78歳で死去 “政策職人”与謝野馨が若手記者にすすめた本

78歳で死去 “政策職人”与謝野馨が若手記者にすすめた本

財政再建を訴え続けた ©共同通信社

「政策の職人」「国対族」を自称した与謝野馨元財務相が78歳で死去した。中曽根康弘元首相の秘書として仕え、政界入りした与謝野氏がこの2つの評価を確立したのは、梶山静六元官房長官に師事してからだった。

 中曽根派にいた与謝野氏が、竹下派の梶山氏の知遇を得たのは国対だ。梶山委員長時代に国対副委員長を務め、目から鼻に抜けるようなカンの良さが目にとまった。梶山氏は橋本内閣で官房長官になり、自民党から副長官を選ぶ段になって、派閥が異なる与謝野氏を起用する。橋本政権の「財政構造改革」は、中曽根氏の提案を梶山氏が受け、与謝野氏に「好きなようにやってみろ。いざというときは俺が出ていく」と指示し、実現したものだった。これを契機に、与謝野氏の政策通ぶりが永田町と霞が関に知れ渡った。

 1998年、自民党総裁選に敗れた梶山陣営にいた与謝野氏を、小渕恵三首相は通産相に指名する。与謝野氏が相談すると、梶山氏は「仕事ができるのならば、どんどんやれ。断ることはない」と就任を後押しした。梶山氏のような理解者、後ろ盾がいるときに、与謝野氏の能力は最大限に発揮された。

 法律、政策的頭脳にすぐれていた与謝野氏には、それが故に反感を持つ政治家も少なくなかった。その意味では官僚の方が、与謝野氏とウマがあったのかもしれない。

 2005年。小泉内閣での郵政民営化が佳境に入ると、自民党政調会長だった与謝野氏は園田博之氏に助っ人を頼んだ。「おれは人望がないのはわかっている。最後のとりまとめは理ではなく情だ。それはおれにはできない」と言われた園田氏は、心情的には郵政民営化に反対ながら、とりまとめに尽力した。

 この後、安倍内閣での官房長官、総裁選出馬、麻生内閣での経済財政担当相、財務相から自民党離党、新党結成までは、園田氏という盟友が、与謝野氏を支え続けた。

 屈指の政策マンでありながら、同じようなタイプの宮沢喜一、橋本龍太郎元首相とは違って宰相の座には届かなかったが、どこか恬淡としていた。趣味はカメラ、パソコンの自作、囲碁と玄人はだし。カラオケではプレスリーを英語で何曲も歌ってみせた。

 読書家でも知られた与謝野氏に、若手の記者がお勧めの本を聞くと、書棚から『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を手渡した。最期まで謙虚に学び続けた生涯だった。

(「週刊文春」編集部)

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