフ1』は、尾小屋鉄道開業1年前の1918年に用意された車両が、当時の姿のまま保存されている」という。
尾小屋鉄道を走っていた気動車「キハ3」は動態保存されており、年に数回、体験乗車会で実際に乗ることができる。ちなみに現在、この「キハ3」を運転できるのは坂井さんを含めた2人だけ。尾小屋鉄道の歴史を継承するためには、後進の育成をする必要があるそうだ。
続いて向かったのは、尾小屋鉄道の廃線跡。かつて尾小屋鉄道が走っていた場所は、現在、国道416号線として利用されている。そのため、国道416号線の近辺が“遺構スポット”となっている。
取材班は坂井さんの先導で、国道416号線沿いの林の中を探索した。どうやらこの場所に、鉄道ファンや写真家に人気の“廃線跡”があるらしい。
■林の中には苔むした枕木や、切り倒された電柱が…
林の中を進んでいくと、坂井さんが「このあたりに、埋まったまま苔むした枕木があるんです」と教えてくれた。
しかし、苔がたくさん生えているため、一見すると朽ちた木と見分けがつかない。坂井さんによると「枕木には、レールを固定するための『犬釘(いぬくぎ)』が埋め込まれている」ので、それを見て枕木かどうか判断するそうだ。
足元に目を凝らして歩いていると、釘の頭が飛び出た木片を発見した。これが当時の枕木だ。
枕木を見つけた場所の周辺には、当時の通信線の電柱跡が根元を残したまま埋まっている。チェーンソーで切り倒されたあと、そのまま放置されたのだという。
また、尾小屋駅からの距離を示す「キロポスト(距離標)」も発見。「キロポストに『1』と書かれているので、尾小屋駅からここまでの距離が1キロであることを意味しています」と坂井さん。
林の奥まで進んできたので、来た道を振り返ってみた。すると、道の両端が少しくぼんでいることに気づいた。写真ではわかりにくいかもしれないが、このくぼみは、かつてレールが敷設されていた名残りなのだ。
■堂々した姿でそびえ立つ木橋の遺構
さらに林の中を進んでいくと、郷谷川(ごうたにがわ)のうえに架かっていた木橋の遺構が、堂々とした姿でそびえ立っていた。
数年前までは木造の橋が残っていたそうだが、すべて朽ちて川に落ちてしまったため、現在は橋脚しか残っていない。
その橋脚の壁面には、時間の経過とともにオレンジ色に変色した苔がびっしりと生えており、えもいわれぬ風情を醸し出している。
「尾小屋鉄道の廃線跡の中でも、ここは鉄道ファンや写真家たちのあいだで、一番の人気スポットになっています」(坂井さん)
木橋の遺構付近には、土砂崩れを防止するために、六角形の「亀甲カラミ」が積み上げられていた。カラミとは、鉱山で銅を製錬する際に生まれる不純物などを固めたもの。尾小屋では尾小屋鉱山から出たカラミを六角形に成型し、石垣や建物の壁、住宅の基礎などに活用してきた。六角形の「亀甲カラミ」があるのは、世界でも尾小屋だけだと言われている。
■『千と千尋の神隠し』に出てくるようなトンネル
取材班は木橋の遺構を見たあと、来た道を引き返して、もうひとつの人気スポット「第1トンネル」に向かおうとした。第1トンネルは、旧長原駅と旧倉谷口駅のあいだにあるトンネルで、車が立ち入れないため枕木などが現役当時に近い形で残っているという。
しかし、坂井さんから「今は藪が生い茂りすぎて、入れなくなっています。ヤブ蚊もたくさんいて刺されると大変だから、行くのはやめたほうがいい」との助言を受け、あえなく断念。
以下の写真は、坂井さんに提供してもらった第1トンネルだ。ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」というキャッチコピーを口に出して言いたくなるような雰囲気がある。
その後、旧金野町駅から旧金平駅に向かう途中にある石橋や、旧大杉谷口駅付近にある鉄橋なども案内してもらった。
坂井さんは「こうした迫力のある遺構を見られるのが、廃線跡巡りの醍醐味なんですよね」と頬をゆるめた。
■なぜ尾小屋鉄道は廃線になってしまったのか?
これまで見てきた遺構の数々は、尾小屋鉄道の歴史を物語る“代弁者”のような存在と言える。ではいったい、その歴史にはどんなストーリーがあるのだろうか。
尾小屋鉄道は、1919年、尾小屋駅と新小松駅までの総延長距離16.8kmを結ぶ形で開業した。当初は鉱山物資などの輸送を中心に利用されていたが、1957年には物資の輸送がほぼ廃止となってしまう。積み替えの負担を軽減するために、鉄道輸送からトラック輸送に切り替えられたのだ。
それによって、尾小屋鉄道は“旅客輸送”中心の鉄道へとシフトチェンジする。開業当初から鉱山関係者やその家族たちの“生活の足”となっていたが、旅客輸送中心になったことで観光客の利用も増えていった。
「かつて尾小屋鉱山が最盛期だった頃、尾小屋には5000人くらいの人口がいました。小松市街地よりも尾小屋町のほうが栄えていて、パチンコ屋や散髪屋、遊郭もあったほど。尾小屋鉄道に乗って、小松から遊びに来る人も多かったのです」(坂井さん)
鉄道に乗って尾小屋町を訪れる観光客が増えたことで、1959年から1962年にかけて、年間旅客数は100万人を超えたという。そんな隆盛を極めた尾小屋鉄道が、なぜ廃線の道を辿ることになったのか?
「大きな要因は、尾小屋鉱山の閉山です。一番の産業拠点だった鉱山が無くなったことで、多くの人々が勤め先を失ってしまった。それによって、尾小屋から小松や金沢に移り住む人が増え、人口の流出を止められなくなってしまったのです」(坂井さん)
鉱物資源が海外から輸入されるようになったことで、尾小屋鉱山は次第に経営が厳しくなり、徐々に規模を縮小。1971年に全面的な閉山が決定する。
それに伴い、尾小屋鉄道沿線の人口は急速に減少し、鉄道利用者も急減してしまう。小松市のホームページによると、尾小屋鉄道の旅客は1972年までの10年間に半減、同年には赤字額が収入の2倍超になってしまったという。「末期の頃は、1日の乗客数が800人程度だった」と坂井さん。
そして1977年3月19日を最後に、尾小屋鉄道は全線廃止となった。
■尾小屋鉄道の歴史を守り、後世に伝える坂井さんの想い
そんな尾小屋鉄道の歴史を守り、後世に伝えるために作られたのが、坂井さんが会長を務めるボランティアグループ「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」だ。1984年8月に結成された息の長いグループで、現在は県内外の鉄道愛好家50名強で構成されている。
同会は、先述したポッポ汽車展示館と、「いしかわ子ども交流センター小松館」に保存されている尾小屋鉄道の車両の塗装更新やエンジン整備などの動態保存を支援している。
会長職に就いて20年以上の坂井さんは、中学時代に尾小屋鉄道に乗車してその魅力に取りつかれた“愛好家”のひとりだ。尾小屋駅と新小松駅までの総延長距離16.8kmを徒歩で巡ったこともあるほど、尾小屋鉄道に魅了されている。
だからこそ、尾小屋鉄道の歴史の継承に対する想いはひときわ強い。坂井さんは、「当たり前のことですが、時が経つにつれて尾小屋鉄道の歴史を伝えられる人が少なくなってしまう。ポッポ汽車展示館やいしかわ子ども交流センター小松館での体験乗車会などを通して、子どもたちや若い世代の方々に尾小屋鉄道のことを知ってもらう必要があるのです」と話してくれた。
2023年度は、ポッポ汽車展示館で5回の体験乗車会が予定されている。日程は、2023年5月4日(木)、6月25日(日)、7月30日(日)、8月26日(土)、10月1日(日)。気になる方は、廃線跡巡りとあわせて足を運んでみてはいかがだろうか。
取材協力=なつかしの尾小屋鉄道を守る会、尾小屋鉱山資料館
写真=深野 未季/文藝春秋
(「文春オンライン」編集部)
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