「ファーストネームでお呼びしていいですか?」仏大統領夫妻と天皇皇后の「距離」が語る日仏関係

「ファーストネームでお呼びしていいですか?」仏大統領夫妻と天皇皇后の「距離」が語る日仏関係

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 フランスのマクロン大統領がブリジット夫人と26、27の両日公式実務訪問賓客として来日する。同大統領の訪日は初めてで、天皇が会見し、昼食会を催される。皇后も体調に支障がなければ出席し、両陛下でのもてなしとなる。

■64歳でファーストレディーになったブリジット夫人

 フランスの大統領はここ3代、さまざまな夫婦の形で話題を集めてきた。現在、マクロン大統領(2017年〜)は41歳。高校生の時に25歳年上の既婚者だった教師のブリジットさん(現在66歳)に恋をし、それを貫いた。2007年に結婚し、ブリジットさんは2017年、64歳でファーストレディーとなった。

 その前のオランド大統領(2012年〜2017年)は政治家の時から、写真週刊誌パリマッチの政治記者だったヴァレリー・トリルベレールさんと事実婚関係にあり、事実婚カップルがエリゼ宮(大統領官邸)に入ったのは初めてだった。しかし2014年、オランド氏が女優と不倫関係にあることが暴露され、2人は関係を解消した。

 その前のサルコジ大統領(2007年〜2012年)は当選間もなくセシリア夫人が愛人の元に走り、本人は友人の紹介で知り合ったイタリア出身のスーパーモデル、カーラ・ブルーニさんと再婚した。サルコジ氏はカーラさんの音楽活動を黙認し、カーラさんもファーストレディーの活動に魅力を感じず、大統領は任期中ほとんど単身で外遊した。

 この3人の大統領のうち、国賓で日本に招かれたのは2013年、オランド大統領のカップルだが、これには理由がある。

■サルコジ大統領が日本側を激怒させた理由

 前任のサルコジ氏は中国との関係を重視し、日本にまったく関心がなかった。北海道洞爺湖サミット(2008年)の時、まだサミットが終わらない内に帰国の途に就き、日仏二国間会談を予定していた日本側を激怒させた。

 国際会議以外は日本に来ようともしなかったサルコジ氏が、2011年3月の東日本大震災の直後、訪問した中国の後に日本に立ち寄りたいと伝えてきた。民主党政権の菅直人首相(当時)は「震災対応で難しい」と断った。「短時間でも」とフランスは執着した。「対応できない」と日本側は押し返した。こんなやり取りが3度続き、4度目に仕方なく「ごく短時間なら」と受け入れた。

 サルコジ氏は3時間、東京に滞在し、菅首相と短時間の会談をしてトンボ返りした。「困難な状況にある日本にいの一番に駆けつけ、支援を申し出た」とのパフォーマンス受けを狙ったのは間違いないだろうが、「大統領には日本と和解したい思いがあった」(仏紙)という。

 次のオランド氏は社会党から大統領に当選したが、同党は選挙前にまとめた外交政策で「サルコジ氏は中国を重視する余り、価値を同じくする日本を軽視しすぎた」と批判。実際、同氏は対日重視へと外交を転換する。これを歓迎した日本は2013年6月、同氏を国賓で招いたのだ。フランス大統領が国賓で招かれたのは1996年のシラク大統領以来17年ぶりだった。

 日本に着いた翌日、皇居・宮殿前の東庭で歓迎式典がもたれ、この後、天皇、皇后(現在の上皇、上皇后)は宮殿内でオランド大統領、ヴァレリーさんと会見した。この時、美智子皇后とヴァレリーさんの間で余り知られてないやり取りがあった。

■「ファーストネームでお呼びしてもいいですか」

 天皇と大統領が話している横で、美智子妃はヴァレリーさんにこう語りかけた。「ファーストネームでヴァレリーとお呼びしてもいいですか。私のこともミチコと呼んでください」。ヴァレリーさんは「とんでもありません。とても失礼で、私は『皇后さま』としかお呼びできません」と答えた。皇后はヴァレリーさんの気持ちを察すると、それ以上は求めなかった。

 私はこのことをヴァレリーさんがオランド大統領と事実婚関係を解消した後の2014年9月に出版した本で知った。『今この時に有り難う』というタイトルで、私はさっそく取り寄せた。政治記者として社会党幹部だった政治家のオランド氏との出会い、3人の子供を連れて夫と離婚し、同氏と事実婚関係を結んだこと、エリゼ宮での生活、そして破局と、赤裸々に綴っている。

■「天皇、皇后両陛下のおもてなしは魂を奪われるような思い出」

 本を読み進め、残り10ページほどになった最後の結びのところにきて手が止まった。

「国賓訪問にはいつも現実離れした側面というものがあります。消耗する役割のなかにも夢のようなひとときがあります。最も素晴らしいものは日本への国賓訪問で、天皇、皇后両陛下のおもてなしは魂を奪われるような思い出としていまも残っています」

「低所得者の地域で育った一少女が、日本の皇后から『ファーストネームでお呼びしてもいいですか。私のこともファーストネームで呼んでください』と言われようとは。私はとても失礼に思い『皇后さまとしかお呼びできません』と言いました。皇后は私がやっていることもいろいろ知っておられ、皇居を辞去するときカメラの放列の前で抱擁してくださいました」

■低所得者の地域で育った少女

 彼女はフランス中西部ロワール地方の貧しい家の生まれだ。父は子供時代の大戦末期、近くで炸裂した爆弾で片足を失った。そんな父と母、6人の姉妹弟に加えて祖母の9人の大家族で、父の障害者年金と、母がアイススケート場のチケットもぎりで稼ぐわずかなお金が暮らしを支えていた。

 ヴァレリーさんも中学生時代から、花屋で働く母を夜遅くまで手伝い、高校生になってからは、日曜日にアルバイトをした。成績はクラスで1番だったが、あるとき親しい友人に「母からあなたと付き合ってはダメだと言われた」と告げられた。ヴァレリーさんは低所得者用の低家賃集合住宅が固まる地域で暮らしていて、友人が住む一戸建ての集まる豊かな場所とは大通りを挟んで反対側にあった。「この言葉はいまなお私の心に傷となっている」と語っている。「低所得者の地域で育った少女」というのはこのことを指している。

 本を読んでから10カ月後の2015年7月、私はヴァレリーさんにインタビューする機会を得た。フランスの人道支援団体「人間の絆(SPF)」は日本財団と東日本大震災の被災地支援を行っていて、SPFに同行してヴァレリーさんが来日すると聞いたからだ。インタビューを申し込むと、ヴァレリーさんは快く受けてくれた。

■「私のこともミチコと呼んでください」

――ご著書の中で宮中晩餐会を「いまでも魂を奪われるような最高の記憶として残っている」と書かれています。説明していただけますか。

「皇居は実に印象深い場所です。雰囲気、伝統、引き継がれてきた外交儀礼の重みと、歴史のなかにいるような思いでした。禅にも通じる精神性が満ちています。美智子皇后とは2回、通訳を入れて話しましたが、私が恵まれない子供たちの人道支援団体の代表をしていることや、アフリカに関心をもっていることなど、実に詳しく私がやっていることをご存知で、よく準備していただいていると感じました。

 皇后は本当にお優しく、私にとっては夢のような時間でした。確かに『ヴァレリーとファーストネームでお呼びしていいですか。私のこともミチコと呼んでください』と言われました。しかしとても失礼でできませんで、私は皇后とお呼びしてお話ししました。相手に対する思いやりと、温かみ、深い配慮をお持ちの方だと感じます」

■「贅沢をしている」と非難され

――ファーストレディーのとき、メディアの激しいバッシングに晒されたことをご著書で明かしています。

「最初のころ、私は手持ちの服を着ていたのですが『シックでない』と批判されました。それを聞いたディオールなど高級ブランドのメゾンが服を融通してくれるようになりました。すると今度は『贅沢をしている』と非難されました。いま着ている服はそのときのものです(笑)。あるメディアからは『ソファーのクッションを買った』と批判されました。私はクッションを買ってはいません。たとえ買っていたとしても大した値段ではなかったでしょう。そんな些細なことさえ批判されるのです」

 以上のインタビューは拙著 『知られざる皇室外交』 (角川新書)から一部引用したが、ヴァレリーさんは「私が事実婚でなく、正式の大統領の妻だったらこんなにメディアのバッシングは受けなかったはず」「周りは私のことを日陰者と見ていた」とも語っている。

 実は晩餐会が終わって皇居を辞すとき、皇后は優しくヴァレリーさんを抱擁し、頬ずりをしたが、彼女はフランスのメディアから「(両陛下の体に触れてはならないという)儀礼を破った大統領のパートナー」との批判を浴びるのを覚悟したという。批判は起きなかったが、それほど鵜の目鷹の目で見つめているフランスのジャーナリストを気にしていたのだ。

 皇后との会話や、皇后から優しくかけられた言葉、またエリゼ宮にはない静かなたたずまいの中での接遇は、バッシングを受けてきたヴァレリーさんには心に染みるものではなかっただろうか。自著の締めくくりのところで日本訪問を最も素晴らしいものだったとし、「天皇、皇后両陛下のおもてなしは魂を奪われるような思い出としていまも残っています」との表現に、溢れ出るものを感じるのだ。

■天皇になる前、最後の訪問先にフランスを選んだ

 オランド大統領の対日政策の転換を引き継ぐマクロン大統領は、さらに踏み込んで日仏両国の政治、経済、安全保障面での協力強化へ動いている。特に安全保障面では、威圧的な海洋進出を続ける中国を念頭に仏艦船と海上自衛隊、仏空軍と航空自衛隊の共同訓練が行われている。「日仏がこれほど良好な関係にあるのはかつてない」と言われる。

 しかしそれとは別に、天皇とマクロン大統領の出会いも興味深い。天皇は皇太子として昨年9月、8日間にわたりフランスを訪問し、最後はヴェルサイユ宮殿でマクロン大統領夫妻が晩餐会でもてなした。天皇になる前、最後の訪問先にフランスを選んだことに、フランス側も感謝をもって応えたのだ。そういう意味では、天皇とマクロン大統領夫妻は初対面の挨拶は抜きにして、深い話を交わされるだろう。また文学や演劇に通じたブリジット夫人が皇居の雰囲気から何を感得するか興味深い。

(西川 恵)

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