「休まない美学」を一蹴 高校生の私を救った鎌倉市図書館の名言が忘れられない

「休まない美学」を一蹴 高校生の私を救った鎌倉市図書館の名言が忘れられない

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 文春オンラインでは、「 あなたが書きたい『平成の名言』と『平成の事件』は? 」と題して、広く原稿を募集しました。今回は、その中から佳作に入選した作品を掲載します。

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■「逃げ場所に図書館を思い出してね。」

 平成27年8月26日。鎌倉市図書館の公式ツイッターが投稿した名言が忘れられない。

「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」(原文ママ)

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 この投稿の8日前、内閣府が平成27年度版「 自殺対策白書 」にて、夏休み明けの9月1日、子どもの自殺が急増するというデータを発表した。それまで年別に調査していたものを日別に統計したことで明らかとなった。

■「学校が子どもたちの一つの社会である」が子どもたちを苦しめる

 日本全体における自殺者数はピーク時の平成15年から年々減少傾向にあるものの、小中高生の自殺者数は例年300人前後と横ばいだ。平成18年に自殺対策基本法が制定されてから、文部科学省は「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」を定期的に開催し、子どもの自殺に危機感を抱いている。ではなぜ子どもたちは、死を選んでしまうのか。

 まず小中学生の自殺の原因として最も多いのは「学業不振」である。次いで「家族の?責」「親子関係不和」「友人との不和」などと続いていくため、必ずしも学校だけが要因ではなく、家庭にもその一因があるといえる(警察庁『 平成22年度中における自殺の概要資料 』より)。

 しかし、高校生では「進路の悩み」が最も多く、「学業不振」「うつ病」と続き、「親子関係の不和」と「友人との不和」がほぼ同等の件数で多くなっている(前同)。年齢が上がり、学校生活を長く送っていくにつれて「学校が子どもたちの一つの社会である」という観念は大きくなり、いつしか拘束力、支配力となって子どもたちを苦しめる。

■「休まない美学」を否定し、新しい居場所を与えた一声

 そんな中、学校と同様に公共の教育機関である図書館が「学校を休んで」と呼びかけたことは青天の霹靂であっただろう。これまで学校、とりわけ義務教育に関しては皆勤賞を表彰したり、進学時に必要な調査書の加点項目としたりする風潮が根強かった。だからこのツイートは長年日本の教育が称賛してきた「休まない美学」を否定する、極めて革新的な一声なのだ。

 家庭、学校に代わる新しい居場所を与えること。そしてそこへ「逃げる」ことを肯定すること。子どもの自殺を防ぐ一つの方法として極めて新しい視点が、教育機関から飛び出したのである。

 インターネット掲示板やSNSでは不特定多数の見知らぬ人々と知り合うなど、子どもたちが心の隙間につけ込む人間たちによって、事件に巻き込まれるリスクも高い。また、新たないじめの温床となるケースも増えてきている。一方、図書館は先述の通り公共の場所だ。必ず職員ら大人がいて、子どもたちを見守る空間としての性格が強い。静かに本を読んだり、ぼーっとしたり、気が向いたら図書館の職員と話したり、安全で自由なひとときを過ごすにはうってつけだ。

 また、ツイートの文中に「マンガもライトノベルもあるよ」とある通り、近年ティーンエイジャー向けの書籍を集めた「YA(ヤングアダルト)コーナー」と呼ばれる棚を設置している図書館も多い。堅い勉強の本や難しい小説だけではない。ファッション誌や男性アイドル誌を毎月揃えてあることだってある。そのため子どもたちにとって非常に敷居の低い場所へと進化しているのだ。

■高校生の私を救ったのは、宮崎駿の物語の世界だった

 私自身、高校3年生のときにいじめに遭い、不登校だった経験がある。「学校に行かないのはおかしいことだ」と言う両親、そして自らが抱いていた偏見と、生き地獄のような学校との間で板挟みになり、自殺を考えたこともあった。特に一番つらかったのは春休み前の卒業式。私は欠席し、郵送で卒業証明書という白黒でA41枚の紙きれを受け取った。その紙きれを見ていると「学校に行けなかった」という惨めさが可視化させられたような気持ちになり、強烈な敗北感を覚えた。

 しかし、そんなとき支えとなったのは一人の友人と読んだ物語の世界だった。私は友人の家で、まるで幼い頃に戻ったかのように絵本を読み聞かせし合ったり、好きな物語について語り合ったりした。そのなかで、今でも友人がくれた本で印象的なのは宮崎駿さんの『シュナの旅』だ。当時の私が置かれた状況にリンクする部分がありながらも、主人公の自ら広い世界へ冒険に出て、決して塞ぎ込まず、愛情に触れて絶望から抜け出す姿を見て勇気をもらった。

■「社会」はしょせん教室という一つの箱の中だけだった

 自分の知らない世界や誰かが思い描いた夢の世界は広く、私のいた「社会」とはなんだったのだろうとすら思えた。宮崎駿さんの描く自然や動物を通して、人間以外の世界に目を向け「世界は広い」と実感できたのだ。高校生の私がこれまで見てきた「社会」はしょせん教室という一つの箱の中だけだった。この世はもっと広く、多様なものである。物語を通じて、ゆっくり時間をかけて自分の不登校経験を肯定することができた。

 その本のカバー裏に「今度は君の声で読んで聞かせておくれ」と友人が書き残していたことに気づいたのは、大学生になってからだった。(その友人とは高校卒業以来一度も連絡を取っていない。連絡先も知らないのだ。)

■学校に行かないという選択が肯定される時代へ

「不登校を助長している」として鎌倉市教育委員会がこのツイートの削除を検討したと明らかになったのは、投稿のわずか1日後だった。しかし市図書館側はこれを拒否。「一人でも多くの子どもの命を守りたいという真意からの投稿だった」と説明したことや、ツイッター上に好意的な反響が多数寄せられたことなどから、平成という時代がもう少しで終焉を迎える平成31年4月26日現在も、この投稿は削除されずにいる。

 学校に行かないという選択は自分の命を守るため、子どもたちが皆持っている究極の生命維持装置だ。それを大人たちが否定し、敷かれたレールの上を強制的に走らせることは間接的な殺人とすら思える。鎌倉市図書館が発したこのツイートは積年の「休まない美学」を一蹴し、平成という時代を苦しむ子どもたちが「学校に行きたくない」と発言できる時代、そしてそれを大人たちが肯定できる時代へと変えるため、一石を投じた名言だと言える。

(柏木 臨)

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