東大に女子が入らない理由 #3

東大に女子が入らない理由 #3

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地方出身の女子学生比率の低さを是正するため、様々な取り組みを行っている東京大学だが(#1参照)、東大女子は「結婚できない」という偏見や、「容姿が話題にされる」など、置かれている環境は居心地のよいものとは言い難い(#2参照)。さらに卒業後も、仕事と育児の両立が期待され、“現代女子の生きづらさの象徴”になっているという指摘もなされている。(出典:文藝春秋2017年6月号「50年後のずばり東京」・全3回)

■学内で一番女子が多い講義

 4月5日、まだ入学式もおこなわれていない東大駒場キャンパスで、教養学部の大人気講義である「ジェンダー論」が開講した。広い階段教室には新入生や2年生が押し寄せ、早々に席が埋まり、立ち見だけでなく、通路に座ってもまだ足りず、文字通り外にまであふれている。担当する瀬地山教授がなかなか教壇にまでたどりつけない、という盛況ぶりである。この講義が特徴的なのは、東大にあって、女子学生の姿が目立つことで、学内の全講義の中で、もっとも女子の履習者が多い講義ではないかとも言われる。もちろん、そうは言っても、目に入る学生の大半は男子である。

 その日、講義の中で1955年の、ある女子大の調査が紹介された。ボーイフレンド(当時は文字通り、男性の友達という意味)がいない、という学生が21%いたという。

「開成から理Iに入ってしもた男子と同じようなもんや」

 瀬地山教授の言葉に、教室内は爆笑に包まれた。中高一貫の男子校から、「東京男子短期大学」の別名もある、主に理学・工学系の理科I類へ進学すれば、異性に触れる機会が少ない。

「必修に女子がほとんどいない。ジェンダー論の教室はいい匂いがする」

 という理I生の声もあるという。

 瀬地山教授が冗談交じりに紹介したのは、理Iの男子が実際に提案したナンパ方法で、正門の前で「僕、家事やります」というプラカードを持って立つというものだ。

「男の4人に1人が結婚できない時代です。まあ、東大の男子はもう少し婚姻率は高いでしょうが。それでも、平均して生涯賃金が3億円にものぼる東大女子は貴重です(笑)。東大生の出身家庭は、アッパーミドルで専業主婦世帯も多く、これが性役割分担意識や、性行動に反映されてしまう。『ジェンダー論』では、学生たちが18歳になるまでにすり込まれた価値観を、改めて問い直すところから始めています」

 今回、出会った学生たちは、驚くほどまじめでしっかりした女子ばかりだった。東大独自の制度に、進学振り分け(3年生以降の進学希望先の学部・学科を1、2年生の前期教養学部時の平均成績によって決める)があるが、彼女たちはおおむね、80点以上(これは高得点)を取って、後期教養学部の国際関係論専攻など難関で知られる学科に進学している。なかには、主に経済学部に進学する文IIから、工学部の人気学科である建築学科へと「理転」した学生もいた。

 優秀な成績をとって希望する学科に進み、多くの尊敬する人に出会い、やりがいのある仕事先に就職する。「意識高い系」という言葉は最近、プラス、マイナス、いずれの意味でも使われるようになったが、自己を高めるために日頃からよく考え、よく行動すること、とプラスの意味で定義すれば、東大女子は意識高めの人が多いようだ。

■東大に高い満足度を示す女子も

 東大の志望理由を「日本一だから」とはっきり言ったのは、有名女子校出身で経済学部4年のMさん。在学中は、東京近郊から新幹線に乗ってキャンパスに通った。卒業後は、新興IT企業に初の東大女子として就職することが決まっている。

「東大は周りがとにかく優秀で、“地頭”がいい人が多かった。こんな人がいるんだとびっくりしたし、自分もやる気にさせてもらいました。今は経営者を目指しています」

 愛知県出身のNさん(工4年)は、高校1年生のときに東大に通う先輩に憧れ、東大を目指すようになった。数学を生かして社会をよりよくしたいと考え、工学部に進学。いまでも赤門が目に入ると、目指してきた場所にいることを実感し、嬉しくなるという。将来は民間企業に就職し、研究で学んだことを実践したいと考えている。

「東大に入ったおかげで、さまざまな価値観に触れ、いろんな経験ができました。すごくまじめな人もいれば、とことん遊んでいる人もいる。地元の大学に進んでいたら、こんな経験はできなかったと思います」

 東大卒業者は東大に育ててもらったという意識が希薄である、という元総長の言葉もあるが、現代の東大女子に限ってみれば、大学に対する満足度はきわめて高い。

■「人生を前倒ししたい」

 しかし、それでもなお、すべてを手にしたということにはならないのが、現在の東大女子が置かれた状況だ。結婚や出産という、一般的な女子の幸福もまた、彼女たちにとっては通過すべき目標だからだ。

「同級生とも、よく結婚や子どもについて話します。自分たちに実現できるのかなって。みんな、ちょっと不安に感じています。私は大学院に進学しようとは思っていますが、その先は、比較的女性にとって働きやすい職場といわれている、化粧品メーカーなどに就職できたらいいな、となんとなく思うようになりました。ばりばり働くより、働きながら結婚も出産もちゃんとしたい。仕事と育児を両立している先輩のフェイスブックを見ると、憧れますね」(理II・2年)

 Kさん(経済4年)が小さな頃から尊敬してきたのは、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さん。長年の夢がかなって、ある国際機関に就職が決まっている。5年後には海外に転勤することがほぼ既定路線である。学部時代にできた彼氏はすでに就職をしている。その彼氏と結婚をし、できれば子どもが2、3歳ぐらいになった段階で、海外に行けば、ベビーシッターを雇って子育てができそうだと想像しているものの、実現できるのかはわからないと話す。

「人生をできるだけ前倒ししたいと思っています」

 まだ22歳で、この覚悟をしなければならない。

「東大女子は必修科目が多くなりました。キャリアだけでは尊敬されず、結婚など、別の科目も優秀な成績を求められる。『タラレバ女子』とか『負け犬』とか、日本全体があおりすぎ、仕事と育児を両立するスーパーウーマンが持ち上げられすぎなのではないでしょうか。東大女子が、現代女子の生きづらさの象徴にもなっているような気がします」(五百田さん)

■「男女雇用機会均等法」制定に尽力した東大OG

 最後に、東大卒の元祖スーパーウーマンである赤松良子さん(53年法卒、元労働省婦人局長、文部大臣)に登場していただこう。赤松さんは87歳になった現在も矍鑠として、日本ユニセフ協会の代表理事会長を務めている。

 幼い頃から一生働きたいと志していた赤松さんは、大阪から上京して旧制津田塾専門学校(現・津田塾大学)に進学。新制になった東京大学の門戸が女子にも開放されたと知り、「人生が有利になるんじゃないかと思って」受験を決意し、1950年に法学部に合格した。東大女子としては5期生になる。同級生に高知県立女子専門学校(現・高知県立大学)から来た学生がおり、「高知女専から東大に行くなんて、地元は大騒ぎだったそうですよ」と笑う。

 その後、公務員の上級試験を受けて労働省に就職。その頃は、公務員であっても明確な女性差別が存在した。そもそも、女性を受け入れている省庁は労働省しかなかった。赤松さんは、明治以来の権利拡大を目指す戦後の女性として、自身の立場をはっきりと意識した。

「いい仕事は男性にばかり回って、女性の私はお茶くみをさせられる。それでも東大を出て公務員試験を通ったのだから、簡単なことでへこたれるわけにはいかない、そう自分に言い聞かせて働きました。男がしている仕事を、私にもさせてほしいと上司に直談判したこともあります」

 赤松さんたち女性官僚が悪戦苦闘した末に、85年に制定された「男女雇用機会均等法」は、日本の女性の労働環境を、大きく改善させた。アメリカやウルグアイで駐在生活を送ったこともある赤松さんは、自らを戦後女性のパイオニアだと自任している。

 現代の東大女子たちについてどう思うかと問いかけると、そんなに若い世代と交流することは殆どないからと前置きをしてこう続けた。

「私の前には森山真弓さん(50年法卒・文部大臣などを歴任)など素晴らしい先輩がいらっしゃって、私もその長い列を後輩たちにつなげていきたいと思ってやってきた。

 私達の時代に比べたら、よっぽど環境は良くなっているはずなのに、女子があまり増えていないとは情けない。でも、今は東大に入るためには、有名な学校で特別な勉強をしないといけないんでしょう? 私じゃ入れないね(笑)」

 赤松さんが入学した当時の法学部は、一学年800人のうち女子は4人。率にして0.5%だ。

「学生時代、とてもモテたそうですね」

 自伝を読んだと告げてそう尋ねると、赤松さんは肩をすくめて、当たり前よ、という顔をした。

「いまの時代になっても、『女子は東大に行くと結婚できない』なんて、まだ言われてるのですが」

 赤松さんは、やっぱり笑わないで、こう言った。

「そんな親には、東大に行けばいい男がめっかるって、言ってやんなさいよ」

(学年・肩書きは取材時のものです)

(松本 博文)

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