「ラディカルな小学生」が「ドラえもん」から学んだこと――哲学者・千葉雅也インタビュー #1

「ラディカルな小学生」が「ドラえもん」から学んだこと――哲学者・千葉雅也インタビュー #1

©石川啓次/文藝春秋

注目の哲学者に聞く「哲学の時代」シリーズ4回目は、立命館大学准教授の千葉雅也さん。4月に刊行された『勉強の哲学 来たるべきバカのために』では勉強に対する心構えや勉強の原理論が語られ、「東大・京大で一番読まれている本」にもなった。そんな千葉さんの哲学者としての原点には、幼少期から持っている、ある“欲望”があったという。

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■美術から美術批評、そして哲学へ

――『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)でも語られていましたが、もともとは美術にご興味があったそうですね。どんなお子さんだったのでしょうか。

千葉 両親がともに美術系の学校だったので、その影響で、遊ぶといったら、もっぱら絵を描いたり、紙で何か作ったり、そんな子どもでしたね。それから、物の名前を覚えるのが得意でした。深海魚の学名とか、よく覚えていました。美術的・視覚的にうまく形を作るというのと、あれこれ暗記するというのが、小さい頃からの能力の二つの柱ですね。

――哲学や思想との出会いは?

千葉 高校生の時です。美術作品を作ることから、美術批評の方に関心が向かうのですが、その過程で興味を持ち始めました。高校の時の美術の先生が面白い方で、ミニマル・アートっぽい作品を作るアーティストでもありました。彼が、いろいろと批評的な文章を読むように仕向けてくれたことも大きかったと思います。松岡正剛の雑誌『遊』や浅田彰などの存在を知ったのも、その頃です。毎年、夏に栃木県立美術館の企画展を観に行くという宿題が出てレポートを書かされるのですが、僕の高校一年の最初のレポートを、本の形にして提出しました。

――いきなり大作を。

千葉 そこには批評だけでなく、現代美術的なドローイングや、詩なども入っていました。それらを組み合わせたアートブックみたいなものです。それから、読書感想文の課題では、稲垣足穂について書いて、それを褒められたのも大きかった。そんなふうに、美術から美術批評を経由して「批評するとはどういうことか」という問題に関心が向かって行きました。価値評価とは何か。そもそも第三者が他人の作品について何かを言う権利はあるのか。そうした問題に導かれて、哲学や思想に踏み込んでいきました。

■“概念のコレクション”はゲーム的に楽しい

――「物の名前を覚えるのが得意だった」とのことですが、やはり興味があるから覚えられるのでしょうか。

千葉 それはそうだと思いますよ。もっとも、僕の場合は、自然と覚えてしまいます。と言うと、暗記に苦労している人に申し訳ないのですが……。物の名前をコレクションすることが、自分の欲望だったのです。その傾向は今でも、深海魚の学名を覚えるのが好きだった幼稚園生の頃から変わっていません。ほら、子どもって、恐竜とかの名前を覚えるのに妙に熱中するじゃないですか。あれが今でもずっと続いている感じ。

――百科事典的なものへの憧れ、みたいな。

千葉 哲学への興味というのも、結局、そこと結びついていると思います。いろいろな概念を、とにかくコレクションする。そして、それをカードゲームのカードのように使えるようになること自体が、ゲーム的に楽しいわけです。だから、覚えることが苦痛じゃない。

――そういった感覚が、千葉さんにとっての哲学のベースにある、と。

千葉 哲学者って、「死とはどういうことだろう」「生きるってなんだろう」みたいな疑問を抱く人間がなるものと思われがちですが、僕はあまりそういうタイプではありませんでした。好きなものをコレクションしたいという、一見ひじょうに浅薄な欲望から哲学に向かっていった人間なのです。

■『ドラえもん』から学んだ“別の経済システムを作り出す”こと

――「概念をコレクションしたい」という欲望は、その後どこに向かったのでしょうか。

千葉 集めるだけでは飽き足らず、「概念自体を作りたい」という欲望が芽生えてきました。でも思えば、そうした欲求の原点も子ども時代にあるのかも。というのも小学生の頃、オリジナルのカードゲームを作って遊んでいたことがあるんです。自分でモンスターを作って、名前を付けて、それをカードにして、ゲームのルールも作りました。

――売っている既存のゲームを買ってきてプレイするのではなく、ゲームを作ることからが遊びだったわけですね。

千葉 そんな子どもだったので、当時流行っていた「ビックリマン」などにも、そこまでハマらなかった。切手のコレクションとかもそうですけど、集めるにはお金がかかるじゃないですか。要するに、既存の用意されたルールや経済システムに乗っかって、そのなかで「どこまで上に行けるか」を競うことに、あまり興味を持てなかったのでしょうね。もっと言えば、他人の土俵の上で「勝ち組」「負け組」みたいな枠にはめ込まれてしまい、苦しい思いをするのもバカバカしいですしね。それなら、勝手に別の舞台を作ってしまえばいいじゃん、と。

――何かの影響もあったのでしょうか。

千葉 ヒントの一つは、『ドラえもん』だったと記憶しています。確か、スネ夫がすごい切手のコレクションを持っていて、例によって持っていないのび太が羨ましがる。で、どういう流れでそうなったのかは忘れましたが、のび太は瓶の王冠を集め始めるんですよ。僕は、友達とじっさいに王冠集めをするくらい、その話に感化されました。おそらく、既存のものとは別の経済システムを、自分で作り出すということに関心があったのでしょうね。そう説明すると、なんだかラディカルな小学生みたいですが(笑)。

――確かに(笑)。

千葉 オリジナルのカードゲームにしても、友達も同じようなことをやっていて、お互いの作ったカードを交換し合うこともしていました。この話でのカードや王冠というのは、いわば仮想通貨、地域通貨みたいなものです。つまり僕らは、別のエコノミーを、別の価値体系を作るみたいな遊びをずっとやっていた。今、僕が自分なりの新たな概念を作り、それでもって一つの哲学システムを構築することをしているのも、そうしたルーツがあるからかもしれない。思えば、「DIY(Do It Yourself)」という言葉が出てきたのも、僕が小学生の頃のことです。その延長線上にあるという意味で、僕がやっているのは「DIY哲学」なのでしょうね。

※「喋る・寝る・本を読む……哲学者は常に“動いている”――哲学者・千葉雅也インタビュー #2」に続く

ちば・まさや/1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生変化の哲学』、『別のしかたで――ツイッター哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(共訳)がある。今年5月には『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を出版し、「東大京大で一番読まれている本」になった。

(辻本 力)

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