雅子さまのあり方は、「今日の悩める女性たちの象徴」だ

雅子さまのあり方は、「今日の悩める女性たちの象徴」だ

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 美智子さまと同じでなくていい。自然体で振る舞ってほしい――。

 新皇后の雅子さまについてこう述べるのは、国際政治学者の三浦瑠麗氏(38)。

「今回の代替わりにあたっても、『新天皇・新皇后に期待することは?』という話にすぐなりがちです。しかし、天皇も皇后も生身の人間。国民の側が、人間の実像をはるかに超えた理想を一方的に押し付けるのは、どこか間違ってはいないでしょうか。皇族の方々にも『人権』があるはずです。そこを無視するのは、一種の暴力だと思うのです。

 しかも平成を通じてカリスマ性を発揮されてきた平成の両陛下を引き継ぐだけで、今上両陛下は十分重い務めを背負われている。すでにそれだけの重荷を生身の個人に背負わせているという自覚を、私たち国民の側も持つべきではないでしょうか」

■批判の対象になりやすいのは天皇より皇后

 三浦氏は、新皇后の雅子さまが置かれた厳しい環境を次のように指摘する。

「そのあり方がメディアで注目され、時に批判の対象にもなりやすいのは、天皇よりも皇后の方です。『皇后への国民の期待』という口実の下に、常に厳しい視線に晒されています。

 雅子さまは、米ハーバード大学で学び、外務省で働くという、同世代の女性の中でもとりわけ進んだキャリアをお持ちでした。ところが皇太子妃になられてからは、『お世継ぎ』を産むことを最大の使命として期待され、個性を生かした公務を果たす機会に十分恵まれなかったように見えます。そして『妻』、『母』としてあまりに完璧だった美智子さまと何かと比較されてしまう。

 美智子さまの佇まいや言動は、あたかも完成された『芸術作品』のようです。しかし、だからこそ、美智子さまのあり方を『皇后の見本』のように考えてはいけないと思うのです。美智子さまの型を雅子さまに押し付けてはいけない。それは美智子さまが最も望んでいないことでもあります」

■雅子さまのあり方は、「今日の悩める女性たちの象徴」

 こうした雅子さまのあり方は、「今日の悩める女性たちの象徴」でもあるという。

「雅子さまに限らず皇族の女性が受けているプレッシャーは、現代の日本女性が日々受けているプレッシャーに通じるものがあります。日本社会では、女性は、男性以上に、あるパターンやイメージを押し付けられる存在です。『女性はこうあるべきだ』と。

 女性の社会進出が進みつつあることが望ましいのは、言うまでもありません。しかし、出産・育児の負担の大部分は、相変わらず、女性が担っている。だから、しっかり者の女性ほど、『妻』そして『母』としての役割を完璧にこなそうとします。

 同時に、そんな女性は、職場でも男性と同じように“戦力”と見なされ、仕事も完璧にこなそうとします。しかし、そんな超人的なことなど誰にできるのか。しっかりした女性ほど、自分で自分の首を絞めるにいたっています」

■母の曾祖母が明治天皇の乳母だった

 そう述べる三浦氏は、次のように自身の来歴を振り返る。

「私は、自分を『リベラル』と位置付けていますが、今から振り返ると、私が受けた教育が大きく影響しているように思います。ある種の“抑圧”を経験したからこそ、個人を尊重する『リベラル』の大切さを身をもって学んだ気がするのです。

 私は、しつけの厳しい家庭で育ちました。母が私たち子どもに教え込んだのは、品位と禁欲でした。母は、高校までカソリックの学校に通っていました。そして皇室に対する思いが人一倍強かったように思います。母の曾祖母が明治天皇の乳母の一人だったこともあり、天皇や皇室に親近感を持っていたということでしょう。とりわけ美智子さまは、母にとって善き存在でした。そんな母は、私にカソリック的な禁欲教育と皇室的な品の良さを叩き込もうとしました。私は長じてのちそれに反発し、むしろ母を反面教師にして自我を形成しました。だからこそ品が悪くなってしまったのですが(笑)」

 雅子さまと今後の皇室のあり方に一石を投じる三浦瑠麗氏の論考「雅子さまは悩める女性たちの象徴です」の全文は、 「文藝春秋」6月号 に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年6月号)

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