川上弘美・山田詠美・綿矢りさが明かす「田辺聖子という生き方」

川上弘美・山田詠美・綿矢りさが明かす「田辺聖子という生き方」

©丸山洋平/文藝春秋

 2019年6月6日、作家の田辺聖子さんが91歳でこの世を去った。田辺さんは1928年、大阪・福島区の写真館に生まれ、祖父母や見習い技師など大家族の中で育った。金物問屋に勤める傍ら小説を書き続け、64年、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』で芥川賞を受賞。関西弁を効果的に使った恋愛小説、開業医で夫の故・川野純夫さんをモデルにした「カモカのおっちゃん」シリーズ、『新源氏物語』などの古典の新訳まで、幅広い作品を遺した。

 田辺さんとの思い出や作品の魅力を、作家の川上弘美さん、山田詠美さん、綿矢りささんの3人が余すところなく語った。

■自宅にあった「スナックお聖」と「バーカモカ」

綿矢 ご自宅の地下に、お酒を飲むバーみたいなお部屋があるんですよ。「今は使ってないけど」ってバーのスタンドサインを見せていただきました。片側には「スナックお聖」という文字と、田辺先生のイラストがあり、もう片側は「バーカモカ」とあって、カモカのおっちゃんのイラストが描いてある。電気をつけるとネオンみたいにポワッと光って、すごくほっこりしました。

川上 開業医の旦那さんが診察から帰っていらっしゃると、田辺さんは毎日、必ずお酒の用意をして、一緒に晩酌をなさっていたそうですね。私も家で、連れ合いとの晩酌の時間を大事にしているけれど、それはきっと田辺さんのエッセイに影響されたからだな。

山田 わかる。私はバブルの時期にデビューしてるから、普通はお酒っていうと、やっぱり「六本木のバーで」っていう流れになるじゃない? だけど、田辺作品を読むと、「それって本当に楽しいの?」「本当に楽しいことって何?」と考えさせられる。田辺さんの本を読んでいなかったら、いまだに「六本木のバー」が一番と思うような、嫌味な女になってたかもしれない(笑)。

■キュンとくる感性が一緒だった

綿矢 田辺先生のお書きになる晩酌には憧れますよね……。

山田 それは、相手がカモカのおっちゃんだからという面もある。対談では、互いの男がどう愛おしいかという話になったんです。田辺さんが初めておっちゃんの診療所に行ったとき、脱脂綿を入れたガラス瓶があった。そこに貼ってあるラベルに、マジックで「わた」って書いてあるのを見て、心動かされたとおっしゃっていました。その気持ちが私にはわかります。

川上 うん、うん、わかる(笑)。

山田 田辺さんとは年が離れていても、キュンとくる感性が共通なんだと思えてうれしかった。結局あの対談って、私、のろけられている一方だったんだけど(笑)。

 田辺さんは1987年から18年間、直木賞の選考委員をつとめた。3人の話は、山田さんが芥川賞選考委員となった際のエピソードに移ったが……。

■「えらいことばかり言う男の作家は駄目やね」

山田 私が芥川賞の選考委員になった後、芥川賞・直木賞の贈呈式で田辺さんの隣に座って、選考委員席で、コソコソッとお喋りすることがあったんです。あるとき、ある直木賞受賞者を評して、「ああやってえらいことばかり言う男の作家は駄目やね」って、田辺さんが私の耳元でおっしゃったの。そして、私の手を握って、「(直木賞の他の選考委員は)みんなそれがわからないのよ、小説読みのくせに」って(笑)。そういうときの田辺さんって、ちょっと意地悪で、辛辣で、面白いお姉さんみたいな感じなの。

川上 小説も実はすごく辛辣ですものね。辛辣と言っても、人を傷つけたり、貶める悪口ではなくて、いわば「きちんとした批評的悪口」。

綿矢 田辺先生は、地声はとても高いんですけど、小説やエッセイの話になると、ちょっとだけ声が低くなるんです。その硬質な声が魅力的で、私が「エッセイってどうやってお書きになるんですか」と聞いたら、「私の頭の中でスヌーピーに話しさせて、それを聞いてエッセイにしてるのよ」って、とっても低い声で秘訣を教えてくださいました(笑)。

山田 私がカモカのおっちゃんののろけ話を聞いていた時は、すごく甘い声だった(笑)。

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 3人の座談会の全文は、 「文藝春秋」8月号 「追悼 田辺聖子『珠玉のことば』」に掲載されている。田辺さんを偲びつつ、作品のページをもう一度めくってみてはどうだろうか。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年8月号)

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