オグリキャップが教えてくれた「生きる思想」――哲学者・檜垣立哉インタビュー #1

オグリキャップが教えてくれた「生きる思想」――哲学者・檜垣立哉インタビュー #1

(c)文藝春秋

混迷の時代に求められる哲学とは何か? 注目の哲学者に聞く「『哲学』の時代」シリーズ第3回は、大阪大学教授の檜垣立哉さん。『賭博/偶然の哲学』では競馬をテーマに、賭けることから人間の実存に迫った独特の哲学を展開した。なぜ競馬は哲学たりうるのか? 檜垣さんが競馬哲学に至るまでの「知の履歴書」とは? インタビュー当日は阪神競馬場で待ち合わせた。

■競馬って「当てる」ものじゃないんですよ

―― 今日は立て続けに馬券が当たっていましたね!

檜垣 いや、偶然ですよ、偶然。競馬って「当てる」ものじゃないんですよ。そもそも賭けるという行為は、偶然に「当たる」もの。小石をポーンと投げて、たまたま「当たる」というのが賭けの本質なんです。そうした偶然、人間の力ではどうしようもないものに、いかにして人間は向き合っていくべきか、それを競馬しながら掘り下げているところはあるかもしれません。

―― そうした「競馬の哲学」に至るまでの、檜垣さんの「哲学以前」をお伺いしたいのですが、子供の頃の夢って何だったんですか?

檜垣 9歳の時に江崎玲於奈がノーベル物理学賞を受賞したんですよ。それで、漠然と科学者、特に物理を研究する人になりたいなあ、なんて思ってました。その頃の担任の先生にもかなり影響を受けていたかもしれない。

■小学校からずっと、管理教育のようなものとは縁遠い場所にいた

―― どんな先生だったんですか?

檜垣 東工大の大学院を出た人で、教職免許を持っていたので、たまたまこの時期に小学校で教えていた人なんですよね 。それで理科の授業なんか、教科書を無視して「熱と温度の違いは何だ?」とか小学生が答えられないようなことを聞いてくるんですよ。それで、僕が「質と量のちがいみたいなものだと思います」なんて答えたら、「お、檜垣、いいこと言ったぞ」と褒めてもらえて(笑)。自由な授業をしてくれるいい先生でしたね。中学・高校は武蔵なんですが、ここも自由な校風で過ごしやすかった。

―― のびのびと過ごされたんでしょうね。

檜垣 当時の大坪秀二校長が面白い先生だったんですよ。武蔵って中学3年でフランス語とかドイツ語をやれるんですよ。ところが、あるときどっかの母親が「こんなドイツ語とかやって、東大受験に関係あるんですか!」ってすごい剣幕でやって来たんです。そうしたら校長先生が一言「全く関係ありませんが、何の問題があるんですか? 好きなことを好きなだけ勉強する以上に、人間の能力を伸ばすことがあるでしょうか」って。いろいろめちゃくちゃな部分もあったんだけど、いい時代だったとおもいます。

―― 学ぶことについては、とことん自由だった。

檜垣 旧制高校っぽい感じですよ。1時間目が始まる前の「0時間目」に物理の先生が相対性理論の講義をしていたり。好きな人は自由に聴講する。勉強したいだけ勉強できる、そんな場所でした。そういう場所にいれたというのは幸運なんでしょうね。いまはずいぶんいろいろな意味で時代が変わった気がします。小学校からずっと、管理教育のようなものとは縁遠い場所にいたので、自分なんかはきちんと生き延びられたんだろうな。それを考えると今の子供たちはかわいそうだと思います。

■今でも吉本隆明が夢に出てきて僕を叱る

―― 哲学に興味を持たれるのは武蔵時代のことなんでしょうか。

檜垣 80年代前半って池袋西武が文化発信基地みたいな場所で、学校の帰りによく寄ってたんです。いわゆる「セゾンカルチャー」を浴びてたわけですね。で、高2だったかな、そこで吉本隆明の『共同幻想論』を角川文庫で買ったんです 。今も初版、持ってるんですけど。吉本の文庫は『心的現象論序説』『言語にとって美とはなにか』も出ていましたけど、まあ『共同幻想論』には衝撃を受けましたよ。本当に衝撃で、今でも夢に出てきますもん、吉本が。

―― え、夢にですか?

檜垣 前に何かの雑誌に論文を書いたとき、吉本隆明が夢に出てきて言うんですよ、「檜垣君、あれはダメだ」って。もう、怖くて(笑)。僕にとっては、はるか彼方の偉人なんですよ。多分一番影響を受けているのに結局生きているうちに、一回も顔をみることはありませんでした。本当に怖くて(笑)。まあ、そこから哲学みたいなものに関心を持つことになるんですけどね。

■哲学者の名前で哲学を語ってはいけない

―― そして東大で哲学を専攻。先生はどんな方だったんですか?

檜垣 当時はハイデガーの渡邊二郎先生とか、カントをやっていて日本哲学にも詳しい坂部恵先生とかいらっしゃったんですが、私はフランス哲学だったので松永澄夫先生という、18世紀のフランス哲学が専門の方です。メーヌ・ド・ビランとか、コンディヤックとか……って言っても知らないですよね?

―― すいません、全く聞いたことがないです。

檜垣 でも松永先生のゼミは哲学者の名前にこだわりがない、ちょっと変わったものだったんです。何かに言及する時に「哲学者の名前で語ってはいけない」と。つまり「このテクストが意味するところは、コンディヤックの文脈では……」なんて言っちゃいけない。「これを読んで、君はどう思いますか?」と常に自分の思考を問われるようなゼミでした。自分より一時代前の、駒場での大森荘蔵のゼミにちょっと近い。

―― それは考える筋肉がつきそうですね。

檜垣 大学って本来そういうところなんですよ。東大総長も務められた蓮實重彦さんがある対談のなかで言っていることですが、90年代に入ったら「先生、フランス語教えてくれないんですか」って言う学生が増えてきて「もう、東大も終わりだな」って思ったって話があるんです。大学生たるもの、自分で勝手に勉強するものだったはずなのに、と。

■バブル時代に競馬予想屋になろうと本気で考えた

―― ちょうどその90年代初頭は檜垣さんが大学院生時代のことですね。

檜垣 あの頃は自分にとってあんまり思い出したくない時期かなあ。

―― というのは……。

檜垣 いつの時代の大学院生もそうでしょうが、院生ってそもそも中途半端な身分ですから、自分は哲学研究やってるけど、結局一体何やってんだろうって卑屈な気持ちが強かったんです。時代もよくなかったと思います。だからバブルが崩壊したのは嬉しかったな、「ざまあみろ」って(笑)。だって、こっちは院生で将来が見えないのに、同い年の奴が銀行とか大企業に就職して、ボーナス100万だのなんのと言ってて、ふざけんなって思ってましたから。僕なんて就職もできず、中山競馬場のスタンドをうろつきながら何とかバイトからはじめて競馬予想屋とかに雇ってくれないかなって真面目に思ってたくらいで。

―― え、本当にですか?

檜垣 冗談じゃなく、本当に。僕、院生時代に結婚しているんですけど、奥さんは就職したんですよ。それで、荒川沿いの薄暗いアパートに一緒に住んでました。初めて競馬場に行ったのがこの頃、89年の天皇賞・秋ですからよく覚えています。武(豊)のスーパークリーク、南井(克巳)のオグリキャップ。

■パリで警備員と揉めているデリダを見た

―― この頃から、競馬にのめり込むんですね。

檜垣 そうです。奥さんの友達が誘ってくれて、みんなで行ったのが最初です。世間で肩身の狭い思いをしてた時代なんですけど、レーザーディスクで名レースをボーっと観てたり、競馬場に行ったりすると気分が晴れた。鬱々としていても、春には桜花賞があり、ダービーが過ぎて夏競馬。毎日王冠で秋を想い、有馬記念で1年の終わりと新年の気配を感じる。そしてまた、桜花賞の季節が巡ってくる……。人間ってこういう人生のリズムが大事なんですよね。気持ちが停滞していても競馬が向こう側からやってきて、時間が確実に流れていることを教えてくれる。生きてると思う。競馬に救われていたところはありますね。

 それでまあ偶然ですよ、助手のポストが空いたので助手になり、続いて埼玉大学で教員として就職できた。そして90年代の末に、まだ文科省(当時は文部省)の留学制度とかがあって、フランスに初めて長期で行ったんです。僕はフランス哲学を専攻しているといっていながら、正直語学はあんまり得意でなくて、全然フランスって行ったことなかったんです。これは転機といえば転機かな。

―― フランスのどちらに留学されたんですか?

檜垣 ソルボンヌ大学に1年半です。あの頃は現象学のジャン=リュック・マリオンが大学にいました。

―― パリでは他にも有名な哲学者に会えたんですか?

檜垣 ミシェル・アンリとか、デリダとか。デリダはけっこう見かけましたよ。僕が留学した年にリオタールが亡くなったんですけど、その追悼シンポジウムがあったんですよ。で、会場に行ったら入り口のところでおじさんがなんか警備員と揉めてるんです。「ダメダメ、途中で中に入れるわけにはいかないの!」と、そのおじさんが止められてて。で、おじさんがムッとしながら「俺、これから登壇するジャック・デリダなんだけど!」って(笑)。

―― ハハハハハ。いいもの見ましたね。

檜垣 しまいには、入り口のところに座り込んじゃって。デリダはパリにある国際哲学コレージュという組織の仕事もしていたので、わりとそこでのセミナーにも来ていましたね。10人くらいしか参加していないデリダについての研究会なんかにも顔出してて。

―― それ、発表者もやりにくいんじゃないですか、本人を前にして。

檜垣 デリダはニタニタしながら「僕の昔の、こんなどうしようもない業績について研究してくれてありがとう」なんてコメントしてました。

■ちょっと何言ってるのかわかんない話を、みんなが聞く文化

―― 檜垣さんも直接お話ししたことはあるんですか?

檜垣 ええ、ちょうどデリダの『フッサール哲学における発生の問題』という本を翻訳する企画があったので(結局それは出版されませんでしたけど)、それを話題にしたら「あんな面倒くさい論文を訳させてしまって本当に申し訳ないね」って。

―― サインとかもらわなかったんですか?

檜垣 サインはもらわなかったけど握手はしました。フランスって、研究者じゃなくたって、哲学者に会おうと思えば会える環境があるんですよね。サルトルとボーヴォワールに会いたければカフェ「ドゥ・マゴ」に行けばいいみたいな文化が続いていて。

―― なかなか日本には馴染みがない文化かもしれませんね。

檜垣 印象的だったのは、アラン・バディウっていう哲学者がすごい人気だったこと。大学の教室を借りて、夜7時から自由参加の講義をやるんです。ロシアの詩の話と、数学の基礎論をゴチャゴチャに掛け合わせたような、ちょっと何言ってるのかわかんない話なんですけど、立ち見が出るくらい人が集まって聞いているんです。そこには学生はもちろんですけど、普通のおっちゃんもいるし、労働者もいる。

―― 何言ってるかわかんないけど、一応聞いとくかみたいな感じ。

檜垣 ああいう知的な活気の良さみたいなものは、日本の大学にも必要だと思っているんです。日本はいろいろな意味で制度のしばりが強すぎますよね。

 ところでフランス競馬最大のイベントにして、世界競馬の最高峰に凱旋門賞というのがあるんですけど、これにはよく学生連れて行っているんですよ。これも、フランスの知的な雰囲気を摂取しに行くという目的があるわけです……。まあ、観戦はもっと大きな目的なんですけどね(笑)。

ひがき・たつや/1964年埼玉県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。著書に『ベルクソンの哲学』『西田幾多郎の生命哲学』『賭博/偶然の哲学』『哲学者、競馬場へ行く』などがある。

(「文春オンライン」編集部)

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