れいわ重度障害者当選 就活で20社以上落とされた、脳性まひのアニオタが考える意義

れいわ重度障害者当選 就活で20社以上落とされた、脳性まひのアニオタが考える意義

政治団体「れいわ新選組」の比例代表特定枠で当選を決め、記者会見するALS当事者の船後靖彦氏 ©共同通信社

 私の名前はダブル手帳( @double_techou )。身体障害者手帳1級(重度脳性麻痺)と精神障害者手帳3級(発達障害)を持っていることから思い付いた安易なペンネームを使って執筆している。

 生まれつき歩くことができず、背筋は湾曲し、右手も自由にならない。今は電動車椅子で生活しながら冴えない地方公務員をしている。以前執筆した「 アニメの中の障害者キャラクター 」というブログ記事がバズったことがある。

 初めに告白しておくと、私は基本的に政治活動に無関心なほうだし、障害者運動に熱心なわけでもない。そんな時間があるならアニメを見たい。だから、今回当選された船後靖彦氏・木村英子氏の両名のことも、投票日前日にフォロワーから教えてもらうまで全く知らなかった。正直に言えば今でも、二人が「国会のバリアフリー化」を訴えているということ以外よく知らない。

 そんな不真面目な私でも、はっきりと分かることがある。重度障害者が国会内に議席を得たことには計り知れない価値があり、間違いなく世の中を大きく変えるだろうということだ。これは二人の能力や政策や党派がどうであるかには全く左右されない。彼らが国会議事堂に議員として存在すること自体に大きな意味があるからだ。

■重度障害者が議員としてテレビに映ること

 何故そう言えるのだろうか。理由はいろいろあるが、一番重要なのは、障害者が当たり前にそこら辺に「特別な理由なく」存在することが許される社会になっていくことが期待できる、ということだ。これには若干説明が必要だろう。

 重度障害者が議員として存在するということは、テレビなどを通じて否も応もなく人々の目に触れることになる。それらは初め否定・肯定問わず様々な反応を引き起こすだろう。しかし、彼らは少なくとも6年間国会に居る。その時間経過の中で、徐々に重度障害者が議員として出てくることが当たり前になっていく。

 このことは人々の重度障害者への意識を日常生活レベルで徐々に変えていく。「地域や職場に重度障害者がいてもおかしくない。そこに特別な理由は要らない」という考え方が徐々に浸透していくだろう。

 読者の中には、もう既にそういう社会になっているではないか、と思われる方もいるかもしれないが、残念ながらそうはなっていない。

 ここで、唐突に前述の「 アニメの中の障害者キャラクター 」という記事の中身を簡単に紹介することをお許しいただきたい。

■アニメの中の障害者像は2パターン

 要約すると、アニメでは必ずと言っていいほど、障害は過去の重要な因縁によって後天的に負ったものであるか(例:「コードギアス」のナナリー・ランペルージ)、異常に突出したチート級の能力の理由付け(例:「未来日記」の平坂黄泉)に使われているかのどちらかなので、もっと普通に何の理由もなく障害者キャラクターが登場するようになってほしいという内容である。その上で、わたしが特に愛好する「まんがタイムきらら」系統5誌出身の作品、通称「きらら系アニメ」の登場人物に障害者枠を設けることを提案した。

 もちろんこれは半分悪ふざけで書いたものだ。アニメに現実のポリティカル・コレクトネスを持ち込むべきだなどとは全く思っていない。しかし一方で、この記事は半分本気で、それも祈りに近い気持ちを込めて書いた。それは、アニメではなく、そこに反映される人々の意識、言い換えれば、他ならぬ現実社会が変わって欲しいという切実な思いである。

■就活では試験に最終合格しても、面接で不採用

 4年前、私は重度障害者の就活の厳しい現実を突きつけられた(詳しくは「 重度障害者の民間就活事情 」参照)。

 当時は障害者枠自体がなかった国家公務員試験を受け、総合職試験に最終合格したが、厚生労働省や文部科学省の官庁訪問の面接に進むと、すべて不合格になった。民間就活では、健常者枠(障害者枠ではない一般採用)は言うに及ばず、障害者枠ですら私のような重度障害者はほとんど相手にもされなかった。

 国家総合職では4つの省庁で不採用、国家一般職では3つの省庁で不採用、民間企業は10社〜20社受けて、不採用。そういえば、参議院事務局総合職も最終面接まで進んだが結局落ちた。

 国や企業が求めているのは「見た目も普通で全く変わりなく働けるが雇用率には算定できる軽度の内部障害者」か、さもなければ「天才的に突出した特別な能力を持つ障害者」であることをまざまざと感じさせられた。

■就職後も突きつけられる厳しい現実

 その後、奇跡的に地方自治体の障害者枠に滑り込んだ私だったが、現実は厳しいものだった。断っておくと、私の勤務する自治体は比較的早くから障害者採用に力を入れていた部類で、当然法定雇用率も達成している。しかしその実態は「共生社会」「一億総活躍」といった障害者雇用の理念からは程遠いものだ。

 現在私がいる部署はいわゆる「窓際」なのだが、障害者の割合が明らかに多い。1人1人の手帳を確認したわけではないが、体感では3割以上が何らかの障害を持っている。他にも障害者を集中的に固めて隔離しておく窓際部署がいくつかあり、それによって雇用率を達成しているのだ。

■重度障害者が、健常者の視界から消し去られていく

 ちなみに、私に業務の引継ぎをしてくれた前任者も私と同じく電動車椅子に乗っており、これまたそういう部署に転出していった。障害者は決して均等に配属などされていない。

 何故そうなるかというと、組織やそこで働く人々が障害者をお荷物としてしか捉えていないからだ。誤解を恐れずに言えば、それは一面では正しい。もし仮に障害特性を除いた部分の能力(そんなものが測定できればの話だが)が平均的であっても、障害者には色々と配慮やサポートが必要になる。重度障害者であればなおさらだ。できれば自分の職場には居て欲しくないというのが偽らざる本音だろう。

「別に差別するわけじゃないんだけどさ、君もそういう配慮が手厚い部署の方が安心でしょ?」かくして重度障害者は健常者の視界から消し去られる。

■重度障害者が存在することに、理由を求められない世界を

 確かに、職場に障害者が自分1人だけというのは心細い。自分を全くの役立たずだと卑下したり、陰口を叩かれたり、後ろめたさを感じたり、色々辛いことも多い。

 それでも、私は信じる。重度障害者が健常者に混じって働く、その大切な意味を。そして夢想する。たとえ突出した能力が無くても、重度障害者が社会や職場のそこここに当たり前に存在している世界を。そこに特別な理由を求められない世界を。

 私が長らく忘れていたこの理想を思い出すことができたのは、今回の選挙のおかげである。共生社会の実現に燃えて官僚を目指した日々が蘇ってくる。おそらく私以外にも多くの重度障害者を勇気付けたに違いない。

 今の私なら見える。車椅子に乗ったままのキャラクターが鮮やかにきららジャンプする姿が。それはいかなる方法で行われるのか分からない。けれど、間違いなく彼女は飛翔するだろう。

(ダブル手帳)

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