「病から15回生還した男」“名物検察記者”村串栄一さんが逝く

「病から15回生還した男」“名物検察記者”村串栄一さんが逝く

葬儀は家族葬で、後日「お別れの会」が開かれる予定 ©文藝春秋

 霞が関の司法記者クラブの共用ソファで、毎朝のように大の字になっている赤ら顔の記者がいた。取材先と飲み明かし、そのままクラブに直行したのがありありだった。

 6月26日に亡くなった元東京新聞編集委員の村串栄一さん(享年70)と初めて会ったのは、1985年4月、東京の検察を担当したときだ。当時の検察は、田中角栄元首相に対する東京地裁の実刑判決でロッキード裁判にめどが立ち、政官業の不正摘発に本腰を入れ始めていた。撚糸工連事件(86年)や平和相互銀行事件(同)など奥の深い事件の摘発が続き、クラブには緊張感が漂っていた。

 その中で村串さんは一風変わっていた。「捜査する側、される側双方に食い込んでいた」(NHKの検察担当記者だった小俣一平さん)が、「村串君の記事で捜査に支障をきたしたことは一度もない」と当時の特捜部副部長で弁護士の石川達紘さんはいう。会社の看板を背負って前打ち競争に血道をあげる、単なる「特ダネ記者」ではなかった。

 人情家だった。金丸信元自民党副総裁の5億円ヤミ献金事件の処理を巡って世論の批判を浴びた五十嵐紀男特捜部長が、93年3月、脱税容疑で金丸さんを逮捕して面目をほどこした夜、五十嵐夫人に「おとうちゃん、やったよー」と連絡を入れた。

■脳梗塞、がん、心臓病から15回生還した男

 事件情報の交差点となった兜町の情報筋を通じ、雑誌の記者や編集者にネットワークを広げ、検察に対する世間の関心を高めるのに一役買った。それは、村串さんの人柄とバランス感覚によるところが大きい。物書きとしては細部にこだわらず、特捜事件や検察の内幕について読み物仕立てにするのを得意とした。「検察秘録」はその代表作だ。

 趣味人でもあった。特捜幹部を囲む飲み会では、フラメンコギターをつま弾いて宴を盛り上げ、手ずから漬けた梅干しや塩辛をふるまった。55歳でがんを発病。胃、食道、中咽頭などにがんを患い手術は10回を超えた。それでも煙草と酒を手放さず、「不死身のひと 脳梗塞、がん、心臓病から15回生還した男」を著すなど、強靱な精神力で最後まで書くことにこだわった。多くの後輩から慕われた面倒見の良さと包容力。尊敬する記者がまたひとり世を去った。さびしくなる。

(村山 治/週刊文春 2019年7月11日号)

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