ありふれた別れ話から、恋人はストーカーに豹変した――内澤旬子「ストーカーとの七〇〇日戦争」

ありふれた別れ話から、恋人はストーカーに豹変した――内澤旬子「ストーカーとの七〇〇日戦争」

※写真はイメージです ©iStock.com

 ネットで知り合った交際相手に別れ話を切り出したとたんに男は豹変した。執拗なメール、脅迫的な行為、2ちゃんねるへ誹謗中傷の書き込み……。これは文筆家の内澤旬子氏が自らの体験を「週刊文春」に生々しく描き反響を呼んだ、恐怖のリアルドキュメントだ。連載をまとめた『 ストーカーとの七〇〇日戦争 』(文藝春秋)が5月24日に発売されるにあたり、第1回を公開。また、 ストーカーにまつわる疑問・相談も募集 する。

◆◆◆

 やっぱり警察に相談しておこうか。ただの痴話喧嘩でしょ、と冷笑されてどうせ相手にしてくれないのだろうけど。

 事件は、ごく普通の、ありふれた話からはじまる。交際していた男と別れようとした。それだけだ。ただちょっとだけ、先を急いでしまった。私は嫌だとなったら急に手のひらを返したようになってしまい、話をするのも厭(いと)わしくなる性分なので。まさかそれが大惨事を招くことになるとは、当時は思いもしなかった。

 2016年4月初旬。家に遊びにきたいという交際相手Aの要求を、忙しいからと拒否したところ、電話が鳴りやまなくなった。

 私は2014年に東京から小豆島に移住した。たまに東京の出版社との打ち合わせに出る以外は、小豆島の海が見える家で、まっ白いヤギ、カヨと暮らしている。カヨが出産したため、息子のタメという真っ黒い子ヤギも加わったばかり。ヤギの世話の合間に東京の出版社に原稿やイラストを送り、狩猟免許を取得し、小豆島の猪や鹿などの獣害について取材していた。都内の高額家賃から解放され、瀬戸内海の鮮やかな青い海を毎日眺めながら、広い家で仕事をする。ヤギの世話や家の手入れなどが忙しく、のんびりというわけにはいかなかったが、楽しく山海を駆けまわっていた。その日は島からフェリーに乗って1時間、対岸の街、高松の銃砲店に来ていた。

■電話の呼出音が止まらない

 Aとはインターネットを通じて知り合い、8カ月ほど交際していた。彼は香川県下に居住していて、私が高松に行くときに会うことが多かった。

 打ち合わせ中だから後にしてくれと何度メッセージを出しても、まったく聞かない。とにかく声が聴きたい、とにかく声をと、メッセージをよこし、電話を掛け続けてきた。

 この男、交際を始めてからというもの、私の言うことを絶対に聞き容れようとしなかった。

「お前はなんでも自分が正しいと思っている」というのが口癖。激しい口論になるのが面倒で、相手の言い分を仕方なく通すことも多くなり、沈黙してしまうことも増えた。すっかり嫌気がさして、どうやって距離をとって別れにもっていくかを考えていた時期ではあった。

 しかしこれまで、私の仕事や日常に支障をきたすほどのことをしてきたことは、さすがになかった。結局用事を終えた私が根負けして電話に出るまで、電話の呼び出し音は(途中からマナーモードにしていたが)3時間ほど全く止まらなかった。

 そもそも仕事がうまくいかないだとか、鬱病の診断を受けたとかで、2月の1カ月間はAからの連絡もほとんどない状態。このままこれで自然消滅すると思っていたら、3月に入ってから元気を盛り返し、誘われて何度か会った。するとAは急に前向きになって小豆島で音楽フェスをやりたいと言い出した。資金も人間力もないまま、しかも鬱病だと自称する男が、どうやって音楽祭のプロモートなどという交渉力が大いに問われる仕事ができるのか。地元住民や役場との交渉、ボランティアスタッフ集めや資金集めをあてにされるのは目に見えている。巻き込まれたくない。やるなら高松でやれば。もうこの男を島に呼ぶのはやめよう。そう決めた矢先に、急に家に来たいと言ってきたのだ。彼なりに何かを察知したのだろうか。

 しかし家に来るのを断っただけで、まさかこんな嫌がらせに発展するとは思わなかった。なんだかとっても面倒なことになりそうな予感がする。「うんざり」に加えてこれまでに感じたことのない「恐怖」がドッと募る。時間をかけて距離をとって、最終的には対面で話して理解・同意を得て、円満に別れようと計画していたけれど、一刻も早く関わりを断ちたくなり、電話でそのまま別れを告げた。

「無理だわ。私、電話をやめてっていうのにやめないで掛け続けてくるひとは、無理。お付き合いできない。もう終わりにしましょう」

「え、なに、これで終わりってこと? ちょっと待てよ」

 もちろんAは納得がいかず、関係を続けたいと言い募る。こちらとしてはなぜ別れたいのかを説明して納得してもらうしかない。けれどもやっぱり会うのは怖い。Aと高松で会うときには、Aの車に乗って移動することを意味する。私は小豆島以外での運転経験がほとんどなく、高松市街地での運転は難しい。それにもし運転が上達したとしても、フェリーに車を乗せるとなると往復で1万円近くかかってしまうため、よほどのことがない限り、高松での移動は徒歩かレンタル自転車となる。自転車で移動しにくい距離の施設に用事がある場合、バスやタクシーを利用するのだが、居合わせた男性が、帰り際にフェリー乗り場まで車で送りましょうと申し出てくださることも多い。ところが、ご厚意に甘えて助手席に乗ったというだけで自分に好意があると勘違いされるアクシデントが続いた。これまで車移動中心の地方に住んだことがないので、どうもこの兼ね合いが分からない。怖い。Aの車の助手席に乗ることで、私がまだAに好意を持っていると、受け取られるのではないか。それがなくても、別れ話がこじれて激高される可能性もゼロではないのだから、密室となり、どこに連れていかれるのか分からない車への同乗は、避けたいところだ。メッセンジャーというフェイスブックのメッセージ機能を使って説得することにした。これまでも連絡に使っていたものだ。

■「全部自分が悪かった。お前の言う通りに直すから……」

 最初のうちAは平謝りで、私がここぞとばかりに列挙した「別れたい理由」「続けられない理由」に対して、「全部自分が悪かった。お前の言う通りに直すからやり直そう」という姿勢のメールが延々と続いた。

 今まで付き合ってきた間の不毛な言い合いはなんだったのだ。このコロッと変わって全面降伏する感じ、本で読んだだけだけど、DV夫が妻を殴ったあとに急に優しくなって謝り続ける様子にソックリなんだが。これは、どう考えても復縁しちゃまずいパターンなんじゃないか。

 私が愛玩しているヤギ、カヨと仲良くできなかったことへの言い訳も沢山書いてきた。

「お前が大事にしているから、手が出せなかった」とか、「反抗されたら殴り殺しそうで怖かったから」。ちょっと尋常な言い訳ではない。さらに続けて「未成年の頃に、加減を間違えて動物を半殺しにしてしまったことがあり、教護院(現在の児童自立支援施設)におくられたことがある。けれども自分は動物が大好きなのだ。カヨとも本当は仲良くしたかった」。

 なにこれ。目の前が真っ暗になった。言い訳が言い訳になっていない。教護院の話、本当かどうか分からないけど、嘘であってもそんな嘘を思いつくだけで不気味すぎる。一刻も早く縁を切りたい。

 どんなに謝られても無理なモノは無理である旨を伝え、その後返事をしなかったら、朝のご挨拶だけになった。既読さえつけていれば、それ以上はなにも言ってこない。それが10日あまりも続いた。

〈おはよう 既読
 おはよう 既読
 おはよう 既読
 おはよう 既読〉

 画面を見て虚しくならないのだろうか、これ。しかしこれで自然消滅に向かうのだろう。電話が鳴り止まなかったときはどうなることかと思ったけれど、意外と簡単に終わらせることができそうだ。安心して、既読をつけなくなった。そろそろいいだろう。本音としては既読をつけることすら厭わしい。メッセンジャーを開けるのも嫌だった。

 すると、自分が無愛想であったり、私を傷つける発言をしたのは、鬱病の可能性があって、母親の具合も悪くて、という長い長い言い訳が届いた。

 あああああ、全然諦めていなかった。既読をつけていれば良かった。それにしても私を傷つけてきた理由を病気のせいにして、復縁を迫ってくるのは、ものすごく気分が悪い。8カ月の交際期間、私が何度も嫌な気分になってきた事実は変えようがないのであるから、もう一度やり直す気は、ない。ヤギの世話で指を骨折したときにも「折れてるわけがない。たいしたことないくせに」と言って、私の家に泊まりにきてもなにひとつ手を貸してくれなかったのだ。そりゃ鬱病かもと言われたって「そう。お大事に」としか言いようがない。で、そういう暴言もなにもかも鬱のせいだったと今更言われたところで、はあ? 知るわけねえだろ、だ。

■懇願じみた長いメッセージ。……うざい

 鬱になったパートナーを支えることができるのは、それ以前に強固な信頼関係をしっかり築いてきた場合に限られるだろう。私たち、付き合って8カ月。しかもひと月目から喧嘩して、喧嘩して、いろいろ試みたが無理だと分かって、別れようとしているところなんだから、とてもじゃないけど支える気にはなれない。あれだけ人を傷つけておいて、なんなんだろう。湧き上がる怒りを抑えつつ、返信を打った。

〈もうこれ以上、私はあなたに傷つけられるのを我慢することはできません。あなたの心配や世話をすることはできません。あなたの我儘(わがまま)を受け入れられる頑丈な女性を探してください。病気は大変でしょうけど、どうかお大事に。これを最後の返信とさせていただきます。さようなら。〉

 するとしばらくして、

〈もう傷つけることは絶対にしません。我儘も言いません。お酒もやめました。一生飲みません。心を本当に入れ替えます。手伝えることなんでもします。本当に好きです。〉

 という懇願じみたメッセージが届いた。本当はこの三倍くらいは長い。……うざい。もう相手するのに飽きたし、これまでの横柄な態度とのギャップが激しいのが、実に嫌な感じがする。

〈以前にストーカーに近い行為にあったことがありますので、しつこくされたり無理矢理意志を押し付ける人が本当に嫌いです。これ以上私との接触を望み続けるならば、警察の生活安全課に相談します。〉

 ストーカー対策は、主に警察署の生活安全課が担当している。それを世事に疎(うと)い私がどうして知っていたのかというと、猟銃の所持許可の担当が、生活安全課だったからである。2015年から2016年にかけて審査のために半年以上も生活安全課の方々に面談されたり、自宅に来られたり、周辺に聞き込みをされた。そしてもちろん試験や講習を高松の香川県警本部まで受けに行って、射撃場での射撃教習も受けた。よおおおやく、よおおおおおおやく、中古であるが、ベレッタの中折れ式上下二連の散弾銃を一丁購入して、家にガンロッカーを設置して、念願の猟銃を迎え入れたばかりだった。何度も手続きや面談のために小豆(しょうず)警察署に通いつめた。そのため、生活安全課の署員全員とまではいかないけれど、半数以上は顔見知りという状態であった。

 小豆郡内で、猟銃の所持許可を持つ女性はとても少ない。生活安全課に何度か電話したときに、取次の方が他の誰かと間違えて「××のストーカーの件ですね?」と言ったのを聞き、「!?」となったのだ。そうか生活安全課ってストーカー相談窓口も兼ねているんだ。なるほどねえ。小豆島でもストーカー相談があるのか。そういえばニートも少なくないと聞く。人口2万7000人もいれば、いろいろあるだろうなあ。ちなみに生活安全課は、風俗店や探偵業、パチンコ店などの営業許可も担当している。

■「生活安全課」という言葉を使った途端に逆上

 メッセージのやりとりに戻ると、このときは本気で生活安全課に行こうと思っていたわけではない。警告として生活安全課という言葉を使ってみたかっただけだった。しかしそれは決して言ってはいけない禁句だったのだ。これまで平身低頭だったAは一変して逆上した。

〈ストーカーだの警察だの好き放題言ってるなら、島の友だちにも散々俺の悪口を言ってるんでしょう。フェイスブックも見れなくしてるし。俺も曝露日記を書くかも。もうなんでもいいや。〉

 Aは「俺をストーカー呼ばわりしたことは許せない」と言い募り、失うものはなにもないから、知り合いのライターに頼んでこれまでの交際を曝露してやると言い始めた。さらにフェイスブック上の友人に「いいね!」をつけていることから私がその男性と浮気をしていると決めつけた。

 はあ? 独身の中年男女の交際が記事になったとして一体誰が読むと言うのだろうか。バカじゃねえの。閨房(けいぼう)の話を書くなどと言っているが、読んでもらえるように書く能力もないだろうに。と思ったのでつい、書きたかったら気が済むまで書けばいい。そんなことをしてもなんにもならないと思うけれど、と書いた。これまでの会話からAに知り合いのライターなどいるとは思えなかったし、こんな卑怯な脅しに屈したくないという気持ちもあった。

 するとAはさらに激高し、とうとう私の友人の作家が重篤な病気に罹患していることを「週刊文春」にリークしてやるだとか、小豆島に行って、私の友人たちに私がいかに酷い人間かを曝露してやるだとか、Aが勝手に浮気相手と妄信している人の家に乗り込むだとか言い始めた。さらに小豆警察署に行って、私が猟銃を持つ資格がない、激高する性格であることを報告して猟銃の所持許可を取り消させるなどとも言ってきた。それから鬱病になったのも私から暗い愚痴ばかり聞かされたからであり、損害賠償で訴えてやるとも。どうしよう。完全に正気じゃなくなってしまった。

 この頃になると睡眠をとる時間以外はずっと、5分おきくらいに携帯が震えてメッセージが届くようになっていた。これはまずい。方針を変えた。正確にはストーカー呼ばわりをしていないけれど、ストーカーという言葉を使ったのは悪かったと謝り、友人の病気のことは他言しないでほしいと頼んだ。けれどもどうにも言うことをきかない。必死になって宥(なだ)め、説得をするのだが、ゆるさないの一点張り。

 冷静に、怒らせないように、しかし私が怖がっていることを伝えないように考えながら返信を重ねる。しかし一旦は納得したように見えても、すぐにまた「島に行ってめちゃくちゃにしてやる」と言い始める。「週刊文春」にも本当に電話したと言う。

 だんだんと気味が悪くなってきた。正常な思考状態にないように思える。文脈もおかしいし、理屈もなにもすっ飛んでいることすらも自覚していない。それなのに、嫌がらせに関してはやけに頭が回る。こちらが嫌だと思うことを、的確に突いてくる。私が無視をすれば、「シカトするのか」と憤り、酷く不安定になって、過激な罵倒を連ねていく。

■会ってもらえるまで家の前で待ち続けるのが男の道

 島に来るなら来るで、いきなり押し掛けるのではなく、ちゃんとメールで連絡をして約束を取り付けてから来てほしい。あなたが会いに行くと言っている人、みんなあなたと話をしていいと言っているからと返すと、そんなのは男のやり方ではない、田舎の人間をなめるな、会ってもらえるまで家の前で待ち続けるのが男の道だ、などと言い、俺の悪口を言いふらしたなと激怒し始めた。そして浮気をしていると妄信している人物の家を突き止めたと、グーグルマップを貼り付けて送ってきた。うわあああ。

 その人の家がどこにあるのか知らなかったので、あわてて連絡をとり、実は恥ずかしながら……と事情を説明すると、それはおそらく同姓同名の人の住所だと思われますというメッセージ。私の家、××なんですよ。え、集落からして全然違うじゃないですか。同名の方とは親戚筋ですらなくて、話したこともないという。あああ、たしかに小豆島内、同じ苗字の人が多い。いや、島にかぎらず、地方とはそんなもの。田舎あるあるだ。にしても、どなたか存じ上げませんが、自営業だからってフルネームと住所をネットにあげちゃうの、危ないからやめてください……。

 銃のことで警察に変なことを言われるのは、あまりいいことではないし、私の友人どころか知り合いの知り合いですらない人の家に、突然押しかけて暴れられても困るし、と心の中で言い訳を沢山並べながら、私はとうとう生活安全課に連絡を入れた。一番若い、先日転属してきたばかりのOさんが話を聞きますということになった。銃の所持許可の最後の書類手続きをしてくださった方だ。

 案の定、取調室に入って対面したOさんの顔には、明らかに迷惑そうなというか、面倒臭そうな表情が漂っていた。まあそうだよね。私だってこんな面倒臭い話なんかしたくないですよ。しかも自分よりも20歳以上も若い男性に。けれどもメッセージが止まんなくなっちゃったし。毎晩寝られないくらい怖いし。どんどん具合悪くなってきて、喘息の発作がでてきたし。Aが本当に島に来て、小豆署や友人宅で変なことを言って回る前に報告はしておかないと。

 順を追ってOさんに説明を始めた。最初はだるそうだったOさんの表情が一変したのは、「島に来る」という一言だった。しかも私の知り合いと勘違いした同姓同名の人の家に「浮気相手と思い込んで乗り込む」と聞いた瞬間に顔色が変わった。ガタッと立ち上がり、「ちょっと失礼します」と言って取調室を出て行った。上司と相談、だな。

 そうかー。実際に来るということになると、警察は動いてくださるのだなあ。どっかで読んだような気もしたけれど、本当に絵に描いたように反応するんだ。などと呑気に思っていた。多少でも本気になって心配してくださるのは、心強い。

 急に取調室に人が増えて、交際相手の名前を教えてくださいと言う。フルネームを紙に書いた。住所はと聞かれ、それも書き込んだ。年齢は。えーーと、43か4だったかな。すぐに一人が立って外に出て行った。検索するのだろう。

 すぐに戻ってきて、該当住所にその人はいないのですがと言う。え、そんなはずはありません。

 内澤さんは、その家に行ったことはありますか。

 はい。一度だけですが行っています。

 では確認お願いしますと、ゼンリンの大判の住宅地図をドサッと開かれた。指さしてください。ええと、ええと、……ここです、ここ。はい。間違いありません。近所にある公共の建物を覚えていたので自信があったが、その家には私の知らない名前が小さく書かれていた。え? なんとも嫌な気持ちになった。

■「男性というのは、この男でしょうか」

 あ!! そうだ、そういえば、ここは実家で、親と一緒に住んでいるはずです。たしかご両親が離婚しているから、それでAの苗字とちがうんじゃないかしら。

 また一人が外に出て行った。そのうちにだんだん外が騒がしくなってきた。廊下をはさんで向かいが刑事課と生活安全課の部屋である。だれかがバタバタと走っている音がする。号令のような、怒号のような声が飛びかう。さっきまで静かだったのに、なぜあんなに騒がしいのだろう。取調室では全員が沈黙したまま、ジワジワと時間がすぎる。

 バンと勢いよくドアがあき、紺の制服を着た警察官が紙片を持って入ってきた。見たことがない顔だ。刑事課の人だろうか。無表情のままチラッと私の顔を見てから、生活安全課の刑事に紙片を渡しながら何事か囁(ささや)く。いつのまにかOさんは端っこにいて、主導権は上司T係長にバトンタッチされていた。

「内澤さん。あのですね。今からお見せしたいものがあります。内澤さんが、お付き合いされている、男性というのは、この男でしょうか」

 上司T係長が言葉を切って、ゆっくりと話しながら、紙を差し出した。

 生まれて初めて、人前で大きな悲鳴をあげた。

 黒いパーカー姿のAの、正面と横のバストアップ写真だった。これは、刑事ものやFBIドラマでよく見る、マグショットというやつ……(欧米のマグショットは身長計の前に立たされた状態で撮影されるが、私が見た写真の背景は白だった)。まさか自分の彼氏の写真で見せられるとは。しかも冗談でもなんでもなく、正真正銘のホンモノ。警察庁か香川県警かそれとも、地検か地裁? とにかくどこかが管理するデータに照会をかけ、小豆署のインクジェットプリンタから写真用光沢紙に吐き出されたものと推測される。さらに衝撃だったのは、どう見ても写真のAは未成年ではなく、最近。この5年以内、いや3年以内に撮ったとしか思えない。てことは、ついこないだ、何かしたってこと?? 何したんだ、あの男。

「間違いありませんか」

 は……間違いありません。Aです。

「それは偽名です」

 気が遠くなってくるのを必死に堪えた。ぎ・め・い?

 そ、それで、あの、本名は?

「個人情報保護法により、お教えすることはできません」

 ななななななななな。

( 「#2 前科」 へ続く)

■内澤旬子さんからのメッセージ
本書は著者が実際に被害に遭ったストーカー事件(脅迫罪で逮捕、示談成立後不起訴処分の数カ月後にインターネット掲示板への書き込みあり、IPアドレス特定後に刑事告訴、名誉毀損等で懲役10カ月の実刑判決)の詳細です。ストーキングが依存的病態の一種であり、精神科医やカウンセラーによる専門的な治療で再犯の危険性が下がるにもかかわらず、治療につながらない現状を変えたい一心で、筆を執っています。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

(「週刊文春」編集部)

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