日韓関係に“刺さった棘” 対馬の仏像はいつ戻ってくるのか

日韓関係に“刺さった棘” 対馬の仏像はいつ戻ってくるのか

©共同通信社

 2012年10月に韓国の窃盗団に盗まれた対馬・観音寺の「観世音菩薩坐像」はいまだ幽閉の身を解かれていない。

「この事件の仏像は原告(浮石寺)に奉安されるために制作されたことにより原告の所有である」

 今年1月26日。韓国の大田地方裁判所(大田地裁)は窃盗により韓国に持ち込まれた「観世音菩薩坐像」(仏像)の所有権が韓国の浮石寺に認められるとする判決を出し、すわ浮石寺に奉安されるのではないかと日韓は騒然となった。

 懲役4年の実刑を受けた窃盗犯らはすでに出所したが、仏像はいまだに韓国に留め置かれたまま。しかも、現在は、所有を主張する浮石寺が自国の「韓国」を相手に保管中の仏像の引き渡しを求めて係争中、というなんとも奇妙な状況になっている。

 冒頭の判決はこの裁判の第一審判決で、韓国政府は即日控訴。仏像は引き続き、韓国の国立文化財研究所で保管されることとなり、裁判は第二審が進行中だ。

■韓国国内でも「日本に返すのが筋」の声

 事件をよく知る韓国全国紙の記者が苦笑する。

「韓国政府にとってもこの事件は刺さった棘で、早く手放したがっていて、タイミングを見て仏像を日本に返す方向で動いていました。そこへまさかの裁判が起こされた。それでも大田地裁があんな判決を出すとは夢にも思わず、かなり慌てたようです。メディア関係者の間でも、保守・進歩問わず、あの判決には異議を唱えていて、日本に返すのが筋という声が大勢です」

 そうなのだ。この事件はそもそもが窃盗という刑事事件。本来ならば犯人の刑罰が確定すれば盗まれた物品は元の所有者へ戻されることが原則のはず、である。

 大田地裁の判決については、「政府の顔色を読み間違えた」や「個人的な誤った愛国心」などさまざまに解釈されたが、真の理由は分からない。

 事態がこじれにこじれる中、「この問題は早く解決すべき」としてこれまでも働きかけをしてきた、文化財の返還運動をしている韓国の慧門元僧侶が動き出した。

 日本は2011年、宮内庁にあった「朝鮮王室儀軌」(朝鮮時代の王室の主要行事について絵図を含め詳細に記した記録物)を韓国に引き渡したが、韓国で、これを返還させた立役者として知られるのが慧門元僧侶だ。

■大田地裁への「意見書」を入手

 慧門元僧侶は、今度は、「浮石寺の主張を裏づける証拠は不十分」として、第一審判決を覆す内容をしたためた意見書を6月初めにも大田地裁に提出する予定だという。

 その意見書を入手した。

 大田地裁は第一審判決で、「過去に贈与や売買などの正常な方法ではなく盗難や略奪などの方法で日本の対馬所在の観音寺に運搬され奉安されたと見るのが相当」とし、その有力な根拠として腹蔵物(仏像の中に奉安された記録物など)にあった文書を挙げた。

「観世音菩薩坐像」の腹蔵物には、「高麗国瑞州浮石寺」と「天暦三年」と書かれた文書などが発見されている。これは1951年に観音寺によって発見されたものだ。

 大田地裁は、「韓国で仏像が補修や移安(他の場所に移すこと)が避けられない場合は、新しい記録と遺物を腹蔵する伝統が受け継がれていて、正常な交流で仏像が移転された場合は、腹蔵物を抜いて代わりにどこの寺で造られ他の寺に移安するという内容の記録物を入れるというのが専門家の見解」と専門家の証言を認め、先のような文書が腹蔵されたままであったことは「正常な方法で譲渡されたのではなく盗難や略奪されたため」と結論づけている。

■証人は仏像専門家ではなかった

 慧門元僧侶の意見書ではこの点を突いている。

 まず、浮石寺の証人として証言を行った専門家が仏教、ひいては仏像専門家ではないと指摘した。意見書にはこう書かれている。

「証人尋問に出席した人物は、日本語学、そして韓日関係・韓日文化についての専門家であり仏教美術の専門家ではない。仏様の腹蔵物奉安は仏教の宗教儀式と関連した事項であり、僧侶や仏像専門の美術家でなければ内容と儀式を知り得ない秘密めいた分野である。この問題に対し専門家ではない日本語学教授が、ただ何者かの意見を聞いて話した信頼できない陳述を裁判所が有力な証拠として採択するのは納得し難い」

 次に「浮石寺には証言を裏付ける証拠がない」と一蹴。「浮石寺は『移安』の際は腹蔵物をとり、新たな記録を入れるとしているが、それは一般的ではない。他の寺に移されるという移運記録がなければ盗難されたとするのは飛躍した見解であり、証拠とはなり得ない」として、韓国の複数の寺の事例を挙げた。

 例えば、韓国の宝物1649号に指定されているソウル市内にある開運寺の『阿弥陀如来坐像』の場合。この仏像は2010年4月23日に韓国の宝物に指定されたが、韓国文化財庁の記録によると、この仏像は忠清南道・牙山市にある縮鳳寺で造られ奉安されていたと書かれていて、しかし、開運寺に持ち込まれるまでの移運記録などは発見されていないという。

 さらには、当の浮石寺に奉安されている『木像阿弥陀如来坐像』についても、公開されている記録によると、他の寺に奉安されていたものが、1905年に浮石寺に移されたとし、「これは仏像が仏教の教団内部の事情や僧侶の判断によって移動するもので、盗難や略奪により移動したものではないことを表わしている」と言及している。

■浮石寺は「倭寇に略奪された」と主張

 慧門元僧侶が言う。

「大田地裁が認めた、仏像を浮石寺の所有とする根拠は根拠になり得ない。盗難事件であるこの問題を、国と国との文化財返還問題と錯覚して状況が膠着してしまった。ともかく早くこんな裁判は終わりにすべきで、『観世音菩薩坐像』はすぐに日本に戻すべきです」

 もとよりこの裁判が行われることになったのは、浮石寺が主張する「倭寇に略奪された」という証拠が見つからないためだ。

 仏像の所有を主張する浮石寺は、犯人が逮捕されると仏像を動かせない「有体動産占有移転禁止仮処分」を大田地裁に申請した。仮処分は2013年2月に認められ、効力3年の間に「倭寇に略奪された」ことを立証しなければならなかったが、決定的な証拠はみつからなかったようで、そのまま2016年2月には効力が切れてしまった。

 ところが、その翌月の3月に観音寺の前住職と現住職が韓国文化財庁などに早期の返還を促す手紙を送ったことを知ると、浮石寺側は今度は保管中の仏像を寺に引き渡すよう「有体動産引き渡し」の訴訟を4月20日に起こした。

 浮石寺にも観音寺にも記録がない限り、数百年前の出来事を誰が知り得るというのだろう。

■あくまでも金銭目当ての窃盗事件

 前出の記者が言う。

「問題が山積みの新政権にとってもこの事件は“刺さった棘”であることに変わりない。政府は司法が正しい判断をすることを望んでいるのではないか」

 第二審の次の公判は6月13日に行われる予定だ。大田地裁は慧門元僧侶の意見書をどう読み、どんな判決をだすのか。

 ちなみに、「観世音菩薩坐像」と共に盗まれた海神神社の「銅造如来立像」は、犯人の裁判が終了した後の2015年7月、海神神社に戻された。

 そして、捨てられたといわれる多久頭魂神社の高麗経典については、出所した犯人と今春、接触した人物がこんなことを明らかにしている。

「高値で売れる大事な経典。捨てるわけはないと思って訊くと、やはり、どこかに売り飛ばしたようだよ」

 あくまでもこの事件は金銭目当ての窃盗事件なのである。

(菅野 朋子)

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