無職の自分を責めてはいけない

無職の自分を責めてはいけない

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 今から1年とすこし前の2016年4月1日。私は5年間務めた新聞社を辞め、晴れて無職の身となりました。辞めた理由など、詳細はこの連載の1回目に書いた通りです。

 今回はちょっと趣向を変えて、転職活動についてではなく、約1年の無職経験を通して気づいたことをお伝えできればと思います。

 無職の皆さん、無職になれば誰しもちょっとは気持ちの波があります。

 無職になったことのない皆さん、無職になるってこういうことなんです。

 まあ、そんな感じのお話です。

■「無職、た〜のし〜!」

 それまでも有休消化で1か月以上働いていない時期がありましたが、4月1日を迎え正式に無職になった瞬間、私が感じたのは「解放感」。

 それはもうかつて感じたことのない圧倒的な「解放感」!

 仕事での三種の神器だった携帯電話、カメラ、パソコンを持ち歩かなくてもいい。手ぶらでどこにでも行ける。どこか県外に行くからといって、会社に申告しなくてもいい。

「明日事件や事故が発生するかもしれないし、寝られるうちに寝とこ」と早々に床につかなくてもいいわけです。夜更かしして洋ドラ見たり、漫画読んだりしても無問題!

 しかも、考えなしに仕事を辞めたのにも関わらず、周囲の人は「今まで激務だったんだし、ゆっくりしなよ〜」と甘やかしてくれるのです……! なんと世界はやさしいのでしょう。

 無職、た〜のし〜!

キヨシマの無職生活メモ
一、無職なりたては、意外と不安より楽しさが勝る。

 ふつう、次を決めてから仕事を辞めます。とりあえず語学留学という予定はつくりましたが、帰国後の身の振り方については何も考えていません。そんな状態で仕事を辞めることになり、たしかに不安でした。ですが、辞めてみると「た〜のし〜!」なんですね。

 仕事がしんどくて辞めたい。でも次の仕事を決める時間的・体力的・精神的余裕がないと嘆いている方々。怖いけれど、不安はあるけれど、無職になっても魂まで抜かれるわけじゃないので、辞めてすこし休憩して気力を養い、転職活動に邁進するというのも、私はアリだと思います。

■自分に課した2つのこと

 とまあ、無職になり、何の制約もない日々。いくらでも自堕落に過ごすことはできます。ですが、さすがの私もそれではまずいと思ったのと、せっかく時間ができたので何か新しいことを始めようと、2つの課題を自分に課しました。

 1つは、毎日一つ文章を書くこと。

 5年間、毎日毎日飽きもせず文章を書き続け、なんとか文章力を身につけました。せっかく身に着けた数少ないスキル。このまま錆びつかせては本当にただの無職になってしまいます。せめて文章力のある無職でいたい。

 そんな思いで、毎日毎日、短くても何か文章を書き、新聞や雑誌にせっせと投稿しました。掲載されれば図書券などがもらえるので、無職には一石二鳥の習慣です。

 もう1つは、山に登ること。

 5年間、とにかく仕事しかしてこなかったので、加齢もありすっかり体力がなくなっていました。体力と健康を取り戻したい。そこで、近所のちょっとした山に、天気がよければ登っていました。

 子どもの頃の記憶だと、1時間で登れたはずなのに、始めた当初は1時間じゃとてもじゃないが登れません。なんとか頑張って1時間半。大した高さもないのに、何度も何度も休憩をはさまないとヘトヘトです。

 けれど、毎日毎日登っていると、徐々に休憩回数が減り、ついには休憩なしで山頂まで到達できるように。

 それに、山には「あいさつをする」というルールがあります。すれ違った、全然知らない人たちとあいさつを交わす。これも、他人と言葉を交わす機会がない無職にはいい刺激になりました。

 そんなこんなで、無職生活の滑り出しはすこぶる快調で、楽しい無職生活を謳歌していました。

キヨシマの無職生活メモ
一、 何の制約もない無職生活だが、習慣を作ったほうが充実した日々を送れる。

 無職1か月半後から始まった語学留学中も、すこぶる順調でした。

 毎朝5時に起き、午後9時に寝る生活。午前8時から午後5時までみっちり英語の勉強です。苦手な英語も日々の生活で否応なしに使うので、少しずつですが着実にレベルアップ。

 休みの日にはリゾートアイランドで羽を伸ばすなど、活発に動き回りました。

 自他ともにグータラと認める私。そんな私がまさか何の制約もない無職となり、こんなに規則正しい生活を半年も続けられるとは思いませんでした。

 もしかして、私、真人間になれた……!?

 やっぱり、仕事辞めてよかった!

 この調子なら、帰国後も何でもできる気がする。転職活動もサクッと終わらせてやる!

 そんなことを考えながらルンルンと帰国しました。

 ですが、やはりグータラは半年規則正しく生活したぐらいで矯正できるものではないんですねえ。

■「張り切りすぎ」がアダに

 2016年9月。すっかり健康体になって帰国したはずなのに、それまでの慣れない真人間生活の反動か、一気に疲れが私を襲います。

 毎朝5時に起きていたのがウソのように、朝起きられない。

 29年きっちり(?)グータラ生きてきたので、ちょっとでもグータラすると途端に堕落の道を邁進。

「解放感からちょっと張り切って頑張りすぎたわ〜」と自分を甘やかし、日がな一日ゴロゴロしては飼い猫にちょっかいかけて引っかかれたり噛まれたり。1日1本文章を書くことも、山登りもやめてしまったので、帰国後一瞬にしてただの無職になってしまいました。

キヨシマの無職生活メモ
一、 せっかくの無職だと思って張り切りすぎると、反動が来る。何事もほどほどに。

■「頑張る期」と「ゴロゴロ期」を行ったり来たり

 無職になって、今までできなかったことを頑張って、すこしは自分のことを好きになれたのに……。

 このままだと、無為に時間を過ごし、無駄に自己嫌悪ばかりしているめんどくさい無職になってしまう。私が無職になってまでしたかったのは、そんなことではなかったはずだ……!

 半月ほどゴロゴロ無為に過ごしたのち、一念発起し「職務経歴書」づくりに取り掛かりました。

 このゴロゴロ期間でよくわかりましたが、目的もなく無職をすると、その瞬間は確かに楽しいんです。世の人々が働いている時間に、ベッドの中でぬくぬくとしつつ猫と戯れるなんて、最高に楽しい時間です。

 ですが、こんな生活が自分にもたらすのは、自己嫌悪だけなんですね。せっかく働かなくていいんだから、ゴロゴロせずにこれまで時間がなくてできなかったことに取り組む。それが健全な無職生活(?)には重要だと痛感しました。

 とかなんとかいいこと言ってやったぜ風にまとめてしまいましたが、この後も「転職活動頑張るぞ!」期、不採用が続き、「社会が私を必要としていないからゴロゴロしてやる!」期、「気をとりなおして頑張ろう!」期が周期的に訪れます。

 あっちもこっちも落ちて自暴自棄になりかけたとき、救いになったのは友人や在職中にお世話になった周囲の人々でした。

 転職活動の愚痴を聞いてくれたり、気晴らしに旅行に誘ってくれたり。

■「後ろ向きな無職」になってはいけない

 無職になるとどうしても「働いていないという後ろめたさ」が生まれます。いい大人なのに、ろくに勤労も納税もせずにブラブラしている後ろめたさとでも申しましょうか。

 そのため、ついつい家に引きこもりがちになります。私のように無職の才能があると、それでもそれなりに享楽的に、刹那的な楽しみにふけって生きていけてしまうので、自分の世界に閉じこもってしまいます。そうやって、徐々に社会と隔絶してしまうのです。

 これはよくない無職のあり方です。仕事はせずともやりたいことをやっている「前向きな無職」生活では得るものがありますが、社会に背を向けて自分の殻に閉じこもる「後ろ向きな無職」は、自分の精神をむしばむだけです。無職生活を通して、無職こそ積極的に出歩いて、色んな人と会う必要があると痛感しました。

 無職になると、無駄に時間があることもあり、考えても詮無いことを考えてしまって落ち込むことも多々あります。

 ですが、今になって思うと、働いているときは日々生きていくことで精いっぱいで、じっくりと自分と向き合い「どう生きていきたいか」について考える時間なんて持てませんでした。しんどかったですが、そういう時間を持てたのは無職になってよかったことなのかなと思います。

 無職になるのがいいこととは言えませんが、なってしまったのなら、気持ちを切り替えて「今後のためになる」無職生活を送ることをオススメします。

 私はそれに成功したとは言い難いので、反面教師にして、「リア充」ならぬ「無職充」してください!

キヨシマの無職生活メモ
一、無職でも人生を充実させることはできる!

?※この連載は、新聞記者として5年働いたキヨシマによる、「脱力系」転職活動記です。書かれていることは全て現在進行形のノンフィクションです

(キヨシマ)

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