川崎殺傷犯・岩崎隆一、元農水次官長男、“低能先生”……彼らの人生が交差する場所

川崎殺傷犯・岩崎隆一、元農水次官長男、“低能先生”……彼らの人生が交差する場所

岩崎隆一が20人を殺傷した川崎市登戸の現場 ©松本輝一/文藝春秋

 他人事とは思えなかった。この初夏に起きた2つの事件のことだ。

 ひとつは51歳の岩崎隆一が登戸駅近くでカリタス小学校の児童と保護者を殺し、18人を刺傷した事件であり、もうひとつはその4日後、「自分が殺される」と危機感を強めた元農林水産次官の熊沢英昭が44歳の長男、英一郎を滅多刺しにした事件だ。岩崎は私の7つ上、英一郎と私は同い年だ。彼らがどうして身勝手な暴力に走るに至ったのかが、気になっていた。

■社会問題化しはじめた「就職氷河期世代」のつまずき

 岩崎と英一郎に共通するのは、彼らが就職氷河期世代にあたるという点だ。

 政府の経済財政諮問会議に提出された資料(4月10日付)によれば、1993年から2004年にかけて、毎年8万人から12万人が就職できないまま大学や高校を卒業した。新卒時にレールに乗らないことを「夢を追い続ける選択」と強がっていられたのは数年だけで、多くの人がその後も無業・無職だったり、有期の採用と失業を繰り返したりした。

 かつて新卒で得た地方新聞記者の職を3年半で辞めた私も、無職だった時期がある。東京の親元に戻っての暮らしが1年ほど続く間にノートに書きつけた将来像は色あせて見え、旧友に会う気は萎えていった。先行きについて父や母に話すことはできなかった。

 単線的に成り立つ日本の労働市場は新卒採用に広く道を開く一方で、一度機会を逃した者には冷たい。言い古された指摘だが、失われた20年を経てもなお、終身雇用・年功序列の労働慣行が抜本的に変革されることはなかった。いったん正社員としてその内側に入り込んだ者は既得権益を持ち、危機意識など薄れてしまうからだ。

 だが、ここにきて就職氷河期世代のつまずきが、個人の人生設計だけの問題でなく、「国のかたち」に決定的な影響を及ぼしかねない、と指摘されるようになってきた。

 就職氷河期世代の真ん中あたりに位置する団塊ジュニア(1971年〜74年生まれ)は1年ごとの出生数が約200万人に上り、この「数」の面で、団塊の世代に匹敵する。そして20年後の2040年には、この人口の層が65歳を迎え年金を受給する側に回り、高齢者人口はピークに達する。

 このうち長らく非正規で働いた現代の中年の老後は、「低資産・低年金」だ。比較的手厚い年金がある90歳の父母と低年金の65歳の子が、身を寄せ合って暮らすしかない。

 すでに兆候は現れている。総務省統計研究研修所の西文彦氏の2016年時点の推計によれば、親と同居する35歳〜44歳の未婚者のうち、生活の基礎を親に依存している可能性のある人は52万人に上り、45歳〜54歳でも31万人もいると見られているのだ。

 前出の熊沢英一郎は前者の一群の、岩崎は後者の一群の1人と見てよい。彼らの罪に酌量の余地はないが、「2040年の不安」に無意識のうちに囚われていたであろうと想像力を働かせると、2つの事件が重苦しい日本の未来の兆しのように思えてくる。

■「ゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」

 中年たちの暴発はこれだけに止まらない。

 1年前の2018年6月24日夜、福岡・天神近くの建物内のトイレで有名ブロガーを刺殺したのは、家賃3万円のアパートにひきこもり状態で暮らしていた松本英光という当時42歳の男だった。犯行後、松本は投稿サイトに「俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」と居丈高に書き込んでから、交番に出頭した。

 被害者の岡本顕一郎(享年41)は東京の会社に勤める傍ら、Hagexというハンドルネームで匿名ブログを開設し、そこではネット上の炎上ウォッチャーとして知られていた。ネットの勉強会の講師としてHagexが福岡に来る、と知った松本は、会場の建物で待ち伏せして凶行に及ぶ。調べに対しては、「ネットでの書き込みがサイト運営会社に通報され、アカウントを凍結される状況が不満だった」と供述している。

 松本は投稿サイトのはてなブックマークで、数年前から複数のユーザーに対して「死ね」「低能」という中傷の書き込みを繰り返し、その投稿スタイルから「低能先生」と呼ばれていた。

 Hagexのブログがその低能先生について触れたのは、事件の2か月近く前。中傷の投稿があったら通報していること、通報を受けた運営会社(はてな)も最近は即座に該当するアカウントを凍結していること、凍結されても新たにアカウントを取得して同じ行為を繰り返す低能先生を運営会社は威力業務妨害で訴えるべきこと――を記していた。

■島一番の進学校から九州大学へ

 脅かされるユーザーにとっては一理も二理もあるが、松本はこれに、理不尽な怒りを撒き散らして報復した。中傷はそれほど大切な日課だったというのか。

 熊本県の離島、天草下島出身の松本は、島一番の進学校から福岡の九州大学文学部に進んだ。だが進級は順当にはいかず在学期限ぎりぎりの8年間籍を置いた。アルバイト先のラーメン屋の製麺工場では正社員にもなったが、7年前に退職。それ以降、天草の実家への連絡が途絶えた。

 投稿を重ねていた当時、周囲に苦衷を語ってはいなかったのか。天草に飛んだ私は、実家の前で69歳になる父親に話を聞いた。

■“低能先生”の父親は何を語ったのか?

 松本の父親は頭を下げ被害者に詫びる言葉を述べた。

「もともと本を読むのが好きな、穏やかな子なんです。そんな投稿をしていたことは、当時は知りませんでした」

 電話に出なくなった息子に、父親は家賃の仕送りを続け、心配になり福岡まで会いにも行ったという。

――会った時、何か漏らすことは?

「40過ぎの男はもう、自分のことを話さんもんですからね」

――お父さんにも説明しないのですか。

「親だから、いまはわかるところもあるんですが、『お父さんたちは関係なかけん、(問われても)誰にもいうな』と息子から言われているものですから……。裁判の中で、本人が話すつもりだからと」

■最後の「居場所」までもが奪われる危機感

 秋にも開かれる公判での松本の弁を待つほかないが、現時点でわかったこともある。松本は理想とはほど遠い自分の日常的な苦境を親にさえ、話せないでいた。だがネット上では違う。名前や顔と切り離された「別の姿」になって強気の自分を演じられる。凍結されたってアカウントを作り続ければいい。

 ところが「訴えるべき」と書いた発信力の強いブロガーの煽りが運営会社に伝染してしまえば、その最後の「居場所」までもが、奪われる――独り、そう危機感を募らせていたのだ。

 松本については、7月10日発売の 「文藝春秋」8月号 掲載の「『就職氷河期世代』孤独と悲哀の事件簿」の中で詳しく書いた。

 松本だけではない。借金と生活に追われ才能を開花させることができなかった元九大院生、近世仏教の研究で学界に新説を打ち立てつつあった気鋭の思想史家と合わせ、3人が起こした“事件”の現場を歩くうちに何かの匂いが鼻をついた。それは「2040年の不安」に苛まれ、「働く希望」に飢えた中年を活かすようには機能しない日本の企業、行政、大学に漂い始めた“異臭”だったと思う。(文中敬称略)

(広野 真嗣/文藝春秋 2019年8月号)

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