【昭和史に学べ!】田中角栄は六法全書を丸暗記していた……田原総一朗85歳が振り返る“怪物”との5時間

【昭和史に学べ!】田中角栄は六法全書を丸暗記していた……田原総一朗85歳が振り返る“怪物”との5時間

田原総一朗氏 ©文藝春秋

「今振り返ると、『昭和』という時代には、強烈なエネルギーを持つ怪物が数多く存在しました。政界なら岸信介、経済界なら盛田昭夫や松下幸之助……。挙げていけばキリがありません。彼らが現在の日本を形づくってきたと言えるでしょう。しかし『平成』『令和』に目を転じると、政治家も経済人もスケールが小さく、縮こまっている印象を受けます」

 そう語るのは、ジャーナリストの田原総一朗氏(85)だ。

 平成以降、政治や経済の劣化が叫ばれるようになった。特に政治に目を向けると、最近では政治家による数多くの失言が目立つ。

 例えば、今年4月に桜田義孝前五輪相が、岩手県出身の高橋比奈子衆院議員のパーティーで「復興以上に大事なのは、高橋さんだ」と発言。その後、責任をとって大臣を辞任した。5月には自民党が所属議員に対し「失言防止マニュアル」を配布して失笑を買った。

■田中角栄がまとっていた“凄み”

 こうして見ると、政治家の言葉はだんだんと重みを失っているのではないだろうか。

 田原氏はジャーナリストとして、数多くの昭和の大物たちにインタビューをしてきた経験を持つ。その中でも強く印象に残っている記事が「田中角栄 独占インタビュー」(「文藝春秋」1981年2月号)だという。その佇まいや言葉からは現在の政治家にはない凄みを感じた、と田原氏は語る。

■ロッキード事件係争中におこなわれたインタビュー

 田原氏が田中にインタビューをおこなったのは、1980年冬のことだった。田中は首相在任中の1974年に金権批判の波を受けて辞任、1976年には「ロッキード事件」で逮捕・起訴され自民党を離党した。だが、その後も田中の自民党への影響力は弱まることがなく、「闇将軍」「自民党の法皇」と称され、おそれられていた。インタビューはロッキード事件が係争中におこなわれた。

 田原氏は事前の周辺取材で、田中の政治家としての強さの秘密が“法律”だと耳にしていた。なんでも田中は幼少期から極度の吃音で、それを克服するために毎朝畑に出て六法全書を大きな声で読み上げていたという。そうしているうちに、生まれもっての驚異的な記憶力もあり、全ての条文を暗記してしまった、という逸話があった。

 そのことを田中にぶつけると、このような答えが返ってきたという。

「法律というのは生き物ですよ。使い方によって変幻自在。法律を知らない人間にとっては面白くない一行一句が、実は大変な意味を持っている。すごい力を持っている。生命を持っている。

 それを活用するには、法律に熟知していなければならない。その一行、一語が生まれた背後のドラマ、葛藤、熾烈な戦い、それらを知っていて、その一行、一語に込められた意味が分かっていることが必要です。私はそういう方向で法律や予算や制度を見ているのです」

 事実、田中が国会議員在任中に成立させた議員立法は33本にのぼり、これは驚異的な数字だった。法律や予算や制度を知り尽くした田中は、表舞台から退いた後も、日本という国家の法律コンサルタントとして君臨していたのだった。

■「自分は法律そのもの。全て説明し、論破できる」

 また、田中は金権批判についてはこう反論したという。

「自分は法律そのものであり、検察や国税局に追及されて問題になるようなことは何もやっていない。法律違反は全く犯していない。全て説明し、論破できる」

 午後1時から始まったインタビューは夕方になっても終わらず、結局、取材時間は5時間にも及んだ。田中は愛飲するウイスキー「オールド・パー」の水割りを飲みながら話し続け、酔って興奮したのか、時折強い新潟訛りと吃音が現れることもあったという。

 そのエネルギーに圧倒された田原氏だったが、“田中角栄が田中角栄たる所以”をより深く知ることになったのは、インタビュー後のゲラのやり取りだった――。

 インタビュー全文は、 「文藝春秋」8月号 「田中角栄 もう一つの顔『歩く六法全書』」に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年8月号)

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