「カップラーメンを食べていた学生を注意しなかった」視覚障害のある教員に退職を迫り…岡山短大で起きた“障害者差別”

「カップラーメンを食べていた学生を注意しなかった」視覚障害のある教員に退職を迫り…岡山短大で起きた“障害者差別”

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 独裁、私物化、雇用破壊、ハラスメント、天下り……教育と研究の場であり、社会の規範となるはずの大学で、信じ難いような事件が起きている。

 ここでは、大学の雇用崩壊やアカハラ・パワハラについて取材を続けてきたジャーナリスト・田中 圭太郎氏による『 ルポ 大学崩壊 』(ちくま新書)より一部を抜粋。准教授として働いていた山口雪子氏に対して、岡山短期大学が行った強引な退職勧奨の実態とは——。(全2回の1回目/ 続きを読む )

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■障害者差別解消法を無視

〈 全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進する(中略)。〉

 これは2016年4月に施行された、障害者差別解消法の目的だ。

 ところが、法の施行とほぼ同じ時期に、視覚障害があることを理由に、准教授を教職から外した大学がある。学校法人原田学園が運営する岡山短期大学だ。

 幼児教育学科の准教授だった山口雪子氏は2016年3月、視覚障害を理由に「指導能力がない」と突然授業を外された。

 山口氏は教職への復帰を訴えたが、岡山短大が復帰を認めなかったため、法廷闘争に発展し、2018年11月、最高裁で山口氏の勝訴が確定している。

 にもかかわらず、岡山短大は山口氏の教職復帰を引き続き認めなかった。最高裁判決後の2019年1月に、引き続き授業を担当させない決定をした。表向きの理由は「授業の担当教員の変更」と説明するが、障害のある山口氏への差別ではないだろうか。

 山口氏はこの決定の翌月、障害者雇用促進法に基づいて、岡山短大と協議をするための調停を岡山労働局に申請した。同年12月、調停は終了したが、その後も山口氏は教職を外されたままで勤務を続けている。

 法の趣旨に反した職務変更はどのようにして行われたのか。最高裁判決はなぜ反故にされているのか。問題の経緯を見ていきたい。

■退職勧奨ののち、強引な職務変更

「教員能力が欠如しているとして授業を外されましたが、裁判所は職務変更が無効だと判断してくれました。それなのに、私は授業を担当できないのです。大学に謝ってほしいわけではありません。以前のように教壇に戻してほしい。ただそれだけです」

 岡山短大幼児教育学科の准教授である山口氏は、遺伝性の網膜色素変性症を患いながら、岡山大学資源生物科学研究所(現在は資源植物科学研究所)で博士課程を学び、博士号を取得した。

 岡山短大には1999年に講師として採用された。2007年に准教授に就任し、自然の中での遊びや、科学遊びなどを通して、幼児の好奇心を引き出しながら教育を実践する「科目環境(保育内容)」を専門にしていた。

 当時の山口氏の視力は0.2ほどだった。網膜色素変性症は視野が徐々に狭くなる病気で、症状には個人差があり、山口氏の場合は症状がゆっくりと進行していた。小学校から高校までずっと普通の学級で過ごしてきた山口氏は、視覚障害があっても研究や授業を進める上で支障はなかった。

 しかし、2014年1月、岡山短大は山口氏に対して退職勧奨を始める。

 当時、幼児教育学科に在籍していた事務担当の派遣職員が、山口氏の業務の補助をしていた。派遣職員が自ら「手伝えることはありませんか」と声をかけてくれたことから、山口氏は病気が以前よりも進行していたこともあり、書類のレイアウトの調整や、印刷物や手書き文書の読み上げなどを手伝ってもらっていた。

 すると岡山短大は、派遣職員の契約が2014年2月に満期を迎えることを理由にして、「今年度で辞めたらどうですか」と言ってきた。次に着任する職員には視覚障害をカバーするための補助作業はさせられないからと、退職勧奨をしてきたのだ。

 このときは山口氏が自費で補佐員を雇うことで、退職を回避した。補佐員は週に2、3回、1日5時間ほど出勤し、研究室での補助や、授業での出欠確認などを手伝っていた。

 ところが、2016年1月になって岡山短大は、今度は「指導能力が欠如している」と言い始め、山口氏に教職を辞めるように迫った。

 山口氏によると、岡山短大が主張した理由は次の2点だった。

 1点目は、山口氏がゼミで教えていたある学生が、同じゼミの学生と仲が悪くなり、「ゼミが楽しくない」と他の教員に伝えたことを、山口氏へのクレームとして扱ったことだ。

 2点目は、山口氏の授業中に抜け出している学生がいるが、視覚障害があるために注意できないというものだった。

 いずれも学生の問題であり、納得できなかった山口氏は、代理人弁護士を通じて話し合いで解決するように求めた。

 しかし、岡山短大の態度は頑なだった。視覚障害のために授業中にスマートフォンをいじっている学生を注意できないなど、さらに理由を加えてきた。

 岡山短大が特に大きな問題にしたのは、授業中に教室でカップラーメンを食べていた学生がいたにもかかわらず、山口氏が気づかずに注意できなかった、という点だった。

 ただ、これらの事案は学生の行動自体に問題があると言える。それなりの分別があってしかるべき学生の問題行動を、目が見えなくて気づかずに注意できないのが悪いと、すべて山口氏に責任を押しつけるのはいかがなものだろうか。

 それでも岡山短大は、2016年1月、教職から事務職への職務変更と、研究室からの退室を一方的に通告し、3月以降、山口氏を授業から外した。17年にわたって授業を担当してきた准教授から、「指導能力がない」と言って仕事を奪ったのだ。

 視覚障害がある大学教員は、山口氏が教員を外された2016年の時点では全国で25人いた。山口氏の問題を受けて教員らは文科省で記者会見し、「視覚障害がある大学教員は不適格などと、私たちは言われたことがない。ナンセンスだ」と岡山短大の態度を批判した。

■職務変更命令は「不法行為」の判決に応じず

 教職を外された山口氏は弁護士を通じて復帰を求めたが、岡山短大は応じなかった。非公開で地位保全の仮処分を申し立てて和解の道も探ったが、状況は変わらなかった。

 交渉の方法を失った山口氏は、2016年3月に岡山短大を提訴した。

 裁判はすべて山口氏の勝訴で終わる。一審と控訴審は、山口氏の職務変更と研究室からの退去を無効とし、岡山短大に110万円の支払いを命じた。2018年11月、最高裁で判決が確定した。

 判決では、職務変更が必要だと大学が主張する理由は、補佐員による視覚補助で解決が可能だとして、職務変更は不法行為だと指摘している。

 また、山口氏が授業をする権利までは認められないものの、専門分野について学生を指導する利益はあるとして、山口氏に著しい不利益を与える行為だと結論づけた。

 この判決を受けて、厚生労働省も動いた。障害者差別解消法とともに、障害者雇用促進法の観点からも「問題が多い状況」と捉えたのだ。

 同年12月、岡山労働局が岡山短大を訪れ、「障害者であることを理由とする差別を禁止」し、「合理的な配慮を当事者と事業主との間で話し合い、必要な措置を講じること」を定めた法の趣旨を説明した。

 ところが、それでも岡山短大は考えを変えていない。2019年1月の教授会で、4月以降も山口氏に授業を担当させない決定をした。

 その理由は、山口氏が担当していた専門分野の授業は「別の教員が担当者として適任」であり、その他の一般教育科目については「履修者が少ないために開講しない」というものだった。

 つまり、岡山短大は山口氏に担当授業がないのは、あくまで教員の交代と科目の消滅の結果であり、「山口氏を担当教員から外すこと自体が目的ではない」と主張したのだ。

 この決定について岡山短大に取材すると「代理人弁護士からお答えする」とノーコメントだった。代理人弁護士は、「授業の担当者は毎年教授会にかけて決定しています。この度の決定は、専ら研究教育実績に基づいて判断したものであり、視覚障害は理由ではありません」と話した。岡山短大としては障害者への差別ではなく、「この問題は解決した」という態度だ。

 しかし、出発点は視覚障害がある山口氏への差別だった。職務変更は「不法行為」だと裁判所も認定した。岡山短大は理由をすり替えたにすぎないのではないだろうか。

■岡山労働局による調停も教職復帰は果たせず

 最高裁でも勝訴しながら、教職復帰を認めない岡山短大に対して、山口氏は「怒りよりも残念な気持ちを抱いている」と心情を吐露した。

「かつては私が廊下を歩いていて障害物に当たりそうになったら、教職員も学生も声をかけて教えてくれました。しかし今は、廊下でドアにぶつかっても、見て見ぬふりをする人が多くなっています。教育者を養成する大学で、言葉では思いやりが大切と言いながら、視覚障害のある私を差別し、村八分にして、学生は何を学ぶのでしょうか。人間であるから間違うこともあります。その間違いを認めて、乗り越えていければ、大学もよりよく発展できると思うのです。しかし、裁判所に間違いを指摘されながらも、変えることができない大学の態度には悲しいものがあります」

 教職に復帰したいと思う一方で、教育者を養成する大学で起きている障害者差別をこのまま見過ごすわけにはいかないと考えた山口氏は、2019年2月、障害者雇用促進法に基づいて、岡山短大と協議をするための調停を岡山労働局に申請した。

 しかし、岡山労働局は授業の復帰については「双方の主張の隔たりが大きく、歩み寄りが困難」として、調停案を示すことができなかった。

 ただ、授業以外の業務では、岡山短大側が合理的配慮を行うことや、今後定期的に協議することなどを提示した。同年12月、双方が受諾し、調停は終了した。

 その後も山口氏は授業を担当させてもらえずに勤務している。多少の合理的配慮はあるものの、以前のように授業が担当できていないことに変わりはない。

 なぜこの問題は解決できなかったのか。最高裁判決を受けて2018年12月、岡山労働局が岡山短大に法の趣旨を説明したことは前述した。しかし、指導までには至らなかった。

 その理由を厚労省に取材すると、厚労省は「裁判になった時点で指導、監督などの行政行為は行うことができない」と説明した。しかし、最高裁で結論が出て、法の趣旨まで説明したにもかかわらず岡山短大が応じないのであれば、指導などもう一歩踏み込んだ対応をするのが、監督官庁としての役割ではないだろうか。

 このまま放置するのかとさらに厚労省に聞くと、「岡山短大には判決内容に基づいて、自主的に解決を図るように努めていただきたい」と述べるに留まった。

 そもそも障害者差別解消法などの法律がなくても、障害のある人への不合理な差別はあってはならないことだ。法律もできて、最高裁も不法行為と認定していながら、教育をする場である大学は無視し、指導すべき立場の行政は動かない。これでは悪しき前例になる可能性を否定できない。

 岡山短大の問題は、今後も問い続けていく必要があるだろう。

(田中 圭太郎/Webオリジナル(外部転載))

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