人はなぜ集団になると判断を誤るのか ホロコーストの謎に挑んだ心理実験

人はなぜ集団になると判断を誤るのか ホロコーストの謎に挑んだ心理実験

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なぜ人は非合理かつ非倫理的な命令にも従ってしまうのか?
社会心理学が解き明かす支配と服従のメカニズム

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 人は集団のなかでは、一人でいるときとは違う判断、行動に走ってしまう――。これは誰しも日常のなかで経験することでしょう。それがどのような論理、メカニズムによるものなのか、実験によって解明しようとするのが実験社会心理学です。

 この学問が本格的に発展するのは第2次大戦後のアメリカですが、その重大な契機となったのは、ある歴史的事件でした。ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)です。その被害の大きさ、行為の残虐さのみならず、科学、哲学、芸術などあらゆる分野で世界をリードしていたドイツで、なぜあれほど多くの人々が非人間的な行為を粛々(しゅくしゅく)と実行したのか、ナチスの非倫理的な命令に服従してしまったのかが巨大な難問として突きつけられたのです。

 はじめ、人々はいわゆる「ドイツ国民性論」で解釈しようとしました。ドイツ人は上下の秩序が厳しく、規則を杓子定規(しゃくしじょうぎ)に遵守する国民性を持っているから――などの説明がなされました。そうした「ナチス・ドイツが特殊な例外だった」という“人間性にとっては楽観的な解釈”を打ち砕いたのが、実験社会心理学だったのです。

 なかでもスタンレー・ミルグラムによる「服従実験」と、フィリップ・ジンバルドーによる「スタンフォード監獄実験」は衝撃的でした。彼らはごく普通の人間、それどころか知的にも倫理的にも優れていると自負する人間でも、非合理で非倫理的な服従が起こり、他人を害する命令さえ実行してしまうことを検証してしまったのです。

 この2つの実験を見る前に、ソロモン・アッシュが行った「同調実験」(1951年)を紹介しましょう。

 実験は、8人ひと組でおこなわれます(全員大学生)。カードAには1本の線が、Bには長さの違う3本の線が描かれていて、そのうち1本だけがAに描かれた線と同じ長さです。彼らはどの線が同じ長さかを答えます。3本の線の長さの違いは歴然としていて、間違いようがありません。

 最初の数回は全員が正解します。ところが途中から、1番から6番までの回答者が、一致して間違った回答をし始めるのです。実は、この実験の本当の被験者は7番目の回答者ひとりで、あとはみなサクラでした。

 すると、どうなるか? 7番目の回答者はなんと3分の1の割合で、明らかな不正解に同調してしまうのです。アッシュはこの結果に衝撃を受け、実験前の説明の仕方を変えるなど、繰り返し検証実験をしましたが、結果はほぼ変わりませんでした。

 アッシュは1907年ポーランドに生まれ、1920年に米国に亡命したユダヤ系アメリカ人でした。彼の論文にはナチズムやホロコーストへの言及はありませんが、その研究の根幹にあの悲劇の究明があったことは想像に難くありません。

■アイヒマン実験の衝撃

 1961年、イェール大学でミルグラムが行ったのが「服従実験」です。この実験では「学習についての実験」という名目で被験者(20歳から50歳の男性)を集めます。被験者は一人が「先生役」、一人が「生徒役」になり、生徒は学習室で椅子に固定され、間違えると手首につけられた電極から、電気ショックを与えられます。先生は別室にいて(生徒の姿は見えず、声は聞こえる)、生徒が誤答すると、実験者に促されて、電気ショックのスイッチを入れるのです。

 先生役の前には、15ボルトから450ボルトまで、30個のスイッチが並んでおり、315ボルト以上は、「極度のショック」「危険:激烈なショック」と記されていて、最後の2つ(435ボルト以上)には「×××」と書かれていました。

 実は、この実験の生徒役はサクラで、シナリオに沿って叫び声を上げたり、300ボルト以上になると、壁を叩いて抗議するように指示されていました(最後には「生徒」は完全に無反応になる)。

 本当の被験者は先生役でした。実験者から「実験を続けてください」「続ける以外に選択肢はないのです」などの指示を受け、電気ショックを与える「仕事」を拒否するかどうかが実験のポイントだったのです。

 さて、いったいどのくらいの「先生」が最後の450ボルトまで電圧を上げてしまったでしょうか。ミルグラムが事前に調査した心理学者などの予想は、200ボルトに到達する前にほとんどの被験者(先生役)がスイッチを押すのを拒否するだろう、というものがほとんどでした。

 先生役の多くはためらい、発汗や舌のもつれなど心理的葛藤を示しましたが(ひきつけを起こすなど、後に治療を必要とした被験者もいました)、実際にはなんと40人中26人、65%が最後のスイッチを押してしまったのです。

 どうして、これほど人間は命令に弱いのか? ミルグラムはさまざまな条件を変えて、服従が起きる原因を解明しようとしました。最初の実験ではランダムに被験者を選びましたが、知能の高い人などをふるい分けたりしても、服従を弱める条件はあまり見つかりませんでした。たとえば、「『生徒』は心臓が悪い」といった情報を事前に与えた場合でも、服従の度合いは大きく低下しなかったのです。

 この実験で衝撃的だったのは、非人道的というべき命令に、ごく普通のアメリカ人たちの多く(約3分の2)が服従をしてしまったことでした。つまり「ドイツ特殊論」は否定され、服従はもっと普遍的な事態であることが示されたのです。

 この実験は、別名「アイヒマン実験」とも呼ばれました。実験と同じ年、絶滅収容所にユダヤ人を輸送する責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判が始まりますが、世界を震撼(しんかん)させたのは、アイヒマンが異常性格者というよりむしろ凡庸(ぼんよう)な小官吏だったことでした。つまりホロコーストを実行したのはいわば「普通の市民」だったことが、裁判でも明らかになっていったのです。

■中止された“危険な実験”

 そして、もうひとつ大きなショックを与えた実験が、1971年、スタンフォード大学でジンバルドーが行った「監獄実験」でした。

 これは大学の地下実験室を改造して、模擬(もぎ)的な刑務所をつくり、被験者(男子大学生の応募者から、心身ともに安定している、精神的成熟度が高いなどの条件で選抜)をくじで看守役と囚人役に分ける、というものでした。人間は与えられた役割によって、どれだけ行動を支配されてしまうのかを検証しようとしたのです。

 この実験はたいへん大掛かりなもので、囚人役は本物のパトカーで連行され(市警察が協力)、手錠をかけられて、脱衣、取り調べ、指紋採取など、実際の囚人と同じ厳しい処遇を受けます。そして、下着なしでスモック状の囚人服を着せられ、足には鉄の鎖が巻かれました。一方、看守役はいくつかの注意事項(暴力の禁止など)以外は特別な指示を受けていなかったのですが、次第に命令調の言動が増え、口頭による侮辱を多用、やがて自発的に囚人役に罰則を与え、最後には禁止された暴力をも使用するようになったのです。

 もちろん囚人役は単にくじによって決められただけで、何も悪いことはしていません。それは被験者たちも理解していたのですが、実験が進むにつれ、囚人役は無気力、自尊心の低下、無条件の服従が目立ち、看守役の攻撃性は増していきました。そして、囚人役の中で、精神の変調を示す者があらわれ、2週間の予定の実験は、6日目で中止を余儀なくされたのです。

 こんな危険な実験は現在では倫理的にとうてい許されません。しかし、こうした実験が行われたこと自体が、ホロコーストのショックの大きさ、その原因、背景の解明が迫られていたことを示唆しています。

 ちなみにミルグラムは東欧からのユダヤ移民2世で、彼の研究をハーバード大学で指導したのが「同調実験」のアッシュでした。またミルグラムとジンバルドーは、ニューヨーク市ブロンクス区にある、同じ高校の同級生でした。彼らの問題関心、知的風土の共通性がうかがえます。

■生存に必要な能力

 ミルグラム、ジンバルドーらが示した同調、服従は「権威主義的行動」ということができます。「権威」とは特段に優れた能力、技能を持つ人が自然に発する影響力ですが、「権威主義」とはそうした裏付けなしに、権威をいわば偽装して圧迫、支配を及ぼそうとするものです。そして権威主義的支配を支えるのが同調、服従だといえます。

 支配と同調はコインの裏表です。この「権威主義的行動」が暴走すると、いかに悲惨な事態を招くかは、「服従実験」「監獄実験」が明らかにしている通りです。

 しかし、私は服従、同調などの「権威主義的行動」をなくすことは不可能だと考えています。なぜか? それは同調、服従が人間の生存に必要な能力でもあるからです。

 動物としての人間の最大の武器は集団行動です。そのときに最も重要なのはコミュニケーション能力。言語もそのために発達したと言っていいでしょう。

 そして同調、服従など「場の空気を読む」能力もそのひとつです。集団を管理することは、同時に従わないメンバーを排除することでもあります。ことにかつての部族社会や農村、ギルドなどの共同体は、むしろ権威主義的傾向が強い集団の方が生き残りやすかったのでしょう。

 こうした部族的な集団は、数十人、多くて百数十人という小規模なものでした。まさに運命共同体で、リーダーの判断が誤っていれば、集団自体がなくなってしまう。逆に言えば、その集団以外には被害は拡大しなかったと考えられます。

 しかし近代になり、国家や企業など、1万人を超える大集団が形成されると、リーダー(たち)の判断が誤っていたときの被害、リスクが飛躍的に増大します。その極点がホロコーストの悲劇だったのではないでしょうか。

 また近代に入って生まれた、新しい社会集団が「モブ」(群衆)です。社会心理学的に「モブ」と「グループ」は異なる存在です。グループは成員ひとりひとりの名前、属性などを互いに知っている、記名性の集団ですが、「モブ」は、隣にいる人が誰かもわからない匿名の存在にほかなりません。そして「モブ」の方が過度の同調などの暴走を起こしやすいのです。

 したがって、行き過ぎた同調、服従が生じないよう、チェックする必要があるのですが、それはとても難しい。たとえば、「いじめ」問題を考えてみましょう。長年にわたり、様々な対策が講じられてきましたが、なかなか解決できない。それは「いじめ」の根底にあるのが、まさに同調性の問題だからです。

「いじめる側の論理」を分析すると、そこには、集団への同調性が低いとみなした人間の排除、制裁、つまり主観的には「正義感情」に基づいていることが少なくありません。それは「集団の維持」という人間の生存条件と強く結びついているために、「いじめ」の被害を軽減することはできても、「いじめ」をなくすことはおそらく不可能でしょう。

■「反抗者」が「権威主義者」に

 では、どのようなタイプの人間が「権威主義者」となり、行き過ぎた同調や服従を強いるのか? それを研究したのが、ドイツから米国に亡命したテオドール・アドルノたちのグループでした。思想家としても有名なアドルノは、ホロコーストに携わった人々に臨床心理学的な面接を行い、膨大なデータを集めて、「権威主義的パーソナリティ」という人格像を提示しました。この研究を支えたのは、アメリカのユダヤ人協会からの資金援助でした。このアドルノの研究は、後の人格心理学の母胎となります。つまりホロコーストの研究が、実験社会心理学と人格心理学を生み出したといっていいでしょう。

 アドルノは、権威主義的人格の特質として、教条主義(ひとつの信条、主義がすべての善悪の判断基準となる)、ファシスト傾向、因習主義(前例、古い価値基準に固執する)、反ユダヤ主義、自民族中心主義、右翼的傾向、形式主義(手続きへのこだわり)を挙げています。たしかに保守的な傾向と権威主義は結びつきやすい。しかし、権威主義の厄介な点は、これらと一見正反対に思えるリベラルや左翼的な立場の人々が、往々にして「権威主義者」となってしまう点にあると私は考えます。イデオロギーという教条の絶対化、トップダウンの組織作り、異分子の排除など、旧ソ連などの共産主義国家は、まさに典型的な権威主義体制でした。

 これは企業などでもあてはまります。大企業などで「ワンマン」として君臨している経営者をみると、若い頃には、当時の権威者に異議を唱え、前例を排して多くのイノベーションを行った人も少なくありません。しかし、自分がトップに立つと、自らが「権威者」として、下に強い同調を強いていることにはなかなか気が付けないのです。そのうちに、彼のやり方についていけない部下は会社を去り、ワンマン体制の弊害(へいがい)が表面化する時点では、同調性の高い人しか残っていない、というケースもしばしばです。経営者が何代か続いて「不正会計」に関与してきた東芝などは、その一例でしょう。

 こうしたトップの暴走に対して、よく「コーポレート・ガバナンスの強化」が唱えられますが、社会心理学者として言いたいのは、システムへの過信は禁物だということです。どんな優れたシステムを作っても、人間の集団はしばしば過度の同調、服従に走ってしまう。社会心理学の知見は、その「弱さ」を十分に自覚することの重要性を示しています。

(岡本 浩一)

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