犯罪被害者遺族の女性が「死にたいなら一人で死ね」に反対する理由・入江杏さんインタビュー

犯罪被害者遺族の女性が「死にたいなら一人で死ね」に反対する理由・入江杏さんインタビュー

©釜谷洋史/文藝春秋

 5月28日に川崎市多摩区登戸で起きた川崎殺傷事件で、被害者のうち2人が死亡し、18人が負傷。スクールバスを待っていた子どもたちや保護者の命が理不尽に奪われ、怒りの声が広がった。

 テレビなどのマスメディアで芸能人らもコメント。落語家の立川志らくは、加害者に自殺願望があったという報道から、「一人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら一人で死んでくれよ」と発言。お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志は「僕は、人間が生まれてくる中でどうしても不良品って何万個に1個、絶対これはしょうがないと思うんですよね」とコメントし、物議を醸した。

 そんな中、自らも犯罪被害者遺族である入江杏さんがツイッターに以下のように投稿。

犯罪により家族を喪った私、犯罪を憎む気持ちは人一倍だからこそ、怒りに任せて「死にたいなら一人で死ね!」という言葉は「いかなる理由があろうとも暴力も殺人も許されない」という理念を裏切ってしまう、と感じます。暴力や憎悪を助長させることなく、子供たちを守っていく責任を自覚したいです。

? 入江 杏 (@ann_irie) 2019年5月28日

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 入江杏さんは、2000年に東京都世田谷区で起きた世田谷一家殺人事件で亡くなった宮澤泰子さん(41)の姉だ。入江さんは、事件で妹の他に、義弟のみきおさん(44)、姪のにいなちゃん(8)、甥の礼くん(6)を亡くしている。投稿の真意を聞いた。

◆◆◆

――川崎殺傷事件の後にツイッター上に投稿なさいましたが、その意図を教えてください。

入江 事件について、生活困窮者支援を行っている藤田孝典さんとおっしゃる方が「『死にたいなら一人で死ね』という非難は控えてほしい」とツイッターで発言したところ、「なにを偉そうなことを言っているんだ」「被害者の家族の前でも言えるのか」と、ネット上でネガティブなレスポンスが飛び交いました。

 弱い立場の人に寄り添う現場にいらっしゃる方だからこそ、ギリギリの状態で生きることがどれほど大変かを、普段から目の当たりにしていらっしゃると思うんです。そういう方に対して、苛烈な言葉が投げつけられたことは本当に辛かったです。犯罪被害者遺族の一人として、人一倍犯罪を憎む気持ちは強いし、加害者を擁護するつもりもありません。ただ、孤立感を抱えて生きている人に厳しい言葉をぶつけるのは、加害者擁護とは別のことだと思うよ、ということを、言葉を選んで慎重に、投げかけてみました。ただ傍観していることは到底できないと感じたからです。

 真意が汲み取られずに「なんだ、加害者の味方をするのか」というバッシングがくるんじゃないかとドキドキしましたが、炎上はしませんでした。たくさんのリツイートや応援メッセージを頂き、きちんと真意が伝わったと感じました。「一人で死ね」という言葉は、必ずしも犯罪被害者遺族の気持ちを代弁するものではないことを伝えることができた……嬉しかったです。

怒りは速く、強く広がるけれども

――入江さんは世田谷一家殺人事件で妹さん一家をなくされた被害者遺族の立場であり、また、グリーフケアに関する活動もされています。どんな活動なのですか。

入江 「ミシュカの森」という集いを続けることで、「グリーフケア」のネットワークづくりをしています。「グリーフケア」は、家族や友人といった親しい人との死別などをはじめ、喪失に伴う悲しみをケアする営みです。それにはまず何より、悲しんだり、困りごとを抱えている人が「助けて」を言いやすい社会を作ろうよ、と呼びかけることが大切だと感じています。

――今回の事件が起きた後、悲しみよりも、強い怒りを感じるメッセージをSNS上で多く目にしました。

入江  怒りというのは強いメッセージ性があって、速く広がり、一体感が生まれやすいかもしれません。悲しみも同じように人の心をつなぐけれども、怒りほどは早く、強く伝わらない。

 でも、必ずしも、怒りと悲しみは別だとは思いません。根底に深い悲しみがあって、「どうにかしたい」「状況を変えたい」という強い思いから、怒りや憎しみになっていくのかもしれない。「その怒りや憎しみの根底には、悲しみがあるのでは?」と問いかけることで、排除や破壊に向かう一体感ではなく、共感的理解により、「悲しみ」に静かに寄り添うということができるのではないでしょうか。悲しみからの再生はそうした土壌から生まれるものだと思います。

■犯罪被害者遺族が経験する、「自責の念」

――入江さんご自身も、妹さん一家を亡くした直後は、大きな怒りを感じたと伺いました。

入江 はい。なぜ、妹たちがこんな理不尽な目に、許せない、という気持ちがありました。

 それから、意外に思われるかもしれませんが、自責の念が湧きあがり、自分を責め続けました。わたしの家族と妹の家族は、別棟ながら2世帯が1つの家族のように暮らしていたので、すぐ隣で起こった事件に、なぜ気づいてあげられなかったのか、と。なぜ、妹ではなく、わたしが生き残ってしまったのか、と。

――客観的に見ると、入江さんが自分を責める理由はないにもかかわらず……。

入江 この自責の念は、専門用語でサバイバーズ・ギルト(生存者の罪責感)とされるのですが、 災害や事故、事件に遭って生き残った人がしばしば感じるものです。

 あとは、「恥」の意識。当時同居していた母から、事件との関わりを世間に知られたら、息子が学校でいじめられるかもしれない、夫は仕事を続けられなくなるかもしれないと強く心配され、母の気持ちを思い、被害者遺族であることは公表できずに、沈黙を守りました。

 世間体を心配する母の言葉はその通りだと思いながら、同時に、「妹たちは何一つ悪いことをしていないのに」とモヤモヤする気持ちがあって。板挟みでした。

――これも、客観的には、入江さん一家が何かを恥じる理由はないように思われます。

入江 感じ方には世代間からくる差もあるかもしれませんね。昭和ひと桁生まれの母からすると、犯罪に巻き込まれてしまったこと自体が「穢れ」であり、「恥の意識」の源でした。それまで積み重ねてきたことが、すべてダメになってしまうくらいの感覚だったんだと思います。

 母も母で、とても苦しんだと思います。晩年、母は目が見えなくなってしまったんですが、それからは「弱いことは恥だ」という感覚の矛先を、自分自身に向けるようになったんですね。そうすると、これも川崎や練馬の事件に関連して著名人の口から発せられた言葉を借りると、「自分は“不良品”なんじゃないか」という気持ちになってしまうわけで。

 誰かを“不良品”と切り捨てる排除の意識は、自分に向けて返ってくることもあり、結果、生き辛い社会をつくってしまうのではないでしょうか。

 こうした経験を人前で話したり、本に書いたりすると、「うちにも母子問題があります」というお手紙をもらうこともあります。世代間の「人権意識」のギャップの表われかもしれません。

■当事者がメディアや社会から「大きな物語」を与えられてしまう

――入江さんは、お母様が亡くなった後に自身の経験を公の場でお話しするようになりました。なぜでしょう。

入江 属性によって差別や偏見を持たれることを「スティグマ」と言いますが、スティグマ解消には、当事者が自身の言葉で伝えることが大事だと言われています。

 当事者がマスメディアや社会から「大きな物語」を与えられ、自分の物語を見失ってしまうことがあります。未解決事件の遺族であることは、常に憎しみの虜になっているように報道されがちです。そうした「物語」は第三者にはわかりやすいでしょうけれども、自分独自の物語を見つめて行く必要があると感じます。

――実態と違うイメージが広まってしまいますね。

入江 ステレオタイプの「物語」に対して違和感を持ち、個々の「物語」に寄り添ってほしい、と感じるご遺族も多いのではないでしょうか。ケアとは個々の「物語」に耳を傾けることから始まります。

 わたしたちは、とても長い間、警察とともに「悪意を探る作業」を行いました。事件を思い出し、誰かを疑う犯人探しです。とても辛い作業でした。もちろん事件解決のためにしなければならないことだとわかっていますが、もし、その作業をずっと続けていたら、社会への信頼は歪み、揺らいだままになり、回復できなかった。わたしたちに必要だったのは社会や人との結びつきを取り戻すことでした。

それでもマスコミ取材に答える理由

――今回の事件では、マスコミの報道被害についても議論がありました。ツイッターで入江さんは、「事件遺族となってカメラの放列に怯えた。亡姪の同級生がメディアに『にいなちゃんのこと教えて』と言われ泣いたことも」と投稿しています。それでも、メディアの取材に応える理由はなんでしょうか。

入江 メディアの「遅効性」という側面に助けられていると思うからです。「遅効性」という言葉は耳慣れないかもしれませんが、「速報性」に対して使われ、文字通り「遅く効く」ことを表します。事件発生直後ならば、報道に一定の速報性が求められるかもしれません。ただ、悲しみというのは一過性のものではない、そして、悲しみとともに生きていかなければならない被害者遺族としては、遅く効く報道に助けられているという感覚があります。

 さきほどお話しした個々の「物語」を発信する際にもメディアの力を借りています。わたしが取材を受けることで、声を挙げることができないと感じていらっしゃるご遺族、当事者の声に補助線を引き、そうした声が少しでも社会に届くようになればとも思っています。外の世界ともう一度つながることで回復できた面は、決して小さいものではなく、外とつながる回路の一つにメディアがありました。

■辛い時間や悲しい時間は、決して無駄なものではない

――被害者遺族として、社会がこう変わっていくといいな、と思うことはありますか。

入江 間違ってもいいから、困っている人には手を差し伸べてほしい。失敗してはいけないとか、間違ったら責められるかもしれない、と委縮してしまう空気が日本の社会には見受けられます。動きたいけれど動けない人が多いんじゃないかなと懸念しています。

 そして、辛い、悲しいという気持ちを出していいんだよ、という空気を醸成していくこと。東日本大震災に関する報道には、「復興に向けてがんばっています」という記事は多く見かけますが、「今も悲しい気持ちに変わりはありません」「今も亡くなった人を悼んでいます」という記事はあまり見かけません。「いつまでも悲しんでいることが、何の役に立つのか」という考え方があるのかもしれませんが、悲しむこと自体は悪いことではない、という気づきは「グリーフケア」からの大きな学びです。

 わたしは事件の被害者遺族になってたくさん悲しみましたが、悲しんでいる時ほど、亡くなった人たちと深くつながっている時間はありませんでした。亡くなった人への愛情が深いからこそ、悲しみも深い。「悲(かな)しみ」とは「愛(かな)しみ」と伝えることも「グリーフケア」の大切なメッセージです。

 亡き人との出逢い直しの時間としての「グリーフケア」では悲しみを大切にしています。辛い時間や悲しい時間は、決して無駄なものではない、そういうことを、もっといろいろな人に知って頂けたら、と思います。

写真=釜谷洋史/文藝春秋

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入江杏(いりえ・あん)

「ミシュカの森」主宰。上智大学グリーフケア研究所非常勤講師、世田谷区グリーフサポート検討委員。2000年末、世田谷一家殺人事件により、隣地に住む妹一家4人を失う。犯罪被害の悲しみ・苦しみと向き合い、葛藤の中で「生き直し」をした体験から、「悲しみを生きる力に」をテーマとして、行政・学校・企業などで講演・勉強会を開催。「ミシュカの森」の活動を核に、悲しみからの再生を模索する人たちのネットワークづくりと発信に努める。

(「文春オンライン」編集部)

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