「安倍さんはレガシーをつくった」進次郎から飛び出した発言は何を意味するのか

「安倍さんはレガシーをつくった」進次郎から飛び出した発言は何を意味するのか

©常井健一

「一番大きな功績は出産」発言の対極にいる小泉進次郎は「普通の人々」の味方なのか から続く

「アレ、意外と少ないねえ」

 自民党きっての人気弁士、小泉進次郎が現れる予定の演説会場で待ち構えていると、時々こんな声が聞こえてくる。全国各地を駆け巡る彼の応援行脚は、2010年の参院選以来、通算7回を数えているが、これまで取材を続けてきた私でも初めて耳にするような反応だ。

■民放各社が競うように派遣していた密着カメラ部隊も……

 2年前の衆院選で「完全密着取材」を行った時には、どこに行っても握手しようと押し寄せてくる群衆の「波」に呑まれそうになった。だが、今回は身の危険を感じるほどの熱を帯びている会場は、選挙戦が残り3日となった時点でも片手で数えられるほどしか見ていない。

 おかげで大きな混乱はなく、小泉も予定通りの大移動を続けている。

 参院選最後の日曜日となった7月14日、小泉はスイカの名産地として知られる山形県尾花沢市内のホールでこの日最後の応援演説をぶった。以前の選挙では民放各社が競うように派遣していた密着カメラ部隊も、その夜はTBSの1台だけになった。

 終了したのは20時過ぎ。私のことを最寄り駅まで送り届けてくれた地元のタクシー運転手が山形訛りで訊ねてきた。

「失礼しますが、今日は(ホールに)どなたが来ていたんですか?」

■「来たのは息子さん。進次郎さんですよ」「なーんだ」

 私は「地元のタクシーが知らないなんて、自民党の告知不足だな……」と怪訝に思いながら、自分と世代が近そうな運転手に返事をした。

「自民党の演説会ですよ。小泉さんですよ」

「えーーーーー。無料でしょ。会社休んで、行けば良かったー。あっちこっち講演に回っているんですよね」

「いやいや、それは純一郎さんで」

「ん、違うんですか?」

「来たのは息子さん。進次郎さんですよ」

「なーんだ」

 小泉の話題は終了。運転手は、4日前に安倍晋三が尾花沢に来援した際、地元で有名な畜産農家を「お忍び」で訪ねたという情報を嬉しそうに語り始めた。

■「忖度」発言で苦戦が伝えられている候補者の応援で

 ようやく1000人以上の大台に乗るような大群衆を目にすることができたのは、同じく7月14日の昼間に新潟駅南口で行われた演説会だった。

 小泉は街宣車の上に立って挨拶を終えると、昨晩、自宅の冷房が壊れたせいで寝室が水浸しになったという個人的な話を持ち出した。「私、何を話してんですかね?」と自分で突っ込みを入れながら、こう続ける。

「誰にでも失敗はある」

 新潟は「忖度」発言で苦戦が伝えられている自民党の現職候補が立っている1人区。小泉はその問題にあえて触れることで「今の選挙の空気を変えなくちゃいけない」と訴えた。

 そして、こんな考えを口にした。

「今の安倍総理は2回目の総理。今から10年以上前に総理大臣をやっていました。1回目、1年で辞めざるをえないことになりました。2回目、安定政権を築いた。もし日本が一度、徹底的に叩かれた人には二度とチャンスを与えないという社会だったら、今の政治の安定はない。私は何度もチャレンジできる社会をつくっていきたいと考えている」

 小泉進次郎という政治家は、2018年9月に行われた総裁選では安倍晋三ではなく、石破茂に票を投じた。当時はその理由を「違う意見を押さえつけるのではなく、違う声を強みに変えていく自民党でなければいけない」と語っていた。それから1年も経たないうちに、こんどは大聴衆に向け、安倍のことを評価し始めた。

■国政選挙のたびに安倍との二枚看板で「党の顔」に

 そういえば、前日にテレビ局の直撃取材を受けた際にも、「同じ人物が2度目も総理になれるということは、安倍政権がつくったレガシーですよ」とも持ち上げていた。私は聞き耳を立てながら、別人なんじゃないかと疑った。

 そのことだけで、日和見だとか、変節漢とか、言うつもりはない。人気者といえども、永田町という嫉妬の海を泳ぎ続けることは容易じゃない。それに、彼からこう聞かされ、納得したことがある。

「周りから面倒くさい存在だと思われてもいいけど、『はねっかえり』にはなってはいけない」

 ただし、それでは安倍自民党の「勝利の方程式」も狂ってしまう。野党の演説と聞き間違えるほど、身内の大物を突き上げ、党全体に自省を呼びかけ、独自の政治判断を貫いては、国民から喝采を浴びる。それが彼の持ち味だった。厄介な異端児を党勢回復のためにしたたかに活用してきたのが安倍自民党だ。

 野党時代の2012年に安倍が総裁に復帰して以降、小泉は国政選挙のたびに安倍との二枚看板で「党の顔」に仕立て上げられた。たとえ公然と安倍を批判するパフォーマンスをしても、党はオトナの判断で小泉を活用する戦略を変えなかった。イデオロギー色の濃い安倍を苦手とする分厚い無党派層を抱き込めるような「オールラウンダー」は、今のところ彼だけだからだ。

 だが、小泉が日和ってしまえば、自民党から逃げていく人々も少なくない。実際、新潟での発言が報じられると、ツイッターでの反応は暗転した。「つぶやき感情分析」を見ていると、「進次郎」というキーワードに対し、ネガティブマークが多数を占め、「大嫌い」「騙す」「クズ」という関連ワードが表示されるような状態が続く。

■「次の対象」をマスコミに移そうする気なのだろうか

 今回の演説を聞き続けていると、これまでの小泉とは大きく違うところが2つあった。

 1つは、「マスコミ批判」だ。

 演説中、自分に向けられたテレビカメラを指さし、「マスコミの当落予想は当てにならない」と訴える。年金問題を語り出せば、「テレビや新聞の記者が来ているが、メディアが報じない大事なことがある」と説く。

 分刻みで全国各地を移動する小泉に許される演説時間は、せいぜい15分。限られた中でも随所にマスコミ批判を挟んでくる。

「最近、おかしいと思いませんか。世の中を見ていても、毎日誰かを叩くことを探している。1人誰かがスキャンダルを出したら、徹底的に叩く。そして人は1週間で飽きる。飽きた後に今度は誰かのネタが出るのを待つ。また叩く。叩ききったら、また飽きる。次々と炎上すべき人を探して、非難すべき人を探して、全然自分と関係ないのに何か怒っている。関係ないじゃないですか。私はそういう社会を変えたい。

 学生時代を思い出しますよ。私が中学生の頃、学校でいじめがありました。見ていて嫌でしたね。1人、仲間内でいじめられる人が決まる。当時は『ハブる』と言った。その1人がハブる対象になって、その子のことをいじめ切った後に次の対象に移る。飽きたら次に行く。どんどん巡り巡って、いじめた側がこんどはいじめられる側になる。一体何だったんだろうか。今の社会、ネット上で次々に出てくる。どんどん叩く」(7月14日、新潟県新潟市での演説より)

 たしかに、これで聴衆は沸く。安倍批判をやめた小泉は、「次の対象」をマスコミに移そうとする気なのだろうか。父・純一郎は首相時代、マスコミを狡猾にコントロールしつつも、決して敵に回すことはしなかった。権力闘争や政策論争が政治の王道だとすれば、感情的なマスコミ批判は邪道だ。

■被災県の会場では握手が3秒、5秒となる

 もう1つの変化は、「安全地帯」。これまでは「自民党をぶっ壊す」と言わんばかりに政権批判も辞さず、国民政党のあるべき姿を訴えてきた。東京五輪が終わる2020年9月6日の翌日から「国づくりを始める」と唱え、「未来の総理」のイメージを積極的に印象付けた。それが、今回は国家観はもちろん、年金以外の個別の政策についても一切触れない。

 北海道での遊説では「旭川が生んだ有名人は安全地帯の玉置浩二さん。だけど、選挙には安全地帯はありません」(7月12日、北海道旭川市)という発言もしていたが、まさに「安全地帯」を確保しながら台本通りに応援をこなす態度が目立った。

 象徴的だったのは、7月11日に茨城、福島、宮城の3県を回った時の様子だ。

「世襲の権化」として悪評を買っていた小泉が「次世代のリーダー」に変身を遂げた背景には、東日本大震災がある。発生直後、自ら支援物資を茨城県まで運んだ。それを皮切りに東北の被災地に幾度となく足を踏み入れ、熱心に慰問を続けてきた。それ以来、大型国政選挙の最中にある「月命日」の11日には、被災県の中で遊説するのが恒例となっている。

 普段、小泉は演説する前後に聴衆の元に出向いて握手をする。「よろしくお願いします」と言いながら手を握ること、1人当たり1秒。それが、被災県の会場では3秒、5秒となる。しかも、最前列に並んだ人だけを相手にするのではなく、自ら集団の中に飛び込むように柵を越え、じっくりとふれあう。

■「原発」の2文字さえも口にしなかった

 そして、マイクを握ったら被災者を励ます言葉を忘れない。

「東日本大震災の時、世界から称賛されたのは、私たち政治家ではなかったですよ。東北のみなさんでしたよ。避難している時、仮設住宅で暮らしている時、何度も避難を繰り返した時、一度も炊き出しの列で割り込まなかった。自分のことで精いっぱいのはずなのに、自分のことを考えずに支え合っている人たちを見て、世界は東北の人を称賛したんですよ。

 この国は政治家が動かしてきたのではなく、国民が動かしてきた。われわれはみなさんの声をどこまで反映できるか。それが政治の力です。どこまでできるかが問われるのがこれからの難しい時代だから、この1議席は無駄にできません」

 その場にいる聴衆からは自然と拍手が上がる。

 だが、この日、小泉は大づかみのメッセージに徹していた。

 2年後には復興庁が廃止される一方、いまだに故郷に戻れない被災者が多く存在する。いつもの小泉であれば、彼らの不安に寄り添おうとする誠実な態度を演説の中に盛り込んできたが、今回はスルー。「原発」の2文字さえも口にしなかった。

 以前は福島県内で演説するたび、原発政策の転換を匂わせる主張もしていた。震災直後にあった2012年冬の衆院選の時、原発事故の避難者が数多く身を寄せていた郡山市での演説が、私の記憶の中にはっきりと残っている。

「原発政策は、私たち自民党が続けてきたんです。その中には反省しなくちゃいけないことがいっぱいあるんです。その反省なくして私たちは次の自民党を語れない」

 その後の選挙でも、小泉は福島県内の選挙区に来援するたびに「反省」を口にしてきた。だが、今回はそれも聞くことができなかった。

■公の場で「復興は全然進んでいない」

 ダンプカーがひっきりなしに行き来する国道6号沿いの広大な更地には、いまだに除染時に出た汚染土が入る黒いフレコンバッグが積み上げられている。南相馬市での演説の後、行列の絶えないラーメン屋「双葉食堂」(当日は休業日)に立ち寄った小泉もその道すがら、痛々しい光景を目にしたはずだ。

 だが、隣の宮城県内で地方議員を務める自民党関係者は私にこう話す。

「演説で突っ込んだことを言わないほうが、こっちとしてもかえって助かるんだ」

 小泉は舌禍が少ない稀有な政治家だと自負しているようだ。前出の新潟ではこんなことを声高に叫んでいた。

「私だって、一言間違えばすぐに炎上。社会的に制裁されて、抹殺されて、政治的に生きていけなくなる可能性だってあるんです。よく、10年間、大きな失言なくやってきた。たまたまですよ。たまたまですよ」

 一方で、被災地の政界関係者の間では違う評判が立っている。

 復興政務官時代、ある自治体を訪ねた際、公の場で「復興は全然進んでいない」と言い出した。住民目線に立ったがゆえの箴言だったのだろうが、メンツを気にする役人や地元有力者たちの逆鱗に触れた。それをきっかけに、小泉のことを「扱いにくい議員」と言って憚らない地元のドンもいる。

 小泉の全国行脚を追いかける最中、私が各地の自民党関係者たちに訊いてみた限りでは、「小泉人気」を否定する者はいない。だが、「戦の最中に『講談』を聞いている暇はない」と、突き放すある県連の幹部もいた。

 明らかに以前よりも熱は冷めている。東日本大震災を経験した被災県でもそう感じた。

■「頼みの綱」の公明党関係者はほとんど来ていなかった

 7月11日夕方、甚大な津波被害を受けた宮城県石巻市に現れた小泉は、制限時間ギリギリまで聴衆とのふれあいに時間を割いた。その姿を遠くから眺めていた地方議員は、私にこうつぶやいた。

「やっぱり人が集まらないな」

 平日とはいえ、開始時間は会社勤めの人も駆け付けやすい17時半に設定したはずだった。終了後に仙台駅から新幹線に飛び乗る小泉の事情に配慮して、「舞台」はインターチェンジの近くにある海運会社の駐車場内に用意された。

 地元の政界関係者によれば、当初は、近くにある複合商業施設の巨大駐車場を予定していたが、開催の3日前、店側から断わられた。弁士が「小泉進次郎」だからだ。ギャラリーが大挙して押し寄せ、お店の営業に支障をきたすことを恐れたためである。

 ところが、定刻に近づいても思うように人が集まらない。天気は良いのに、会場に集まったのは300人ほどにとどまったのである。そのうちの1割強は、地元県議が動員した後援会メンバーだった。自民党が「頼みの綱」とする地元の公明党関係者はほとんど来ていなかったようだ。

 会場の蛇田地区は、かつて津波で家を失った人々が身を寄せるプレハブの仮設住宅があった地域である。小泉が懇意にしていた家族もそこに避難していたので、私も彼の行動を追いかける中で何度も取材に訪れたことがある。

 今回、久々に再訪すると仮設の跡地には5階建ての復興住宅がいくつも立ち並んでいた。住民曰く、震災の前は14000人ほどだった一帯の人口は、1.5倍に膨れ上がったという。

「おー、久しぶり」「あー、あのお祭りでお会いしたお父さん」……。

 小泉は到着するなり、一人ひとりと再会を喜び合い、感嘆の声を上げた。だが、街宣車の上から見たら、会場がスカスカに見えたのだろう。

■小泉は「令和おじさん」の“裏”を任されていた

 被災者たちに向かってこんなことを口にした。

「残念なのは、参院選挙を今やっているということを知らない人が結構います。えーっと思う方は、これウソじゃない。仙台の駅前であるNPOが若い人たちを対象に聞いた調査では4人中3人が投票日を知らなかったんですよ。そういう状況です」

 同じ頃、仙台の駅前では官房長官の菅義偉がマイクを握っていた。そこから車で1時間ほどの距離にある石巻に立っていた小泉は「令和おじさん」の“裏”を任されていたのだ。

 今回の全国行脚では、菅が入った選挙区に後から小泉が入ったり、近くで相手陣営の演説が行われる時間にぶつけて投入されたり、不在の候補者に代わってその地域で後日開かれる集会の事前告知を任されたり、まるで「便利屋」のような使われ方が目立つ。

 前出の石巻でも同じ時間帯に相手陣営の決起集会が開かれようとしていた。小泉には移り気な無党派層を自民党側に引っ張り寄せる「客寄せパンダ」の本領発揮を求められていたのである。

 それが――。

 私は「小泉進次郎」を観察し続けることは、2020年代の自民党政治を想像する上で安倍や菅を追うよりも有意義だと思って取材を続けてきた。だが、今回は菅が主役で、小泉は脇役だ。それだけに「独自色」を出しすぎてはいけないと自分をセーブしているのだろう。

 それにしても、以前のように「語り」の質が進化していかない。どんなに小泉の演説を聞き続けていても、多くの人に伝えたい、書き残したいと思える「闘う言葉」にはなかなか出会えない。

 そろそろ密着取材をやめようかな――。そう思った矢先にハプニングは起きた。

写真=常井健一

(文中一部敬称略)

(常井 健一)

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