冤罪で20年を奪われた女性が、ミニスカートを履く理由――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語

冤罪で20年を奪われた女性が、ミニスカートを履く理由――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語

がらんとした部屋で目を引く仏壇

小学6年生の娘を保険金目当てで焼き殺したとして、実母らが逮捕された東住吉事件。「鬼母」と呼ばれた女性は、20年のときを経て刑務所を出所、無罪が確定した。「まるでタイムスリップしたよう」と言う彼女の人生の今。

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 大阪の青木惠子さん(55)が暮らす部屋はがらんとしている。必要最小限の家具を除き調度品があまりない。特に家電製品が少ない。最新の家電機器は使い方がわからないから苦手だ。青木さんはきれい好きで毎日のように掃除をするから、床にはちり一つなく、余計に生活感が感じられない。

 そんな部屋でひときわ存在感があるのが仏壇だ。毎朝、仏壇に花とお茶を供え、娘のめぐみさんの写真に話しかけるのが青木さんの日課だ。その日1日の予定を語りかける。

 仏壇に飾られた写真は、8歳の時に写真館で勧められて撮影したウェディングドレス姿のめぐみさんだ。

「幼い時に花嫁姿で写真を撮ると、生き急ぐことになるから早死にするという言い伝えを後で聞いたの。この写真を見るたびそのことを思い出して悔やむのよね。でもこれが火事で焼け残った唯一の写真だから、すごく大切なの」

 家族4人で幸せに暮らしていた自宅が火事になり、最愛の娘(当時11歳)を亡くしてしまった。悲しみも癒えぬうちに刑事がやってきて、「お前が家に火を付けて娘を殺したんや」と決めつけられた。「保険金目当てに鬼のような母親や」と言われ、無実を訴えても信じてもらえず、そのまま20年も獄中に囚われることになった──。

 それが青木さんの身に実際に起きたこと。やり直しの裁判で無罪になり、20年ぶりに塀の外に戻ることができたが、失われた時は戻らない。かわいい盛りだった8歳の息子は見知らぬ大人の男に。元気一杯だった両親は80歳を過ぎて介護が必要に。そして自分は、30代から50代になっていた。まるでタイムスリップしたようだ。長年塀の中に閉ざされて、ネットもスマホも、ガラケーだってわからない。世の中になじめず、他人の目が気になり、時々ふっと「刑務所に戻りたい……」とすら思ってしまう。

 私は青木さんの無罪判決の直後から、ある疑問を感じて取材を始めた。それから3年、私が見てきた青木さんの姿をここで描こうと思う。20年という途方もなく長い時間の中で失った自分の人生を取り返そうと歩み続ける、一人の女性の世にも数奇な物語を。

 青木惠子さんはいつも若々しい格好をしている。私が自宅を訪れた3月のある日も、黒タイツの上にミニスカートをはいていた。

「私は若いときからずーっとミニよ。19歳でめぐちゃん(娘のめぐみさん)を産んでもミニ。周りには『何あれ?』って言う人もいたけど、その頃から私は『何よ、負けるもんですか』っていう気持ちだったからね」

 ほかにも黄色い花柄のワンピースなど、華やかな服装をしていることが多い。

「私はもう50歳を回っているけど、30代で時が止まっているから。突然50代の服なんて着られない。自分の年齢をわかっていても、やっぱり31歳(逮捕時)の時に着ていた服っていう感じで、それが私にとっては自然なのよ」

 獄中で20年の時が奪われたことを象徴する話だ。だが実は、この服装にはもう一つの意味合いがある。火事で亡くなった娘、めぐみさんの身代わりなのだ。

「めぐちゃんが生きていたら、今ごろは30代でしょ。でもめぐちゃんがその歳を生きることはないのよね。私もその歳のころは獄中にいたから外の世界で生きていない。だから今、その歳を生きてる。30代のような服装をするのよ。めぐちゃんができなかった服装を。めぐちゃんは黄色い花が好きだった。特にひまわりが。だから花柄の服を着るし、ハンカチだって黄色のひまわり柄よ。私は自分の人生と一緒にめぐちゃんの人生を生きてるの」

■内縁の夫による性的虐待

 無実の人が警察や検察の捜査で濡れ衣を着せられ罪を負わされる「冤罪」。青木惠子さんは逮捕直後から無実を訴え続け、無期懲役を覆し完全無罪を勝ち取った。発生した地名から「東住吉冤罪事件」として名高い。

 発端は24年前の1995年(平成7年)7月22日。大阪市東住吉区にあった青木さんの自宅から火が出て全焼。青木さんと小学生の子ども2人、それに電気工事業をしている内縁の夫の4人が暮らしていたが、入浴中だった娘のめぐみさんが亡くなった。火元は自宅内のガレージ。外部から侵入した形跡はない。警察は、青木さんが内縁の夫と共謀し、娘の保険金目当てにガレージでガソリンに火を付け、めぐみさんを殺害したとして2人を逮捕した。火事から1カ月半後の9月10日のことだ。

 この日、青木さんを東住吉警察署に連行した刑事は、取り調べで衝撃的な事実を口にする。内縁の夫がめぐみさんに、性的虐待を繰り返していたというのだ。遺体にその痕跡があった。警察はすでに内縁の夫に性的虐待を認めさせていた。しかし母親の青木さんはまったく気づいていなかった。めぐみさんはお母さんに何も言えなかったのだろう。

「刑事がいきなりあの男(内縁の夫)とめぐちゃんのことを話してきたの」「お前も知ってたんやろ、女としてめぐを許されへんから殺したんやろ、と言われた」「もう私はショックを受けてパニック状態。頭の中が真っ白になったわ」「お前は鬼のような母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか、素直に認めろ、と大声で怒鳴って机を叩いてくるのよ」

 驚愕の事実を突きつけられて混乱する中、青木さんは刑事に言われるままに自供書を書いた。これが逮捕の決め手になった。刑事は内縁の夫にも、放火殺人を否認すれば「性的虐待をマスコミにばらす」と告げて自白させた。自白以外に直接の物的証拠はなく、青木さんはすぐに再び否認したが、裁判所は2人に無期懲役の判決を下した。

 犯行の動機とされた保険金は、子どもを持つ親の多くが加入する学資保険だった。しかも火事の3年も前に保険外交員の勧めで加入したものだ。

 判決は、この保険を動機に放火殺人をすることに疑問を示しながらも「あながちありえないことではない」と判断した。青木さんは「裁判官にも信じてもらえない」と絶望したという。

 青木さんが刑務所に入った後も、弁護団は粘り強く無罪の証拠を探し求めた。そして5年、再現実験を行った結果、自白通りの方法でガソリンをまいて火を付けると本人が大やけどをしてしまうため、放火は不可能だと突き止めた。さらに、自宅のガレージにあったホンダの軽自動車の給油口からガソリンが漏れる可能性があることを、全国のほぼ同型の車種の調査などから割り出した。

「火事は放火ではなく、車から漏れたガソリンに風呂釜の種火が引火して自然発火した可能性が高い」

 有罪の根拠は崩れ、裁判所は裁判のやり直し(再審)を認めた。同時に刑の執行停止も認められ、青木さんは刑務所を出て20年ぶりに自由の身になった。そして翌2016年(平成28年)8月10日、青木さんはやり直しの裁判で晴れて無罪判決を勝ち取った。

 同時に、内縁の夫だった男性も無罪になった。放火殺人はもちろん無罪だし、娘への性犯罪は時効で、もはや立件できない。

 私は当時、NHK大阪報道部の記者で、裁判の取材を担当するようになったばかりだった。判決文を見て性的虐待の事実を知り、心を揺さぶられた。大手マスコミはどこもそのことを報じていなかった。めぐみさんは最大の被害者なのに、受けた被害を「なかったこと」にされているようなものだ。この家族にいったい何があったのか? きちんと経緯を取材して放送できないか? これが取材の動機になった。

 それから1年4カ月。取材の成果はNHKスペシャル「時間が止まった私」という番組になった。大人になった息子。高齢になった両親。20年の空白で失われた家族との絆を取り戻していく姿がメインテーマだ。同時に、めぐみさんが受けた被害と、青木さんのめぐみさんへの思いも描いた。それからさらに1年3カ月がたった今年3月、NHKを辞めた私は再び青木さんの部屋を訪ねた。

■私には大きな幸せはもうない

 この部屋で一人で暮らしていて、寂しくはないのだろうか?

「私はずっと一人で暮らしたことがなかった。高校を卒業して親元を出たけど、すぐに男と一緒に暮らしたし(後に夫になる男性)、夫と別れた後はめぐちゃんやSちゃん(下の男の子)と一緒だったし、逮捕されたら獄中だし。今初めて一人でいるけど、ちっとも寂しくない。いつもめぐちゃんと話してるから。朝だけじゃなくて、いつも何かあるとめぐちゃんに話しかけてるのよ。『ねえ、めぐちゃん、あのねえ』って。だからちっとも寂しいと思わない」

「(冤罪関係の)講演なんかで遠出して自宅を空けるじゃない。そんな時、小さい子どもを置いて出かけている感じがするのよ。まだ子どものめぐちゃんを残したまま、という感じがね」

 毎月22日の月命日には墓参りを欠かさず、火災現場にも花を手向けに通う。火事から救い出せなかった。性的虐待に気づかず、助けてあげられなかった。めぐみさんにただただ「申し訳ない」という思い。

「私は死ぬまで申し訳ないという気持ちを抱きつつ生きていくし、それは一生忘れないという思いでいるの」

「刑務所を出てきた時、『苦労したんだから幸せになってね』とみんな言ってくれた。でも現実に待っていたのは親の介護だった。私には日々の小さな幸せはあっても、大きな幸せはもうない。求めてもいない。自分だけ幸せになるのは罪悪感があるわ。だからもう結婚もしない……」

 青木惠子さんが最も熱心に取り組んでいるのは、冤罪の恐ろしさ、残酷さを訴える活動だ。

 同時に、同じように冤罪を訴える人たちの支援にも力を入れている。

 3月2日には仲間たちと「冤罪犠牲者の会」を立ち上げた。青木さんは共同代表のひとりだ。他にも各地の刑務所で冤罪を訴えている受刑者の面会に訪れたり、支援団体から講演の依頼を受けたり、全国を飛び回っている。

「自分がこんな目に遭ったから。同じ思いをする人をなくしたい」

 もちろん、それが大きい。だが、それだけではない。

「私、生きてることが苦しいのよ。めぐちゃんのこと、責任を感じているから。ずっと消えることがないから。そこから目をそらすために忙しくしてるのかも……。ひまになったら危ないよ」

 忙しさが、青木さんの心の支えになっている。

■「誰かに見られているのでは」

 青木惠子さんと一緒に外出すると、不思議な光景を目にすることになる。除菌ペーパーである。食事の席で、講演会場で、裁判所で、青木さんは行く先々で、自分が座る椅子や机を丁寧に拭く。一種異様な光景だ。

「(警察に)捕まってから、人を信用できなくなった精神状態っていうか、怖いのよ。誰が座ったかわからないから、拭かないとそこに座るのは無理。神経質が一段とすごくなっちゃった」

 逮捕から20年間という長い年月、青木さんは自由を奪われていた。誰も信じられないという思い。それが極度の人間不信と潔癖症を招いたのだという。

「娘殺しの母親」の汚名をそそいだ青木さん。だが「無罪」になっても世間の人がみな「無実」を信じてくれるわけではない。インターネット上には無実を疑う誹謗中傷がいまだにある。だから青木さんはネットを見ない。そして見知らぬ人の目が怖い。電車に乗っていても「誰かに見られているんじゃ?」と視線を感じるという。

 最近、知り合いとともに近所の居酒屋に入った。何度か利用したことのあるお店だ。これまでは何もなかった。ところがこの日は、店にほかのお客がいなくなったあと、店の人が話しかけてきた。

「あの〜、青木惠子さんですよね。これまで遠慮していたんですけど、初めてお店に来られた時から気づいていました」

 それは好意的な意味で話しかけてきたようだった。だけど自分のことを知っている人がいろんなところにいると思うと、落ち着かない気分になる。もう一軒、繁華街にある焼き肉店でも同じように店の人に声をかけられた。

「どこで誰に見られているかわからないから、ものすごく緊張する。車を運転していても、交通違反は決してできないわ。事故なんてもってのほか。『あの青木惠子が』って言われるんだから」

 青木さんが逮捕された当初、週刊誌には連日センセーショナルな記事が躍った。「実の娘を焼き殺した“鬼母”」「強欲主婦の“鬼畜”」「家事もせず、食事はほとんど外食ばかり」「カード生活で家計破綻」……こうした記事が青木さんについての世間の印象を大きく左右したことは間違いない。しかし、こうした記事から透けて見えるのは24年前の時代背景だ。「母親は手料理を子どもに食べさせて当然」という考えがあるから、「そうしない母親は子どもを大切にしていない」、そこから「子どもを殺すかもしれない」という思い込みにつながったのだろう。家事が苦手な女性に対する偏見と言ってもよい。記事は「家事をしない母親」→「外食などで浪費」→「カードローンがかさむ」→「娘の保険金を狙った殺人」という構図が共通している。

 やり直しの裁判で、青木さんの無実は完全に証明された。放火は不可能、自白はすべて無理矢理、火事は自然発火とみられる。灰色ではなく真っ白な無罪と言ってよい。それでもなお疑いの目で見る人はいる。一度染みついた印象は、なかなか覆らない。

 では、青木さんと娘のめぐみさんとの関係は、実際はどうだったのだろうか? 以下は青木さんの話だ。

 高校生のころまではそんなに子ども好きという訳でもなかったの。でも卒業して就職して、子供服売り場で働くようになったら、子どもが大勢来るじゃない。それを見ているうちに「子どもってかわいいなあ」と思うようになって、どうしても子どもが欲しくなったの。欲しくて欲しくてできた子だから、大切に決まってるでしょ。勤め先は日曜も仕事があったから、めぐちゃんと遊びに行きたくて辞めたわ。

 私は料理が苦手。実家にいたときに習うこともなかったし。夫は料理が上手で「いいよ、いいよ」って全部してくれたから、私は甘やかされて料理ができないまま。だから料理を作ることが少なかったのはそうだけど、それでも遠足なんかでは必ずお弁当を作って持たせていたのよ。

 でも夫が働かなくなって生活が苦しくなった。小銭を集めてやっと「かっぱえびせん」を一袋買ってめぐちゃんに食べさせたこともある。めぐちゃんが「ママは食べないの?」と言ってくれて、私は「ママはいいから」と言って全部食べさせたっけ。

 そのうち夫が蒸発して、私は家計のため、夜、スナックで働くようになった。めぐちゃんの小学校の先生から「スナックは辞めて下さい」って言われたけど、辞めてどうやって稼げって言うのよ。結局、店に来ていた男と一緒に暮らすようになって店は辞めたけどね。それが「内縁の夫」。私の感覚では同居人だけど。彼と一緒に暮らすようになったのは、生活が助かるから。子どもたちを育てるのに不安がないと思ったから。子どもたちのためだったの。それがこんなことになるなんて……。

■一人で全国を飛び回る日々

 青木さんと話していると、亡くなっためぐみさんへの愛情と後悔の念がひしひしと伝わってくる。それに私から見ると、青木さんは魅力的な「大阪のおばちゃん」だ。おしゃべりでおもろい大阪のおばちゃん。こういう人が娘を殺すだなんて、よく思ったものだ。

 もっともご本人にこう伝えたら「おばちゃんって言われたの、相澤さんが初めてよ!」という反応が返ってきた。やはり女性に「おばちゃん」は失礼だった。まして青木さんは「心は31歳」だから……。

 ただ、いつも思ったことをズバズバ言うから、場の空気が凍ることもある。空気を読まずに切り裂く、という感じだ。そのあたりが一部で周囲の反発を招くことになったのかもしれない。

 24年前、青木さんが取り調べを受け、逮捕された大阪の東住吉警察署。青木さんは長年、その建物を見るだけで気分が悪くなっていた。ところが最近、東住吉警察署の建て替え工事が始まった。今は解体されて署の建物はない。青木さんが無理矢理自白させられた取調室も、もうない。

「えっ警察署がなくなっているって、びっくりしたわ。あそこには嫌な思い出ばっかりだけど、時代は変わるのよね」

 今、青木さんは近所のパソコン教室に通っている。出所当時は浦島太郎状態でパソコンのことなどまったくわからなかったが、それではメールのやりとりもできないし、現代社会で生活するのに不便極まりないからだ。今ではタブレット端末を持ち歩き、毎日の日記を出先で入力しては自宅のパソコンに移している。スマホまで使いこなすようになったのは、2年前を知る私には驚きだった。

 以前は飛行機も新幹線も自分だけでは乗れなかったが、今では一人で全国各地を飛び回っている。3月には飛行機で熊本まで行き、「松橋事件」という冤罪事件の再審無罪の判決を傍聴。支援者たちと喜びを分かち合った。しかし世の中にはまだまだ冤罪を訴えて苦しんでいる人たちがいる。この人たちのため、青木さんはこれからも支援活動に取り組んでいくつもりだ。

「私は一生懸命生きてきた。子どもたちを精一杯守ろうとしてきた。これからも真剣に生きていくわ。失った20年はもう何とも思わない。私は忙しいのよ」

 青木惠子さん。55歳。彼女の人生はこれからだ。

(相澤 冬樹/週刊文春WOMAN vol.2)

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