「選手ファースト」の指導者・小出義雄が“パワハラ”の消えない陸上界に問うもの

「選手ファースト」の指導者・小出義雄が“パワハラ”の消えない陸上界に問うもの

4月24日、千葉県内の病院で亡くなった小出義雄氏 ©文藝春秋

 4月24日、陸上長距離の指導者、小出義雄氏が死去した。享年80であった。

 1992年のバルセロナで銀、1996年のアトランタで銅と2つのオリンピックでメダルを獲得した有森裕子、2000年のシドニー五輪で金メダルに輝いた高橋尚子ら、育て上げた名選手は数多い。まぎれもなく名指導者であった。

■“常識外れ”の3500メートル合宿

 振り返れば、ぱっと見には相反する要素を併せ持つのが小出氏だった。「剛」と「柔」。あるいは「合理性」と「情熱」。

 シドニー五輪へ向けての強化の過程で、小出氏は高橋尚子を高地合宿へと連れて行った。アメリカはコロラド州の標高3500メートルにおよぶ地である。当時、高地合宿は2000メートルを超えて実施するべきではないとされていた。実施すると知れると、批判も浴びた。

 それでも惑わされず、敢行した。

「常識に囚われていては勝てない」

 信念を貫く姿は、「剛」と言ってよかった。ただし、頑とした姿勢や豪快さを感じさせる面があるのと対照的に、実際は、物腰は柔らかかった。教える選手に対してはむろんのこと、大会後などの取材の場でもそうだった。「今日も大変ですね」。そんな軽やかな挨拶とともに始まることもあった。笑顔で、明るさを失わない声で語り続けた。

「緻密さ」もあった。やはりシドニー五輪でのこと。小出氏はレース展開を予測すると、32キロから37キロが勝負のポイントと見定め、その範囲の中でスパートすることを高橋に指示。シドニー入りすると、32キロ付近からの走り込みを重ね、試合に備えた。

 いざ本番では、リディア・シモンとの一騎打ちとなる。高橋は小出氏のアドバイスの通り、35キロあたりでスパートするとシモンを引き離し、勝負を決めた。予測と、実戦を想定した走り込みが生きた瞬間だった。

■有森は「上に立ててあげる」、高橋は「素直で何でも聞く」

 選手の個性を見極めることにも長けていた。

 例えば、有森については、「納得しないと、行動しない性格なので上から言っても駄目。むしろ上に立ててあげる」。持久力に秀でていると見てとると、スピード練習よりも長い距離を走る練習に重点を置いた。

 高橋に関しては「素直で、言うことを何でも聞く選手なので、こちらから『こうしよう、これをやろう』と言ってあげる」。スピード、スタミナ双方のバランスがよいことから、有森とは異なり、距離は抑え目に、スピードを鍛える練習を組み入れた。

 特性を知り、それに合わせた接し方と練習を組み立てる。それもまた「合理性」の範疇と言えるかもしれない。

■「もし小出さんでなかったら……」

 そのような冷静かつ綿密な組み立てとともに、ひたすら「情熱」を選手に傾けた。

「ほめて育てる」方針であることで知られていたが、誰にでもよいところはあるという信条を核に、選手1人1人を伸ばしてあげようとする姿勢に変わりはなかった。

 そう、「剛」と「柔」、「合理性」と「情熱」、そんな対照的な要素を貫くものこそ、選手への愛情だった。それが根底にあって、ときに頑固に、ときに熱血漢として、冷静に考え、選手の気持ちを高めることに腐心した。言ってみれば、小出氏の最大の特性とは、選手への強い思いではなかったか。だから手を抜くことなく選手1人1人に向き合い、エネルギーを注ぎ、速くなることに情熱を燃やすことができたのである。

 もちろん、指導者としての野心はあっただろう。でもそこに、私欲の強さをうかがうことはできない。

「他の指導者だったら、私がなし得ることができなかったことはあると思います」

 訃報を受けての有森のコメントは象徴的だ。

■「パワハラ」と「鉄剤注射」問題の陸上界に投げかけるもの

 そんな小出氏の存在は、有森や高橋の活躍とともに、陸上界のみならず、広く知られていった。指導に焦点をあてた記事などもしばしば書かれた。他の指導者が参考にするための材料は山のようにあった。

 だが、陸上界を見渡せば、そうした指導法とかけ離れた様が今なお見受けられる。

 昨年、日本体育大学陸上部駅伝ブロックの監督が、暴力行為や人格を否定するような言動などのパワーハラスメントを行なって部員を追い詰め、解任されたのは一例だ。

 あるいは、2016年から日本陸上競技連盟が警告を発してきた鉄剤注射の問題。持久力が高まるとして広まったが、鉄分が内臓に蓄積することからくる身体への悪影響があると指摘され、使用しないよう求めたものだ。一部の実業団の指導者からも、長い目で見れば競技生活に弊害があると声が上がっていた。

 陸上連盟は指導者や管理栄養士を集めてセミナーも行ない、周知に努めた。それでも昨年、使用をやめない指導者たちがいることが明らかになった。

 パワハラも含め、そうした問題から推測できるのは、選手の将来を重んじるより、目先の結果にこだわる指導者の姿勢にほかならない。それは選手のためではなく、自分のためではないのか。

 小出氏の指導法には、今なお、そしてこれからも指針となるべき要素が含まれている。

 逝去の報に触れて、そう思わずにはいられない。

(松原 孝臣)

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