マニアもよろこぶ東京都内の“古き良き”駅舎5選

マニアもよろこぶ東京都内の“古き良き”駅舎5選

(c)鼠入昌史

 たまに田舎を旅すると、“いかにも”な感じの小さくて古い駅舎を見つけて、「田舎はこういう駅が残っていていいよね」なんて言ってみたりする。戦前に駅が開業した頃の面影を今に留める木造駅舎。建設当時はモダンだったんだろうなと思わせる、絶妙な和洋折衷駅舎。ホームに残る木のベンチ。そんなひとつひとつを、なぜか懐かしく感じてしまったりするのだ。

 が、別に田舎に行かなくても、大ターミナルが数多ある大東京にだって、そんな古ぼけた小さな駅はある。普段、気にもとめずに通り過ぎているだけの駅だって、実は古き良き駅舎かもしれないのだ。というわけで、東京都内の“古き良き”駅舎5選を紹介しよう。

■池上駅(東急池上線)――ザ・昭和遺産

「池上線が走る町に、あなたは二度と来ないのね」

 駅前には小さなバスターミナル、商店街と足早に行き交う老若男女。いかにも昭和らしい東京の小さな私鉄の駅、池上駅はかつて西島三重子が歌った名曲『池上線』の世界観そのものだ。シンプルな駅舎に白塗りのコンクリートの屋根が載り、ホームの壁や上屋はもちろん木造。これまた白塗りのホームの壁に取り付けられた長いベンチは、もはや東京では池上線の駅くらいでしか見かけない昭和遺産のひとつだ。蒲田方面ホームと五反田方面ホームを結ぶ構内踏切も、都内にはほとんど残っていない。

 開業は1922年、池上本門寺参詣客を当て込んで作られた池上駅。駅舎の築年数はわからないが、白壁の駅舎という門前駅らしい和洋折衷のモダンづくりは、きっと開業当時のままだろう。

 が、そんな池上駅も今年6月から改良工事がスタート。2020年には5階建ての現代的な駅に生まれ変わるとか。白塗りの壁から飛び出た木造長ベンチに腰掛けられるのも、あとわずかだ。

■原宿駅(JR山手線)――レトロモダンと「宮廷ホーム」

 日本の流行を創り出す町の玄関口は、東京都内では最古と言われる木造駅舎。1924年、関東大震災の翌年に建造された駅舎で、三角形の屋根の上に小さな塔をしつらえたイギリス風だ。

 さらに原宿駅には明治神宮直結の臨時ホームがあったり、駅の北側少し離れたところに皇室専用の通称“宮廷ホーム”があったりと、山手線の他の駅とは少々異なる趣を持っている。臨時ホームは今でも正月の初詣シーズンにはフル稼働しているが、宮廷ホームは2001年以来不使用。白塗りの木造でシンプルかつ気品のある佇まいは、まさに皇室専用感バリバリなのだが、今はそのホームの前を湘南新宿ラインの列車が駆け抜ける。

 そんな原宿駅だが、こちらも池上駅同様2020年に向けて建替え予定。駅舎は新しい2階建ての建物に生まれ変わり、臨時ホームは外回り専用として常設化されるという。さらにコンコースや階段も拡張されて、今の原宿駅の絶望的なゴミゴミ具合は解消される。

 とは言え、古き木造駅舎を残してほしいという声も少なくないとか。混雑解消を取るか、古き日本の文化遺産を取るか、実に悩ましい問題だ。そしてその時、宮廷ホームは残るのか。流行の最先端と大正日本のレトロモダン、そして皇室。“日本らしさ”がないまぜとなった現在の原宿駅は、まもなく姿を変える。

■両国駅(JR総武線)――大正モダン建築と国技館と

 取材目的で改めて両国駅を訪れたのは大相撲五月場所の真っ最中。国技館の最寄り駅(というかお隣)の両国駅は、スー女(相撲女子)で大混雑していた。そして改札口を出て駅前広場を左に進むと、中にはホンモノ(と同サイズ・同素材)の土俵もあるという商業施設「-両国-江戸NOREN」。実はこの施設こそ、かつてのターミナル・両国の在りし日を偲ばせる旧駅舎なのだ。

 両国駅、その名の由来は駅の横を流れる隅田川の両国橋。江戸初期までは武蔵国と下総国の境が隅田川だったため、この名が付いたという。開業したのは1904年で、関東大震災で焼け落ちた駅を再建して1929年に供用を開始したのが鉄筋コンクリート2階建て、上野駅を彷彿とさせる大正モダンな今の駅舎だ。

 当時の両国駅は、東京から千葉方面に続く一大ターミナル。戦後も房総半島向けの特急始発駅だった。だが、1972年に総武線が東京駅まで延伸(総武快速線が開通)すると、ターミナルとしての役割を終える。そして役割といえば国技館の玄関口程度という普通の総武線の駅のひとつになった。そんな中で、往年のターミナルとしての輝きを教えてくれるのが90年近く使われている駅舎、というわけだ。

 両国駅で普段使われているのは総武線が発着する高架上のホームだけ。だが、実は地上にもうひとつホームがあり、時折臨時列車の発着に使われている。これもまた、駅舎同様ターミナル時代の名残のひとつ。相撲観戦のついでに、ターミナル・両国を偲ぶべし。

■御茶ノ水駅(JR中央線・総武線)――コルビュジエの弟子が手掛けた

 同じホームで中央線から総武線に乗り換えられる御茶ノ水。便利な駅なのだが、どうにもホームが狭くて危なっかしい。神田川の渓谷ギリギリにつくられた駅だから、開業から100年以上経った今も“これが限界”なのだという。

 で、そんな御茶ノ水駅、実は駅舎の歴史を変えた駅でもある。

 1932年に建てられたお茶の水橋側の駅舎。設計したのは鉄道省所属の建築家で、“近代建築の巨匠”ル・コルビュジエの指導も受けていたという伊藤滋という人物だ。そのため、御茶ノ水駅舎はわかりやすいくらいのモダニズム建築。ただ、ポイントはそこではない。

 それまでの駅は、列車が来る度に乗客をホームに入れる“列車毎改札”だった。そのため、どの駅にも大きな待合室があったのだ。ところが、御茶ノ水駅では待合室を廃止し、やってきた乗客をどんどんホームに流し入れ、到着する列車に次々乗せるという今と同じスタイルに改めたのだ。 

 今でも列車本数の少ない地方の駅では列車毎改札をしているケースも多いが、いわばこれは“前御茶ノ水スタイル”。そしていつでもホームに入れる多くの駅のスタイルを、“御茶ノ水スタイル”と名付けてみたいがいかがだろうか。

■堀切駅(東武スカイツリーライン)――金八と小津と木造駅舎

 この駅に降り立った人は、誰しも「さんねぇん! びぃぐみぃ! きんぱちせんせぇぇぇ!」と叫びたくなる――そんな荒川沿いに佇む堀切駅。あの学園ドラマの最高傑作『3年B組金八先生』ではほぼ毎回登場し、高校受験を終えた生徒たちが堀切駅へ降り立つシーンはもはやテッパンだった。

 実は金八先生だけでなく小津安二郎監督の映画『東京物語』にも登場したこともあるなど、古くから“ロケの聖地”の堀切駅だが、その歴史は意外と悲哀に満ちている。

 堀切駅そのものが開業したのは1902年で、その後一時期廃止され、1924年に荒川放水路建設に伴って現在地に移転開業。その結果、悲しいかな「堀切」という地名は荒川の対岸に移ってしまい、堀切駅だけが取り残されてしまったのだ。まるで天の川を隔てて引き離された織姫と彦星のごとく。ただ、織姫と彦星は年に一度、七夕の夜に会えるけれど、駅と地名ではそうもいかず、1世紀近く経った今もまだ会えていない。近くを走って荒川を渡る京成本線に互いの思いを託すだけ、とでも言おうか。ちなみに、金八先生に登場する桜中学は足立区立。地名の「堀切」は葛飾区だからもちろん学区が違う。3Bの生徒たちでも橋渡し役にはなれないのだ。

 かくも悲しき堀切駅の物語。開業以来、駅周辺の風景は大きく様変わりした。目の前には首都高の堀切ジャンクションが現れて、桜中学の撮影に登場した足立区立第二中学校も廃校になって東京未来大学に。ホームから南を見れば、東京スカイツリーもそびえている。変わらないのは、小さな木造駅舎の堀切駅と、駅前のラーメン屋「みゆき」くらいだ。本来の地名と引き裂かれた悲運の堀切駅、変わりゆく東京をどう見つめてきたのだろうか。

 古き駅にはドラマがある。何しろ、変わっていくのは町の景色ばかりで自らは変わらずにその場所にあり続けているのだ。だから、現代的な町と古びた駅舎の組み合わせは、本当ならば違和感があるはず。それを感じさせないのは、変化を見つめ続けてきた駅の意地なのか。ただ、そんな古き駅も、耐震対策や利用者の増加で少しずつ姿を消している。今の池上駅、原宿駅ももう風前の灯。急ぎ足で改札を通り過ぎるのもいいけれど、ちょっとだけ消え行く古き駅を仰ぎ見て、その姿を目に焼き付けておくのもいいかもしれない。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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