「私と結婚していただけますか」鴨場での”初デート”で天皇が雅子さまに告げられたプロポーズ

「私と結婚していただけますか」鴨場での”初デート”で天皇が雅子さまに告げられたプロポーズ

マクロン仏大統領が来日し、天皇皇后両陛下と面会 ©AFLO

令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま。
新皇后の半生を徹底取材した決定版『 皇后雅子さま物語 』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。?

◆ ◆ ◆

■厳戒態勢での”初デート”は清々しい朝の鴨場

 宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)の正門。高さ約3メートルの鉄扉が、左右にゆっくりと開いた。その時、運命は大きく動き出そうとしていたのだった――。鴨場は主に11月中旬から翌年の2月中旬までの鴨の狩猟期間に、駐日大使や国会議員を接遇する場所として使用されている。この年(1992年)、期間前の10月3日に正門が開いたのは、異例のことだった。

 雅子さんが皇太子殿下とお会いするため、一足先に到着したのは、午前9時過ぎ。秋晴れの清々しい朝だった。元溜(もとだまり)といわれる池(約1万2000平方メートル)には、野鴨など1万羽以上の渡り鳥が越冬のため飛来するという。この日も池には鴨が泳ぎ、太陽の光が反射して、水面はきらきらと輝いていた。水辺には手入れが行き届いた松が植えられ、空には野鳥たちのさえずりが聞こえていた。

 雅子さんが乗っていたのは、仲介役の元外務次官・柳谷謙介氏が運転するマイカーだった。後部座席の雅子さんの隣には、柳谷氏の妻が座り、一見、家族のようにカモフラージュされている。宮内庁職員が運転する車に先導され、2台の車は土曜日の朝の閑散とした道路を走り抜けて到着した。

■「殿下は午後からテニス」用意周到なカモフラージュ作戦

 一方、皇太子は午前9時に東宮仮御所をご出発された。このことは、宮内庁幹部と身の周りの世話をする内舎人の数人しか知らなかった。“雅子さんプロジェクト”は、情報管理による秘密保持が最重要であり、この日の“デート”もマスコミに絶対に知られてはならなかった。この日は宮内記者に「殿下は、外出など特別な用事はなくゆっくりと仮御所で過ごされる」と予定を発表していた。

 実は1カ月半前の8月16日、皇太子と雅子さんが柳井氏宅で5年ぶりに再会したときも、菅野弘夫東宮大夫は「殿下は午後からテニス。外出される予定はありません」と発表した。実際に再会の場へ向かう車にテニス用具を持ち込むほどの用意周到ぶりだった。

 秘密保持は対マスコミだけではなく東宮職員に対しても徹底していた。この日も、日中だれもいない皇太子の部屋にラーメンや果物を運び込んで、あたかもずっと在室しているかのように偽装する念の入れようだったという。

「皇太子の食事時間は決まっているので、この日は支度をする大膳課に時間の変更を事前に報告していたようです。当日急に夕食が遅くなると、外出したことが知られてしまうため、注意をはらったようです」(宮内記者)

■”狭いワンボックスカー”で雅子さまに会いに行かれた陛下

 仮御所の裏扉から出てきた皇太子は軽装で、誰にも気付かれないように小豆(あずき)色のワンボックスカーの後部座席に素早く乗り込んだ。乗車したのは、皇太子ただひとりだけ。藤森長官は、天皇皇后両陛下に随行して、山形国体に行っていた。内舎人がハンドルを握り、静かに走り出した車の窓には目隠しがされていたが、赤坂御用地の門を出入りするときだけは、皇太子は毛布を被り身を隠された。ワンボックスカーの後ろには、ポロシャツに茶色のセーターという軽装の山下和夫東宮侍従長のベージュ色のマイカー、カペラが走っていた。

 通常、皇太子の外出時には黒塗りのハイヤーが使われる。前後に皇宮警察の護衛と警視庁の警備担当が同行して、通過地域や地元の警察が周辺の警戒にあたるのだが、この日は警備関係に連絡をまったくしていない。異例中の異例だった。赤坂御用地で車の出入りがチェックされれば記録が残り、いずれマスコミに流れる可能性があるため、雑務などで使う小さなワンボックスカーが使われたのだった。まるでスパイ映画さながらだが、交通事故など予測がつかない事態に巻き込まれる危険性もないではなく、警備がいないところで何かあったら――、山下侍従長と内舎人は一日中、緊張が解けなかったことだろう。ご結婚に向けて、この日は重要と見定めたからこその決断だった。

 皇太子が鴨場に到着すると、先に待っていた雅子さんと柳谷夫妻の一行が出迎えた。車を降りた皇太子は、にこやかだったという。雅子さんは、狭いワンボックスカーにまで乗り込まれて会いに来てくださった皇太子の熱意に、胸を打たれた。

■陛下が望んだ「いっしょに歩を進めることができる女性」

 二人は、前回の5年ぶりの再会のときよりも、打ち解けた様子だった。一行は目の前に広がる池を見ながら歩いた。雅子さんが後ろに少し下がると、皇太子は横に並んで歩くよう声を掛けられたそうだ。皇太子が望んだのは、一歩下がってついてくる女性であることより、楽しく会話をしながら、いっしょに歩を進めることができる女性だった。

 左手に、明治時代に建てられた木造の食堂と談話室が見えてきた。ここで同行した人たちと別れて、皇太子と雅子さんは二人でそのまま池の周りの舗道を真っ直ぐに進んでいった。

■雅子さまが「モグラ塚」を見つけてから会話は尽きなかった

 皇太子は、雅子さんに皇室のことを少しでも理解してもらうため皇族の生活や諸行事などをお話しされたという。途中、モグラが巣を作る時に排除した残土が盛り上る「モグラ塚」を見つけた。動物好きの雅子さんは懐かしがり、幼い頃にモグラ塚を見つけたときの話や、米国・ベルモントの自宅前が自然保護区で、リスやタヌキが出没した思い出を語ったと言われている。皇太子もこの保全地区にはタヌキが生息していることなどをお話しになったといわれ、会話は尽きなかったという。

 昼食後は、広い芝生の上で童心に返って輪投げをされた。笑い声が聞こえるなど楽しそうなご様子だったという。

■「国を思う気持ちに変わりはないはず」強く述べられた思い

 しばらくして、皇太子は表情を引き締められ雅子さんに語りかけた。

「私と結婚していただけますか」

 はっきりとしたプロポーズだった。

 だが、雅子さんは、まだ決心がつかなかった。やっと次のように返事をした。

「……お断りすることがあっても宜しいでしょうか」

 皇太子は穏やかなご様子は変わらなかったが、しかし諦めずに、

「外交という分野では、外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはないはず」

 と言葉を強く述べられたと言われている。そして、

「雅子さんが皇室に来てくれたら嬉しい」

 と素直にお気持ちを伝えられたのだった。

(友納 尚子)

関連記事(外部サイト)