「胸元のファンタジスタ」雅子さま ご成婚前の「スカーフ」報道と国民との“距離感”を思い出す

「胸元のファンタジスタ」雅子さま ご成婚前の「スカーフ」報道と国民との“距離感”を思い出す

6月19日、展覧会「慶びの花々」の鑑賞のため、三の丸尚蔵館に向かわれる雅子さま ©時事通信社

「皇后雅子さま 胸元のファンタジスタ」。そんな見出しのグラビアが掲載されたのは、「女性セブン」2019年7月11日号だった。ストールと、ネックレス。雅子さまのファッションに注目し、コーディネートの方法を解説する。そんな内容だった。

■小和田雅子さんの「スカーフ」が注目の的に

 雅子さまが小和田雅子さんだった頃を思い出した。注目の的だったのが、雅子さんのスカーフだった。「雅子さんに学ぶ」アレンジやら巻き方やらが、あちこちで特集された。

 それから26年。雅子さまは皇后になられた。そして再び、ファッションが注目された。懐かしい気持ちになった。同時に、こんな感慨もわいてきた。

 雅子さまも国民も、長いトンネルを抜けたなー。

 雅子さんと雅子さまとスカーフとストール。そういう話を書いてみる。

 雅子さんが皇太子妃に内定したとワシントンポストがスクープしたのは、1993年1月6日。その2日後、雅子さんは初めて外出した。オフホワイトのロングコートを着ていた。メディアの代表者が「国民のみながおめでとうと言っております」とマイクを向けると、「そうですね、でもまだ正式には決まっておりませんので」と答えた。華やいだ表情で、すごくきれいだった。

 このコートはイタリアのHERNO(ヘルノ)というブランドのものだとすぐに報じられ、以来外出のたび、雅子さんは写真に撮られた。小和田邸はコンクリート打ちっ放しの一軒家。だから背景にはコンクリートの壁が写り、そのモダンさと雅子さんの「外務省勤務のキャリアウーマン」という経歴がマッチし、「絵になる外出」だった。

■26年前の「胸元に光る雅子さん流スカーフ術12」

 雅子さんとスカーフの始まりはいつだったろうか、と当時の女性週刊誌をチェックしてみた。「女性セブン」が93年2月25日号で「胸元に光る雅子さん流スカーフ術12」という記事を掲載している。令和になり「胸元のファンタジスタ」を載せた同誌は、26年前も「胸元」をキーワードにしていた。ブレないセブン。

 2月25日号のグラビアは、皇太子さま(当時)とのデートに行く雅子さんにフォーカス。「皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)がフィアンセになられて3週間。デートの間隔が近くなってます」という文章と共に、小和田邸を出る雅子さんの写真を並べた。

「スタンドカラーのコートはドイツのJOBIS(ヨビス)のもので、バッグと靴は紺でまとめて」と解説された写真の隣には、同じコート姿の雅子さん。「何日かおいてのデート。上のボタンをはずして春らしい花柄のスカーフをアスコット風に結んでいます」。

 この号が好評だったのだろう、3月18日号で「大好評第2弾 雅子さんスカーフ色使い結び方を全図解!」という記事を載せ、4月8日号には「雅子さんの『カチューシャ』『バレッタ』を素敵解明!」。「大好評第4弾」とあった。

 4月12日には「納采の儀」が開かれ、雅子さんは振袖姿だった。3月12日からはお妃教育が始まっていて、その時に持つことの多かった大振りのバッグが「パロマ・ピカソ」というブランドだということが話題になったりもしていた。

■雅子さんのファッションをメディアがこぞって取り上げた理由

 当時、週刊誌の記者をしていた私は、雅子さんのファッションに関する記事を書いた。

 読み返してみた。雅子さんが小和田邸を出るたびにカメラが追うこと、それを女性誌やワイドショーが毎日のように特集することに触れたのち、「宮内庁からは、お妃教育のたびに写真を撮ることをやめてもらえないか、というお願いがマスコミ側にあり、『本人が衣装を替えるのにプレッシャーを感じている』という事情も伝えられた」と書いていた。

 皇太子妃になられてからの雅子さまを思うと、興味深い記述だと思う。自分の記事を興味深いというのもおかしな話なのだが、ここから「長いトンネル」の話になるので続けさせていただく。

 お二人のご成婚は93年6月9日。それから10年。雅子さまは2003年12月から、公務を休まれた。「適応障害」という診断名が発表されたのは、翌年7月。

 その2カ月前、皇太子さま(当時)が「雅子は皇室の環境に適応しようと努力してきたが、そのことで疲れ切ってしまった」という旨を述べた。闘病が長くなり、写真を撮られることが苦手だという雅子さまの情報も伝わってきた。外務省勤務時代から「お妃候補」としてカメラに追いかけられ、トラウマになっているようだ、と。

 正確な情報か、定かではない。だが、雅子さまの闘病を知った上で我が記事を読み返すと、「宮内庁からの撮影中止依頼」が重いものに感じられる。

 同時に、こうも思う。雅子さんのファッションをメディアがこぞって取り上げたのは、当時の国民がそれだけ期待していたからだ、と。

 日本中に、ウキウキした気分が広がっていた。きれいで、超優秀な人が皇太子妃になる。小和田邸前の雅子さんの写真を見るたび、みんなが明るい気持ちになっていた。

 適応障害と発表され、雅子さまの写真はごく少なくなった。公務でのお出ましより、不登校になりがちの愛子さまに付き添う様子ばかりが報じられた時期もあった。その頃の雅子さまは、グレイのパンツスーツが多かった。明るい気持ちにはなりにくかった。

 病名発表から13年経った17年、天皇陛下(当時)の退位が決まった。以来、雅子さまは徐々に活動の幅を広げていった。だが、皇后という激務に雅子さまは耐えられるのだろうか。そんな思いを心の隅に抱え、平成の終わりを過ごしたのは私だけではないはずだ。

■新天皇即位後初めての一般参賀で、雅子さまは明るい笑顔だった

 令和になった19年5月4日、新天皇即位後初の一般参賀で雅子さまは、明るい笑顔だった。黄色いローブ・モンタントが華やかだった。8日には「期日奉告の儀」も無事に務められた。古式装束に大垂髪という姿で、17年ぶりに宮中三殿を拝礼された。雅子さま、きれいだったなー。宮中祭祀もできた。よかったなー。そんな思いを抱いた人は多かったはずだ。

 27日には、トランプ大統領と妻のメラニアさんを招いての皇后としての初の皇室外交。雅子さま、堂々とされていた。6月1日からは愛知県で同じく初の地方公務。大勢の人が沿道で歓迎し、雅子さまはうれしそうに手を振られた。

■「もう大丈夫! 自信のロイヤルスマイル!」

 その時の国民の気持ちは、「女性セブン」6月20日号が代弁してくれている。

「もう大丈夫! 自信のロイヤルスマイル!」。愛知県三河青い鳥医療療育センターで入所児の手に触れる雅子さまの写真が、大きく載っていた。まっすぐに入所児の目を見つめる雅子さまは明るく、そして優しい表情だった。

「胸元のファンタジスタ」が載ったのは、その3週後だ。時が流れ、「スカーフ」より「ストール」が主流となった。6月19日、三の丸尚蔵館「慶びの花々」展を鑑賞する雅子さまの白のパンツスーツ姿の写真の横には、「フリンジ付きのストールには涼やかなブルーの花が描かれている。展覧会のテーマに合わせられたのでしょうか」という解説が付いていた。真珠のネックレスのバリエーションも紹介されていた。

 肩の力を抜いて、雅子さまをウオッチできるようになった。そして、雅子さんの頃のようにファッションを学ぼう、となった。長いトンネルを抜けたのだ、雅子さまも、国民も。

 それが、雅子さんと雅子さまと、スカーフとストール。話はこれでおしまいだ。

(矢部 万紀子)

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