現地で見た6.16香港「史上最大200万人デモ」 市民はいかに戦ったか<写真レポート>

現地で見た6.16香港「史上最大200万人デモ」 市民はいかに戦ったか<写真レポート>

6月12日、香港島中心部の様子。数万人規模の学生や労働者が立法会へ抗議に向かう。顔を隠している人が多い。現地著者友人提供

 天安門事件から30年目の初夏、香港がデモで揺れている。中国本土への犯罪容疑者の引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案が浮上したことに市民が反発。条例が拡大解釈された場合に、信頼性や公平性が低い中国の司法による判断のもとで、香港の住民が中国大陸に引き渡されかねないという不安が広がった。

 結果、9日に103万人規模(主催者発表、以下同じ)の反対デモが発生し、12日には香港島の市街地で警官隊と抗議者のグループが衝突。この際の警官側による暴力的な鎮圧行動が、いっそう市民の怒りを買うこととなった。

 反発の大きさから、香港政府は15日に審議の棚上げを発表して幕引きを図ったが、民衆は翌日、さらに条例改正の撤回や逮捕者の釈放を求めて、参加者数が200万人に迫るという香港史上最大規模のデモを実施した。このデモは参加者が黒シャツをユニホームにしたことから「黒シャツデモ」、もしくは前日夜に逃亡犯条例改正に反対する男性が抗議の自殺を遂げたことから「200万と1人デモ」といった名称で呼ばれている。

 今回の騒動の背景は多くのメディアで解説されるはずであり、ここでは多くを述べない。私(15日に現地入り)の立場としては、まずは速報として16日のデモのリアルな姿をそのままお伝えすることにしたい(なお、キャプション等に誤りがあった場合は随時修正するのでご容赦いただきたい)。

■【前段階@ 2019年6月12日】

 現地時間6月12日17時前後、香港島中心部の金鐘(アドミラルティ)付近の様子。この日は条例改正案の審議が予定されていたが、数万人規模の学生や労働者が立法会(日本の国会議事堂に相当)へ抗議に向かって路上を封鎖、審議開始を強制的に延期させた。後日の摘発の可能性があったことや、催涙ガスや胡椒スプレーを用いた鎮圧が予測されていたことから、顔を隠している人が多い。

 12日17時前後。帽子・マスク・ゴーグルのほか、手をサランラップで覆うなどして催涙ガスへの防御を固める抗議者たち。5年前(2014年)の雨傘運動の際は、文字通り雨傘で催涙ガス攻撃を防いでいたのだが、鎮圧慣れしたことで抗議者側の装備の質も上がっている。

 12日18時前後の金鐘(アドミラルティ)、立法会付近の様子。香港警察が暴徒鎮圧用の催涙ガスや胡椒スプレー、ビーンバッグ弾(殺傷能力を落とした銃弾)で抗議者たちをジリジリと排除。だが、暴力的な鎮圧が逆に香港市民の怒りに油を注ぐことになってしまう。

■【前段階A 6月15日】

 6月15日13時ごろ。私が香港国際空港に到着してイミグレーションを出ると、さっそく出会った一団。繁体字と(中国大陸からの渡航者に向けた)簡体字で、16日のデモと17日に予定されている再度のストライキの告知をおこなっている。

 15日15時過ぎ。行政長官(大統領に相当)の林鄭月娥が逃亡犯条例改正案審議の事実上の先送りを発表。本件に怒っていた市民たちのガス抜きを図ることで、16日に予定されていたデモも低調に終わるかとも見られていたのだが……。

 15日の香港島、湾仔付近を歩く親子。抗議活動は香港全体の一部の場所、時間におこなわれているにすぎず、他の場所では普段どおりの市民の日常が営まれている。観光旅行もごく当たり前に可能だ。

■【デモ開始 6月16日@】

 6月16日14時30分ごろ。デモ隊の通過が予定されている湾仔の軒尼詩道(ヘネシー・ロード)でプラカードを掲げる人たち。

 16日14時30分ごろ。この日のデモは香港の民主派系の民間団体や政治団体の連合組織・民間人権陣線(民陣、Civil Human Rights Front)が事前申請をおこない実施したもので、まったくの合法。香港では天安門事件追悼デモや、香港返還記念日に民主派がおこなう七一デモをはじめデモ活動が非常に活発で、主催側や支援者らにもノウハウが蓄積されている。この軒尼詩道は、大規模なデモルートとして選ばれることが多い道だ。

 16日14時30分ごろ。前日、逃亡犯条例改正審議に抗議する男性が自殺したことで、追悼の動きも盛んだった。ここだけではなく各所で追悼がおこなわれ、ボランティアが配った白い花を手に歩くデモ参加者も少なくなかった。すでに政府側が審議の先送りを発表していたにもかかわらず、デモの参加人数が前代未聞の200万人規模まで膨れ上がったのは、抗議自殺者が出たことも大きかったとみられる。

 16日14時30分ごろ。デモ隊の先頭。MTR天后駅付近にあるヴィクトリア公園(さまざまなデモのスタート地点になることが多い)が人で埋まり、予定時間よりも20分繰り上げて出発した。やがて付近の路地まで人であふれてしまい、デモ隊のスタート地点の方向へは進めなくなる。

 デモは平和的で、老若男女が参加。老人も家族連れもいる。9日のデモは、条例審議の延期が決まる前だったため悲壮感が漂っていたというが、この日はすでに政府側が最低限の譲歩はおこなった後だったため、少なくとも日中は全体的に和やかな雰囲気だった。

■【デモ 6月16日A】

 6月16日16時30分ごろの湾仔駅付近。軒尼詩道は完全に人波に埋め尽くされてしまった。九龍半島側からどんどん人がやってくるため、島へ渡る地下鉄やスターフェリーは乗るまで40分以上も待たされる状態だったという。

 16日16時45分ごろ。参加人数が多すぎて本来のルートである軒尼詩道だけではなく、東西に並走する道路3〜4本もデモ隊が埋め尽くす。写真は駱克道(ロックハート・ロード)を封鎖していた警官のところへデモ隊が殺到する様子。数分後、通行規制が取り払われた。

 16日17時15分ごろ。いったん宿泊先のホテルの部屋に戻り、階下の駱克道を見下ろす。「香港加油(香港がんばれ)」「林鄭下台(林鄭月娥は辞任せよ)」のシュプレヒコールが8階の部屋までガンガン聞こえてきた。人数が多すぎて隊列がほとんど前に進まないため、通り沿いの食堂やコンビニは、腹ごしらえするデモ隊が大量に入店して大混雑。いっぽう、ホテルは複数の従業員が入り口を封鎖し、宿泊者以外は入れないようにしていた。

■【デモ 6月16日B】

 6月16日18時、デモの終点地点に近い金鐘の路上。オフィス街を黒シャツ姿のデモ隊が埋め尽くしてしまっている。通行する自動車のなかにはクラクションを鳴らして応援する車があるいっぽうで、交通の寸断に文句を言うタクシー運転手もいた。

 16日18時。一部のデモ隊は金鐘の立法会と人民解放軍駐香港部隊ビルの間にある、タマール公園に集まっていった。ヴィクトリア・ハーバーを挟んだ先に見えるのは、九龍半島の尖沙咀のビル群。香港のデモの終点にふさわしい光景だ。

 16日18時。高層ビルと中国国旗・香港旗を背景にプラカードを出すデモ参加者。天候が非常に良かったことも、人数の増加の要因になったのかもしれない。

 16日18時。金鐘の立法会付近をスマホのパノラマ機能で撮影したもの。4日前に催涙弾やビーンバッグ弾が飛び交った場所だとは思えない。

 16日19時15分ごろ。すこし前まで利用者が多すぎることで香港島の複数のMTR(地下鉄)駅が封鎖されていたが、それが解けたため湾仔へ戻る。だが、MTR駅から外へ出たとたん、デモ隊の人混みで進めなくなる。本来のデモ開始時刻から4時間半近く経ったが、この時点でもまだ出発できていないデモ参加者がいたという。

■【デモ 6月16日C】

 6月16日21時30分ごろの金鐘。100万ドルの夜景を背景に、デモ隊がそのまま解散せずに座り込んでいく。日中は子どもや老人の姿も多かったが、5年前の雨傘運動を思わせる金鐘座り込みは、10代後半とおもわれる青少年が圧倒的に多い。ただ、デモ隊が疲弊して失敗した雨傘運動の教訓があるため、占拠は長期化しないとみられる(12日の立法会前の抗議運動も、抗議者たちは深夜に帰宅を選択している)。

 同じく金鐘。抗議自殺者が亡くなったビルの付近でハンドマイクを握る学生。付近には香港の各大学ののぼり旗が多数立っていたほか、弔慰を示すために大量の白いリボンが路傍の柵に結びつけられていた。

 6月16日22時ごろの、湾仔と金鐘の中間地点。デモ開始時刻から7時間以上が経ってもまったく列が途切れない。他の路地で街を行き交う人も黒シャツだらけである。

■天安門30周年――「終わりの始まり」になるはずだった

 中国は2010年前後から香港への支配をより強めるようになった。いまや、香港は経済面ですっかり中国に従属しているうえ、中国大陸からは香港の人口比率を変えるレベルで移民(新移民)や渡航者が殺到。対して2014年の雨傘運動以降は、反中國・反香港政府の志向が強い活動家の逮捕や拘束もしばしば見られるようになり、学生運動も低調になっていた。

 もはや、返還後50年間は体制を変えないことを定めた香港基本法の体制変更期限が前倒しされることすら、徐々に現実味を帯びてきていた。今回の逃亡犯条例の改正は、仮に成立していれば、政治・経済のみならず香港の司法すらも中国に従属することになる。決定的な「終わりの始まり」になるはずだった。

 正直なところ、私は今回の香港側の抵抗は「大坂夏の陣」に近いと考えていた。外堀を完全に埋められ、外部からの援軍も十分に得られず、圧倒的な戦力差のもとですでに勝てないことは自明の状態。その上で「最期にどう散るか」が問われる、悲壮感あふれる戦いになると思っていたのである。香港市民の抗議運動の規模がこれほど大きくなり、強烈な形で民意が示されることで、運動が一定の結果を出してしまうのはまったくの予想外だった。

 逃亡犯条例の改正が、ノンポリや親中派の人間ですら生命・身体の安全を危うくしかねない(=香港市民が中国大陸並みの人権状況に置かれる)という認識を持たれたうえ、12日におこなわれた抗議行動に対して、今後の香港の人権状況を想像させるに足る「中国的」な荒っぽい弾圧がなされたことで、未曾有の数の市民が反対に立ち上がったのだろう。詳しい考察は後に譲るとしても、香港史上で最大規模(中国全土で見ても天安門事件前のデモに次ぐ規模)のデモが、天安門30周年の年に発生したことは、実に興味深い現象と言うしかない。

 香港政府はまだ条例改正審議の完全撤回を認めておらず、これまでの衝突で出た逮捕者の処遇も不透明だ。香港での抗議運動は継続される模様である。今後の展開にも目が離せない。

(安田 峰俊)

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